俯いた俺を見て、リデルは心配そうにする。そしてそっと、声をかけてくれた。
「嫌なら、無理にとは言いませんけれど」
「あぁ、いや! 嫌なんてそんな……そんな事ないんです。でも……色々、怖くて」
「怖い?」
「……今は聖人だなんだって言われてるけど、本当の俺はちっぽけなただのおっさんで、空気みたいなもので、誰かに注目されたりなんてしない人生だったから」
つまんない奴って、言われて去られたら。好きになっても飽きられたら。その時、残されて虚しく悲しい思いをするのが怖いんだ。
「嫌われるのが怖いから、今のままでいたい……なんて、思ってしまうんです」
萎むような声。それを聞いたリデルは悲しそうな顔をした。
「あの、忘れてください!」
「……私も、デレクと交際した時に同じように思いました」
「え?」
驚いて顔を上げると、リデルは複雑そうだった。
「相手は王族で、私は男爵の息子……しかも養子です。元々は平民の生まれです。しかも肉食種の彼と草食種の私では子供が……圧倒的に出来づらい。当時は色々言われて、罵倒も侮蔑も嘲笑も受けてきて、冷遇もされました」
「そんな!」
身分違いとか、そういうのは正直俺は疎い。でもデレクとリデルはとても穏やかで素敵な夫夫だと思う。お互いを大切にしているし、信頼もしている。デレクもリデルの話しはちゃんと聞いている。
それなのに……。
「沢山傷ついて、正直もう止めようと何度も思いましたが、今は一緒にいる決断をした自分も、私を選んで多くの努力をしてくれたデレクにも感謝しているんです」
パッとこちらを見る人は真っ直ぐ真剣に俺に気持ちを届けようとしてくれている。頑張れって、言われている気がする。
「トモマサさん、周囲が何を言っても大事なのは貴方の気持ちとクナルの想いだと思います。もしもに怯えて大事なものを手放したら、それこそ後悔が残ります。貴方の気持ちはどうなんですか? 嫌ですか?」
「……」
嫌な訳がない。触れられて、恥ずかしいとは思っても拒むものはない。好きだと言われて心臓が跳ねた。ルアポートでの一件で、クナルの気持ちをぶつけられて、俺は受け入れそうになった。ってことは、完全拒否じゃないってことなんだ。
考えるって言った。自分の思いを、ちゃんと見据えないと駄目なんだ。
「……お祭り、誘ってみます」
伝えたら、リデルは微笑んで「はい」と言ってくれた。
そうなるとクナルに声をかけないと。
後になったらきっと怖じ気づいて動けなくなるからと、俺はリデルの所を出た足で彼の執務室へと向かう。
簡素なドアだがちゃんと個室。そこをノックすると「はい」と硬い声が掛かる。仕事をしている時の声は普段と違って格好いいんだな。
「俺だけど、少しいい?」
ドアを開けないまま声をかけると、途端に中でドタン! という音がして、何やら慌てている感じがする。次にドサッ! 「うわ!」という音が続いたから、俺は慌ててドアを開けた。
「大丈夫クナ……ル?」
「……」
俺の目の前に広がっていたのは書類の山。その一部が崩れ、クナルは慌ててそれらを拾い集めようとしたまま俺を見て固まっている。
「えっと……これは、なんだ。色々と!」
「あぁ、うん」
そうだよな。クナル、第二部隊の隊長で副団長なんだもんな。急ぎの仕事はデレクがしてくれたらしいけれど、日々そんなに急ぐ仕事ばかりじゃない。それが溜まったんだ。
苦笑して、ドアを閉めて近付いて、落ちた紙を拾う。クナルは慌てて「大丈夫!」と言ったけれど、俺は笑って手伝った。
「俺の役目とか、クナルは助けてくれるだろ? それと同じだよ」
「マサ」
一人じゃ大変でも、二人なら大丈夫。その気持ちだ。
拾いながら内容を見ているけれど、どうやら日々の報告書なんかが多そうだ。訓練の様子や進捗、気になった所。警邏の報告とあった事など。
「これ、全部チェックするの?」
「一応な。かなりはしょる部分はあるが、何か気になる事があれば書き出しておく。小さな違和感が大きな事に繋がる事もあるしな」
「凄いね」
仕事熱心だ。それに加えて俺の護衛とか長期の遠征とかにもついてきてくれていたんだ。
そんなクナルの力になりたいと思う。でも、何が出来るか…………!
「……クナル、そっちに溜まってるの、何?」
「!」
明らかに別になっている入れ物には沢山の紙。見間違いじゃなければそれ、領収書なのでは……?
「お金の計算は大事だよ!」
「分かてる! 分かってるけど……得意じゃないんだよ。いや、やるよ! 期日までにはやるんだけどよ!」
「……」
うん、あったね。俺が手伝えること。
立ち上がった俺はケースを手にする。多分経費で落ちる買い物の領収書だ。日付は勿論買った店、費目、金額、誰が立て替えたかまで書いてある。月末までにこれ、ちゃんとして立て替えた人にお金返さないといけないんだろうな。
「こっちは俺が出来るから、専用の用紙とかあるならちょうだい」
「え? いい、のか?」
頷くと、クナルは引き出しからいそいそと紙を出してくる。白紙だが、一枚は書き方の例が載っているものだ。
見たところ、元の世界でやっていた整理方法と同じだ。
「じゃあ、やっておくからクナルはそっちの書類片付けて」
「悪いな」
「お互い様だからね」
なんならもっと頼ってもらってもいいのに。その方が、嬉しいし。
まずは領収書を立て替えた人別により分ける。大抵は少し階級が上のフリートやサンズ、買い物係になりやすいリデルやグエンだ。
費目の多くは足りなくなった日用品や、急に必要になった消耗品。けれどたまに「昼食代」なんてものが入っている。
「クナル、昼食代は経費で落ちるの?」
「いや、落ちない。遠征先でどうしても外食しなきゃならない場合は遠征費から出るが、そっちはデレク団長に持って行く決まりで俺の所にこない」
店の名前を見ると王都の飲食店だ。請求者はキリクとキマリ。
「キリクとキマリだろ」
「え?」
「あいつら、時々そういうせこい手を使うんだ。落ちないって言ってるのに。まぁ、まだ階級も低くて給料も少ないからなんだけどな」
なんて言って、クナルは溜息をつきながら手を出す。俺は例の領収書を持って近付いて、それを彼に渡した。
「……俺が預かる」
「でも」
「いいさ。拳骨と説教で飯代は俺が出しておくよ」
「いいの?」
「まぁ、遊びたいざかりで金が足りないのは分かるし、俺はあまり使わないからな。この程度なら飯一回奢ったくらいだ。馬鹿みたいな金額だったらぶん殴って天引きだけど」
気のない感じで言うけれど、本当に世話焼きだ。きっとキリクとキマリはクナルのこういう所に甘えているんだと思う。分かっててクナルが甘やかしているなら、俺が何かを言うべきじゃないんだろうな。