その御簾の中にいたのは一人の少女だった。
腰までありそうな白い髪に白い肌。幼げな顔立ちに、切れ長の紫の瞳。美しい日本人形のような少女の頭には真っ白い狐耳と九本の尻尾が、まるで扇のようにあった。
どう見てもまだ十四~五という様子の彼女は俺を見て、コロコロと鈴を転がすような声で笑った。
「お初にお目にかかりますわ、獣人国の聖人様。私はこの国を預かる国主の娘、千と申します。訳あって今は父に代わりこの地を治めさせて頂いております」
「相沢智雅です!」
ほっそりとした手をついて丁寧にお辞儀をした彼女に慌て、俺も同じように板間に正座でお辞儀する。
これにクナルは驚いたが、千姫も驚いたようだった。
「あらあら、いけませんわ聖人様。貴方のような尊い方がそのような」
「この力は女神様から借り受けているだけなので。俺自身はそんな、偉い人間じゃありませんので」
一国の国王代理がここまで丁寧に頭を下げてきているのに、俺が頭上げてられるわけもない。
その様子を見てか、トントンと足音が近付いてくる。軽やかな、本当に体重の軽い人の足音。そして次に、俺の頭に手が置かれた。
「それでも、女神が選んだ尊い御心の持ち主ですわ。そして、私たちは助けて欲しい女神の民。貴方も十分、尊い者なのですよ」
思わず顔を上げたらとても近くにいて驚いた。
長い睫まで雪のように白い。柔らかそうな唇は化粧などしていなくても愛らしいピンク色。頬は少女らしくふっくらとしている。
俺の顔をジッと見た彼女は、次には小さく笑った。
「それに、弥彦様と同郷の方と聞いております。もっと言えば、我が国の食品を広めて下さっている宣教師様。聖人様でなくとも、国主の娘として歓待せねばなりませんよ」
「えぇぇ!」
思わぬ事に驚くと、千姫は側に控える雉丸へと視線を向ける。それに雉丸は頷き、側を離れてしまった。そういえばいつの間にか猿之介もいない。
ここに残されたのは千姫と俺、そしてクナルの三人になった。
「道中お疲れですわね。今、お茶の準備を致しますわ」
「あの」
「姫、俺は彼の護衛でクナルと申します。発言をお許し頂きたい」
俺の後ろに控えていたクナルが進み出る。それにも千姫はニッコリと微笑んで頷いた。
「クナル殿も、そのような硬い言葉を選ばずとも良いのです。猿之介から伺っておりますよ。とても男気のある御仁で、智雅殿の恋人でいらっしゃると」
「うぇ!」
そんな報告までされているなんて……。もぉ、恥ずかしい!
けれどクナルは気にした様子もなく、寧ろ堂々と頷いている。
その間にお茶の乗った足つきのお膳が出てきて、お茶とお茶菓子でもてなされた。
「餡子だ……」
出されたのは緑茶と羊羹。そう、小豆なのだ!
「どうぞ召し上がって」
「頂きます!」
手を合わせて言ってから竹の楊枝で一口分に切り、口に運ぶ。餡子独特の風味と甘みが広がって、もの凄く懐かしい気分になった。
緑茶も飲む。爽やかな新緑を思わせる香りとサラリとした舌触りでサッパリした。
「懐かしいですわよね」
「はい、とても」
「弥彦様の自伝にもそう書いてありました。食糧難だったこの土地に現れた聖人様は、浄化の力こそ弱いけれど農作物を改良、育成する農耕神の加護というスキルをお持ちでした。それを使い、この国と民を救って下さったのです」
それはきっと、その人自身がそういうベースを持っていたんだろうな。
「召喚された聖女の力って、そういうものもあるんだ」
「あぁ。召還時に何に困っているか、何を救って欲しいかを願うからな。それに適した人物が現れる事が多い」
「そうなんだね」
でも、お陰で俺は今米を食べ、醤油や味噌を使い、小豆を食べている。俺も感謝だ。
「それで、姫。ここで起こっている異変について聞きたい。おおよそは聞いているが、本当に共通した原因は思い当たらないのだろうか?」
低いクナルの声に千姫は深刻そうに頷く。白い着物の袖をギュッと握ってしまった。
「幾つか、共通する事はあるのですが……」
「それは?」
「この屋敷の直ぐ後ろは霊山です。古来、火の神である天狐様がお住まいになっているのです」
「天狐!」
これに俺は声を上げ、千姫は驚いた顔をする。が、俺とクナルにとっては探していた相手なのだ。
でも、そうなると……。
「もしかして、その天狐様にまつわる何かが共通点なのですか?」
「えぇ。ここから少し山に入った所に天狐様を奉るお社があり、そこに湧き水があるのです。神聖なもので、天狐様の住処より分けられていると言われています」
「その水か?」
クナルの問いに、姫はコクリと頷いた。
「年のいった者は特に信仰心が厚く、数日に一度は参っております。それら老人に連れられて子もまた。ですが、妙なのです」
「妙?」
「私もその湧き水を口にします。ほぼ毎日。私はこの国の姫であると同時に、天狐様を奉る神子。いずれ神社へと住まいを移し、そこで過ごす身です。お勤めの度にその水を頂いておりますが」
「症状がない?」
これに、彼女はコクンと頷く。
彼女だけではなく、雉丸や猿之介、他にも複数名が同じように水を飲んだが平気だったらしい。
そうなると平気なんだろうか……。
でも、それしか共通点がないとなれば。
ふと見ると、姫は顔色を悪くしている。それにもっとちゃんと見れば目の下に薄らと隈も出来ている。表情は暗くなってしまった。
「父様は現在、危篤状態です」
「え!」
「弟と、もう一人の側近も。高熱がもう二日引かず、食べる事も飲むこともままならなくなってきているのです。このままでは皆が……」
今にも泣き出してしまいそうな千姫を見て、俺はそっと側に行く。そして、硬く握られている手にそっと触れた。
「頑張ります」
「っ! ありがとう、ございます」
気丈に笑った彼女の目から、ほんの少し涙が散った。