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なんか、懐かしい夢を見ている気がする。まだ星那もいない子供の頃、縁側で寝落ちした俺の頭を母さんが撫でてくれていた。
温かい気持ちで満ちていく。心地よくて、ただ幸せで。このままずっと、いられたらいいのに……。
ふと目が覚めた。辺りはもう暗くて、音は遠い。
いつもよりも高く見える天井と、適度に風の通る感じ。温かな布団に包まれていた俺はまだ少し怠い体を起こそうとして……その肩をグッと戻された。
「まだ寝てろ。熱っぽいぞ」
「クナル」
心配そうな薄青い目がこちらを見下ろして、俺の頭を撫でてくれる。心地よくて目を閉じて、ふと夢を思い出した。
「小さな頃の夢を見たんだ」
「夢?」
「まだ、本当に子供で、母さんと俺だけだった頃。縁側で居眠りしてた俺の頭を撫でてくれてた。あの、優しい笑顔が好きだったなって」
そう、笑って伝えた。でもクナルは何故か少し苦しそうで、俺は手を伸ばして触れた。
「どうしたの?」
「……ここに、残りたいのか?」
「え?」
思いがけない言葉に驚くと、クナルはもっと苦しそうな顔をする。それに慌てて起き上がったら少し目眩がして、慌てたクナルが俺の体を抱き止めてくれた。
「どうして? 俺、残りたいなんて思ってないよ?」
「懐かしい故郷の面影があるんだろ? あんたは、望まない形でこっちの世界にきたんだ。少しでも、面影のある場所にいたいと思っているんじゃないかって思っていた」
「あ……」
だから、時々表情が硬かったんだ。
こっちにきて、クナルは時々落ち込んだ顔をしたり、妙に意地を張っている時があった。温泉とか、箸とか。それによく触れたがっていた。
不安、だったんだ。
俺はギュッと背中に腕を回して抱きしめた。
「確かに懐かしいけれど、俺が帰るのは宿舎だよ」
「でも」
「思ったんだ。あっちの世界よりも今は、こっちに大事な人が増えたなって」
これは本当の事だ。
「あっちの世界は確かに住み慣れてるし、多少の友人もいた。でも関係性は薄いし、何より俺はあっちの世界じゃそんなに求められていない。どこにでもいる、何でもない普通の人で、多分あのままだったら恋もしないで一人で生きていったんだと思う」
それはそれで、納得していた。きっとこのままモブとして生きて、独身のまま終わるんだろうなって。
友人と言っても互いに忙しくて、年に一度連絡をするかどうか。頻繁に会いに行くような相手はいない。
星那だって大人になれば兄離れをして、社会人として自立していく。その背中を見送って、俺だけが残されるんだって思っていた。
でもこの世界にきて、俺の思いは変わった。誰かに必要とされる嬉しさがある。仲間と認められて居られる場所がある。親しい、色々と話せる友人もできた。
何より、俺を真っ直ぐに愛してくれる人がいる。
「もう、帰りたいなんて思っていないんだよクナル。俺はこっちで生きていたい。だから、俺の帰る場所は宿舎であり、クナルの側がいいんだ」
抱き止める腕が強くなった。俺はそれに身を任せて、クナルの体にひっついている。不思議と凄く落ち着いてくる。同時に、心まで温かくなる。そんな思いがした。
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翌日になれば俺の体調は元に戻った。そして、嬉しい知らせが届いた。意識のなかった国主と、侍の青年の意識が戻ったらしいのだ。
支度をして、千姫に連れられて国主の部屋へと行くとそこには起き上がれないまでもしっかりと目を開けた男性がいた。
「父上」
「千、心配をかけた。他の者からも聞いている。よく頑張った」
「はい、父上」
頑張ってきた少女の目から堪えきれない涙が溢れて、国主の側へと歩み寄り覆い被さるように一度ギュッと抱きしめる。それに国主も片腕を上げ、小さな背をポンポンと撫でていた。
その後で、後ろに控えていた俺とクナルに視線を向けた人が穏やかに頷く。側へと行くと、その人は申し訳なさそうな顔をした。
「獣人国の聖人殿、すまない。本来ならば儂自らが歓待し、この窮状を救ってくれた礼をせねばならないのだが。未だに多くの部分が痺れて上手く動けない状態だ。このような格好で、申し訳ない」
「そんな、気にしないでください。ご回復、おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。智雅殿とクナル殿でよろしいか?」
「はい」
「国主の
動くのだろう腕を差し伸べられて、俺は握手を交わす。けれどその手には思った以上に力が入っていなかった。それが、まだ深刻な毒の影響を感じさせる。
「色々な者から話を聞いた。まさか天狐様の住まいが穢されているとは」
苦しそうな様子で言われる。けれどもう、これは疑いようがなかった。
千姫の話ではこれが唯一の共通項。であれば、やっぱりこれを疑うしかない。
疑問なのは同じように水を飲んだのに平気な人がいることだけれど……。
「あの、千姫様。一つお願いしてもいいですか?」
「なんでしょうか?」
「姫のステータスを、俺の鑑定眼で見てもいいでしょうか?」
ステータスというのは最上位の個人情報だ。これを勝手に見るのは大変失礼なんだという。まぁ、見える人も少ないけれど。
最初は食料なんかの解説が見えていた俺の鑑定眼は使い続けるうちに進化をしていき、とうとう体の中の魔力の流れや不調な場所、その原因なんかまで見えるようになっている。
更には意識することで見たい情報だけを見たり、逆に見てはいけない情報を弾くようにも出来る事に気づいた。今はそれでステータスを弾いている。
けれどもし今回の一件で症状の出る人、出ない人の差があるとすれば。
俺の知りたい事が分かったのだろう。千姫はニッコリと笑って頷いてくれた。
「それで、此度の事件に何かしらの進展がおありでしたら」
「ありがとうございます!」
良かった。俺もパッと笑って、改めて千姫を鑑定眼で見た。
『千(百四十三歳) 国主の娘/天狐の神子
火魔法(極)/炎の祝福/占い(上)/浄化(下)/薬師の加護/毒無効』
「毒無効!」
俺の声に千姫はビクッとする。同時に国主も驚いた顔をした。
「そのような能力が、我が娘に」
「でも、どうして」
「薬師の加護というのもありますから、それの影響かもしれません」
それを伝えると、彼女は「あっ」と小さく声を上げた。
「雉丸や猿之介に、薬草の煎じ方などを小さな頃から教えて頂いているのですが」
「それかもしれないな。加護などはその道に努める者に天より与えられる後天性のものもあるそうだ」
クナルが頷き、千姫はどこか誇らしげに微笑む。
そうなると……。
「水を飲んで平気だった人っていうのは」
「私と雉丸、猿之介、他は薬師の一家と、森歩きで長年薬草採集をしている者達です。皆山に入る前には社に参り水を頂いていました」
「薬に関係した、もしくは精通した者ばかりだな。では同じく薬師の加護があり、無効まで行かなくても何かしらの耐性があるのかもしれない」
そうなれば原因はやはり水なんだろう。これを止められれば。
「どうやら、決まりのようですね。天狐様に何かしら起こっているのでしょう」
重苦しく弥景は息を吐く。そして千姫に、引き出しを開けるよう頼んだ。
言われるがままに引き出しを開け、中に入っている物を持ってきた彼女がそれを俺に渡してくる。丸いメダルのついた首飾りで、中には精緻な九尾の狐が彫り込まれていた。
「社の奥にある聖域には、天狐様の祠がある。その後ろには洞窟があり、お堂がある。我等は国を継ぐ時にそのお堂まで参り、一晩を明かす決まりとなっている。これは、その更に奥にある禁域への鍵と伝わっている」
「禁域」
「天狐様のお住まいだ」
そこまで行かなければ今回の一件は解決しない。そういうことなのだろう。
だが、弥景はとても厳しい顔をした。
「中は迷路となり、正しき道を見つけられなければ待つのは死だと言われている。かつてここに入る事を許されたのは救国の聖人、弥彦様のみ。だが、何かあればと鍵は預かっている。今が、その何かなのだろう」
「っ」
迷路に、危険な罠もありそうな様子。迷ったら死ぬ。それは怖いけれど、でも。
「行きます」
尻込みはしていられない。ギュッとメダルを握り締めた俺の肩をクナルが勇気づけるように叩き、頷いた。
「道案内が欲しいのだが」
「猿之介をつけよう。奴は身も軽く、何より度胸もある。最後まできっちりと、其方達を案内するだろう」
「彼が正しい道を知っているのですか!」
それなら迷わない! と思ったけれど、弥景は首を横に振った。
「残念ながら、迷路の中は奴も知らん。だが、何かしらの役には立つだろう」
「そうですか……」
項垂れる俺。だが弥景はこちらをジッと見て、最後に付け加えた。
「弥彦様の残された書物には、こう書かれてあった。『もしも同郷の者がいれば、あの洞窟を進む事ができるだろう』と。彼の方と故郷を同じとする智雅殿であれば」
託すように見つめられた俺は、彼の目を見てしっかりと頷くのだった。