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第56話

「何をしているんだ?!」

気がつくと沈楽清はその先輩に走り寄り、タバコを取り上げると、火を消すために足でグリグリと踏みつけた。

「・・・なんだ、ヒーロー様か。脅かすなよ。」

沈楽清の怒声に、一瞬先生が来たのかと思った張勇達は身体を強張らせたが、それが一年生の沈楽清であることが分かるとニヤニヤと笑い始めた。

別のタバコを一本取り出し、手慣れた様子で火を点ける。

「何をしてるんです?!お酒にタバコまで・・・こんなの停学処分じゃすまないですよ!」

「まぁまぁ、そう怒るなって。女の子達が怖がるだろ?本当に真面目な優等生だな、お前は。こんなの、みんなやってるのに。」

「やっているわけがないでしょう?サッカー部の、ほかに誰がやってるっていうんです?!」

(冗談じゃない。こんなのが世間に、マスコミにバレたら、夏の大会が・・・)

先日も不祥事を起こした学校が出場停止になったとミーティングで監督から聞かされていた沈楽清は、張勇の行為が許せず、いつもの冷静さを失い、思わず声を荒げた。

「大会に出ない貴方はいいかもしれませんが、レギュラーの、特に三年生の先輩方にとっては今後の進路が決まる大切な大会です!練習に参加しないのも、不真面目なのも結構ですが、せめて頑張っている人に迷惑をかけないのが筋でしょう?!そんなにタバコが吸いたいなら、いっそ部を辞めてはいかがですか?そうすれば何をしようと貴方の自由ですから!」

「何っ?!」

沈楽清の言葉に目の色が変わった張勇は、沈楽清の胸倉をつかみ上げ、火のついたタバコを沈楽清の顔に押し付けようとした。

しかし、もともと張勇よりも体格が大きい上、運動神経が特別良い沈楽清は、そんな彼の攻撃などものともせず、彼の左手を胸元から軽く振り払うと、その右手をさっと避けた。

まさか沈楽清に避けられると思っていなかった張勇は、勢いづいたままその場に倒れこむ。

ドサッと音を立てて、顔から地面にめり込んだその無様な姿に、彼らのやり取りを面白そうに見ていた周囲からアハハと笑い声が起こった。

「くそっ、お前!」

まだ沈楽清につっかかろうとする張勇を完全に無視した沈楽清は、彼の右手からタバコを奪うとその火を消す。

そして、ごみを捨てたままにしてはいけないと、ビニール袋を鞄から取り出した。

「快楽主義者の貴方たちがどう生きようと構いません。でも、真面目な人間の足を引っ張らないでください。」

沈楽清の言葉に、それまでニヤニヤしていた全員の顔色がさっと変わる。

タバコを袋へ入れ終えた沈楽清は、これ以上の騒ぎを避けるため、相手を刺激しないようにと、さっさとその場を後にした。

「あの野郎!」

なおも沈楽清を追いかけようとした張勇に対し、それまで彼らを笑っていた周囲の人々がさすがにこれ以上はまずいと止めに入る。

「ちょっと待てって!」

「これ以上はまずいよ。あいつ、この学校のヒーローとか言われてる奴じゃん。」

「そうそう、今騒ぐとほら・・・先生が来たらまずいって。」

周囲に身体を押さえられた張勇は、怒りが収まらないまま、自分の彼女の側に座り、地面を思いきり叩いた。

「くそっ!恥をかかせやがって!!」

「本当にひどいよね~。かわいそう・・・私もあいつムカつく~。ぶさいくの癖に威張りすぎ。ねぇ、あいつにおしおきしない?」

「は?おしおき?」

「うん。あたし、ずっと動画撮ってたんだ~。ちょっといじってさ、学校の掲示板にアップしようよ~。」

それまで周囲から誰よりも清く正しい生き方を強いられてきた沈楽清は、幸運にもそんな自分に対して明確な悪意を向けてくる相手に遭遇したことが無かった。

そのため、わずかな悪意で、学生という限られた狭い世界の集団がどこまでも愚かに、残酷になれるということを、その時の沈楽清には全く想像が出来なかった。


一週間後。

張勇のことを、せめて監督にだけは報告しようか悩んでいた沈楽清は、タバコの入ったビニール袋を眺めて、大きなため息をついた。

(レギュラーは個室で良かった。そうじゃなかったら、とっくに同室者にバレてたな)

「楽清!!」

バンっと大きな音を立ててドアが開かれ、沈楽清の身体が思わず椅子から跳ね上がる。

「な、なんですか?陽明。慌てて・・・せめてノック・・・」

「いいからこれを見て!」

ずいっと江陽明から携帯を差し出された沈楽清は、タバコの入ったビニール袋を彼から見えないようにそっと隠すと、言われた通り携帯を覗き込み、その内容に絶句した。

(なんだこれ・・・)

沈楽清の目に飛び込んで来たのは、沈楽清が張勇を足払いでこけさせ、サッカーを辞めろと脅す一分程度の短い動画。

学校内の先生や生徒だけが見ることが出来る掲示板に貼られたそれは、その日のうちに校内を駆け巡り、翌日以降、それまでヒーローだったぶん、沈楽清は学校内で大きな逆風にさらされることになった。


(本当にすごいな。あれ一つで、ここまでになるなんて・・・)

翌日、いつものように登校した沈楽清に対し、彼をまるでいないもののように扱い、無視してくる人間がちらほらと現れた。

しかし、日が経つにつれ、無視する人間が増え、正義感から聞こえよがしに悪口を言ったり、中には直接嫌がらせをしてくる者まで出てくるようになった。

その上、沈楽清の身に覚えがない噂話の数々が、まるで真実のように駆け巡り、事態はさらに悪化の一途を辿っていく。

事情を聴かれて全てを話した沈楽清を、教師達やサッカー部の顧問や監督は、日ごろの沈楽清の行いもあって、沈楽清の話した事を全面的に信じてくれたが、相手が非行に走っているという決定的な証拠がないことと、何より学校内でそのような行為をしている者がいることを外部に発表したくないという保身から、彼らは沈楽清に耐えるようお願いした。

サッカー部の人間たちもまた、部活を辞めた張勇よりも沈楽清を信じたものの、出場停止が怖くて誰も表沙汰に出来ず、また校内の生徒たちの沈楽清に対する態度から、触らぬ神に祟りなしと彼を表立って擁護はせず、練習中もはれ物に触るような扱いをするようになった。

そんな中でも、何も変わらず接しようとしてくれた江陽明とは、沈楽清の方から断って距離を置いた。

しかし、一週間経っても、一か月経っても沈楽清に対する批判はやまず、とうとうサッカー部を辞めるよう求める署名活動まで始まってしまった。

身の安全の確保という名目で、授業と部活動以外では部屋で過ごすよう教師から言われた沈楽清は、寮母が運んできた食事に手をつけず、ベッドに横になると右腕で目を覆った。

最近、食欲もないし、睡眠もあまりとれていない。

最初は楽観的に捉えていた沈楽清も、先の見えない現状に、徐々に精神的にも肉体的にも追い詰められていた。

(どうしたらいいんだろう・・・証拠のタバコは先生に渡したけど、これじゃ確実に張先輩が吸ったって証拠にならないって言われたし・・・)

どんなひどい扱いやいじめにも黙って耐えてきた沈楽清だったが、さすがにサッカーを取り上げられるとなると話は別だった。

(他の学校に転校する?いや、駄目だ、母さんを悲しませる。最近ようやくあの人が俺を認めて褒めてくれたって喜んでたのに・・・しかも、理由が怪我とかじゃなくて、こんな・・・)

「楽清・・・いいか?」

いつものようにノックもなしに部屋へ入ってきた江陽明に、すっかり笑顔がなくなった沈楽清は「出て行ってください」とベッドに横になったまま小さく呟いた。

「陽明。ここに来てはいけないと言ったはずです。貴方まで嫌がらせに・・・」

「ごめん!!」

江陽明を遠ざけた理由を説明しようとした沈楽清の言葉を、江陽明が大声で遮る。

「ごめん!ごめん!楽清!!俺、俺にもっと勇気があれば、こんな・・・」

「・・・陽明?」

部屋の中に入ってきた江陽明は、沈楽清に近づくと、自身の携帯を見せる。

「俺、あの日、お前の後をつけてたんだ。お前を驚かしてやろうと思って・・・そしたら、お前が先輩に怒鳴る声が聞こえてきて。サッカー部の先輩達にも、これ見せたんだけど・・・大会出られなくなったら困るって言われて、だから怖くて、何も言えなくなって・・・でも、お前が、サッカー部辞めさせられるかもって聞いて、そんなのおかしいって。だから!!」

沈楽清は黙ったまま、江陽明の携帯に収められた動画を再生する。

そこには、あの日の真実が全て映し出されていた。

「・・・ありがとうございます、陽明。」

二回動画を再生し、じっと見ていた沈楽清はとても静かに笑うと、泣いて謝り続ける江陽明の肩に手を置いた。

「大丈夫です、陽明。私は辞めませんし、サッカー部も存続させてみせますから。だから、少しだけ協力してくれませんか?みんなのために。」


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