村人たちから何とか話を聞きだした三十分後。
沈楽清は村からだいぶ離れた山の中を、案内を買って出てくれた張と名乗った男と二人で歩いていた。
「いやぁ、悪いね。仙人様なんて見たことが無かったから大騒ぎしちまって。」
「いえ、とんでもないです。なんだかたくさんお土産までいただいてしまって・・・」
農作物を買い物するよう頼まれていた沈楽清が、どこで買えるか尋ねたところ、顔を見合わせた村人たちは、玄肖から持たされた大きな鞄に、沈楽清へと捧げたものをせっせとその中に詰め込み始めた。
「あ、ありがとうございます。では、お代を・・・」
「いいや、持って行っていいよ。」
「ダメです!皆さんの大切な食べ物をタダでこんなに頂けません!」
「いいから!仙人なんて良いもんを見せてくれたお礼だ。それに、何か悪いもんを倒していってくれるんだろう?遠慮せず持って行ってくれ。」
「そうだぞ。あんた、そんな細っこいんじゃ、そのうち倒れちまうぞ?」
「そうだ。もっと食え!なんなら鳥も捌いて来てやろうか?」
「いえ、もうこれ以上は大丈夫です!結構です!!」
散々押し問答をし、村人たちの善意に根負けした沈楽清は、「ありがとうございます」と鞄を受け取った。
(まさか、こうなることを栄兄は予想していたのか?)
ずしりと重い鞄を下げての山登りに、この細い身体は大丈夫だろうかと心配した沈楽清だったが、受け取った鞄は沈栄仁に渡された時とその重みは変わっていなかった。
「出た・・・仙界名物、何でも袋・・・」
自分が現実世界にいた時に一番欲しかったのは移動に便利な御剣だったが、従姉の洛美玲が欲しいのは、この四次元ポケットのような袋だった。
原作を読んでいない沈楽清はきちんとした正式名称を知らないが、そういう便利な袋があるという事だけは聞いている。
「それで、この辺に・・・」
張から声をかけられ、鞄をじっと見つめていた沈楽清は「はい!」と元気に返事をした。
「あはは、仙人様は元気だなぁ。で、その熊っぽいものをこの辺で見たことがあるそうだよ。」
張にそう案内され、沈楽清は周囲を見回した。
見渡す限り青々とした木々と山道が広がっている。
太陽も燦燦と輝いており、この明るさでは到底何かが現れるような気がしない。
「ありがとうございました。夜になるまで待ってみます。」
さすがにこれ以上付き合わせては申し訳ないと沈楽清は張に頭を下げると、夜になるのを待つため、座るのにちょうど良さそうな切り株を見つけるとそこに腰かけた。
その瞬間、後ろからガサッと大きな音がして、沈楽清はぱっとそちらを振り返った。
「く・・・熊だぁ!」
「ああ、ほんとだ。」
沈楽清の真後ろに出た体長2mはあろうという大きな熊を指さしたまま、張がその場に腰を抜かす。
逃げてくださいと言いいかけて、腰を抜かした彼が動けないことを悟った沈楽清は、彼を守るために自身の剣を抜いた。
この人を守るのが宗主の仕事と自分に言い聞かせながら、グルルルと威嚇する熊を前に沈楽清の頭は妙に冷静だった。
なぜかこれが怖いとは全く思えない。
沈楽清の中では、自分が人間を守らなくてはいけないという使命感の方が強かった。
「大丈夫。寒軒や栄兄の方が怖いし。」
ボソッと沈楽清は呟くと、手を振り下ろして来た熊の頭をめがけて刀を一閃させる。
しかし、剣が肉を断つ瞬間、手に伝わった感触に一瞬沈楽清は顔を歪めた。
「ごめんなさい。」
思わず謝罪の言葉が口からもれ、すぐに罪悪感に苛まれる。
ドサッ
首が落ちた熊の死体をすぐには直視できず、沈楽清は先に張に向かって手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?立てますか?」
その可愛らしい外見とは裏腹に、熊を一瞬で退治した沈楽清をぽかんとした表情で見つめていた張だったが、顔をぱっと輝かせると沈楽清の手をぶんぶんと大きく上下に振り回した。
「すげぇ!そんな細いのに強いなんて!!」
「ど、どうも・・・」
「熊なんて、村で一番狩りが上手い奴でも仕留められなくて返り討ちにあうこともあるのに!やっぱりさすがは仙人様だな。」
手放しでほめちぎる張に、いえいえそんなことありませんと返事をしながら、沈楽清は自分が切り捨てた熊の方を振り返ると、その死骸が消えていた。
「・・・これが凶熊なのか。」
見た目は普通の熊と変わらない以上、これが妖族なのか本物の熊なのかは実際に討伐するまで分からないという事になる。
それでも倒すのはたやすいと沈楽清は思ってしまった。
「え、いや・・・ちょっと待って・・・」
何かを殺すことに、こんな簡単なものかと思ってしまった沈楽清は、そんな自分に気がついて狼狽する。
横では、今でも張が自分を褒めたたえていて、ありがとうと何度も頭を下げてお礼を言ってくれている。
仙人に対して興奮が収まらない張と凶熊が消えた場所を沈楽清は交互に見つめた。
あれほど殺生をすることに覚悟が決まらなかった自分の中の変化に沈楽清は戸惑いつつも、迷う心をぐっと押さえ込み、これ以上ここに長居は無用と判断した沈楽清は「村へ帰りましょうか。」と声をかけた。