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第66話

万が一、また何かが現れては危ないからと、張を村へと送ることにした沈楽清の隣で、おしゃべり好きな張が村の日常に関する色々な話を聞かせてくれる。

彼はずいぶん情報通なんだなと思い、笑顔で相手をしていた沈楽清の目の前に、急に何かがどさりと音を立てて落ちて来た。

先ほどのこともあり、身構えた沈楽清は剣に手をかけて、張を後ろにかばう。

沈楽清が目線を音がした方へ下ろすと、頭のない男性の身体が、まだピクピクと痙攣していた。

「ひっ」

小さな悲鳴を上げて思わず腰を抜かしそうになった沈楽清だったが、一緒にいた張が大きな悲鳴を上げて倒れたのを見て、自分も倒れるわけにはいかないと気をしっかりと取り直す。

自分を落ち着かせようと大きく深呼吸した沈楽清は、怯える心を奮い立たせるように大声で怒鳴った。

「誰だ?!」

こんな芸当ができるのは妖族しかいない。

そう確信した沈楽清は、剣を抜くと、辺りを鋭く見回した。

「これはまた、ずいぶんと可愛らしい仙人だこと。でも残念。男の子なのね。」

木の上から楽しそうな女性の声がして、沈楽清はそちらを振り返る。

やはり、そこにいたのは人間ではなかった。

「大きな赤い猿・・・猩猩か?!」

「あら、ご名答。」

人間と同じ大きさくらいの全身が赤い毛に覆われた猿が木の上に悠々と座っている。

その手には、人間の頭部。

肩には殺された男性と一緒にいたのであろう女性を担ぎ上げていた。

「どうしてその人を殺した?!一体お前に何をしたと言うんだ?!」

「どうして?」

沈楽清の問いに答えるように、目の前で殺した男性の頭部を猩猩は一飲みにする。

「こうやって、食べるために決まってるじゃないの。」

口元についた血を拭わず、にやりと笑う猩猩にカッとなった沈楽清は剣を向けた。

「なら、もうお腹いっぱいになっただろう?!その人を離せ!」

「フフフ、おバカさんね。男なんて脳みそ以外食べるところがないじゃない。それに比べて、女は柔らかくて油も多いから全身美味しく食べられるのよ。こっちを食べるために、先にまずい方を食べたのよ。ああ、でも・・・」

猩猩は肩にかつぎあげた女性の身体の首元を軽く噛み、その血をすする。

「止めろ!その人を離せ!」

女性がかすかな呻き声を聞き、沈楽清はいてもたってもいられず、猩猩に向かって切りかかった。

しかし身のこなしが軽い猩猩は、隣の木へと飛び移り、沈楽清の剣から逃れる。

「可愛い仙人さん。何を怒っているの?」

「人を殺して食べるなんて間違ってるだろ!」

沈楽清の怒鳴り声に、本気で何を言っているのか分からないといった風情で猩猩は肩を竦めた。

「ねぇ、貴方も人間も、肉や魚を食べるでしょう?それは良いのに、どうして私たちが人間を食べてはいけないの?」

「それは・・・」

猩猩の疑問に、沈楽清は咄嗟に反論が出来ず、その場に一瞬固まってしまう。

それでも、何とか猩猩から女性を取り返さなくてはと、沈楽清は再び猩猩へと切りかかった。

「やだ、見かけによらず乱暴なのね。」

次々と沈楽清をからかう様に木から木へと飛び移っていく猩猩に、しびれをきらした沈楽清は仙術で風を起こすと、次に猩猩が飛び移ろうとしていた木をなぎ倒した。

「やるじゃない。」

そう言って、猩猩は女性をその場に放り捨てた。

「なっ?!」

女性が地面に落ちる寸前。

何とか風を使って彼女の身体を受け止めた沈楽清は、女性を抱きかかえてキッと猩猩を睨む。

「じゃあ、またね。」

そう言って逃げていく猩猩を沈楽清は追いかけようとするも、目を覚ました張に縋りつかれて、沈楽清はその場から動けなくなった。

「仙人様!先ほどのは何なんですか?!」

「猩猩という妖族です。人をいたぶって食べるのが趣味の。」

そういえば首を噛まれていたんだったと、沈楽清は腕の中の女性に声をかける。

「う・・・ん・・・」

僅かに反応があり、彼女が生きていて安堵した沈楽清は、仙薬を彼女の首元にかけると、彼女を張へと引き渡した。

「この人を連れて先に村へ帰っていてください。私は先ほどの妖魔を討伐したらすぐに戻ります。」


「待て!」

猩猩の後を追いかけてきた沈楽清は、思ったよりも猩猩が遠くに行っていなかったことに、一体なんだと警戒しつつも、その背に向かって声をかけた。

「あら、そんな怖い顔をしてたらモテないわよ。」

「やかましい!」

かつて従姉からよく言われたそのセリフに、沈楽清は思わず自分の立場を忘れて反応する。

そんな沈楽清を見て、楽しそうに笑った猩猩は、森を抜けて、大きな広場の真ん中にストっと降り立った。

猩猩が止まったのを見た沈楽清は、彼女と間合いを取りつつ、自身も広場に降り立つと、しっかりと剣を構えなおした。

「覚悟はいいか。」

「ええ、もちろん。でも、貴方の方がどこまで持つのかしら。可愛い仙人さん。」

猩猩の言葉と共に、周囲から無数の妖族が出現する。

その数の多さに、沈楽清の顔から血の気が引いた。

(どれも低級。でも数が多い・・・)

おそらく倒せるだろうとは思いつつも、沈楽清はその場から大きく一歩下がると比翼を取り出し、乱雑な文字で「寒軒」と一言だけ書いて比翼を飛ばした。

しかし、彼が辿り着くまで、まずは自分で何とかしようと、剣を振るい、自分に群がる妖族たちを討伐していく。

「今さら救援?間に合う訳・・・」

勝ち誇ったような余裕の表情で沈楽清の奮闘ぶりを眺めていた猩猩は、突如背後に現れた気配にハッと後ろを振り返る。

それよりわずかに早く、猩猩の背中を洛寒軒の剣が一気に貫いた。

「寒軒!」

自分を助けに来てくれた洛寒軒の姿に、沈楽清の顔に喜色が浮かぶ。

「猩猩、貴様ここで何をしている。北には来るなと先日言ったはずだ。」

「妖王・・・あなた様がどうして・・・」

相手の言葉を待たず、洛寒軒はさらに深く剣を突き立てた。

洛寒軒が剣を引き抜くと同時に、さぁっと猩猩の身体が塵と化す。

猩猩が消えたのを見たからなのか洛寒軒が来たからなのかは不明だが、広場を埋めるほど大量にいた妖族たちは逃げるようにして一斉にその姿を消した。

「宗主、大丈夫ですか?」

駆け寄ってきた沈栄仁が沈楽清の肩に手を置き、怪我がないかを確認する。

いつもとあまりに違う姿に、一瞬これは誰?と戸惑った沈楽清だったが、沈栄仁の声を聞いて彼だと分かり、ようやくほっとする。

「ありがとう・・・ごめん、一人で仕留めれなくて。」

「いや、これだけの人数を相手に一人だったんだ。怪我がなくて良かった。」

側に来た洛寒軒の労いの言葉に、助けてくれたお礼を言いつつ、沈楽清はあまりに早い二人の到着とそのあまりにも似合わない村人姿に疑問を抱く。

「二人とも・・・その恰好は何?一体どこにいたの?来るの早くない?」

「まぁ、いいじゃないか。」

「そうそう、ほら帰りましょう。」

御剣で上空から見てました、いざとなれば手伝うつもりでしたとは言えない沈栄仁は、沈楽清の背中を押す。

「藍鬼。俺は少し周囲を見てくる。猩猩がいたなら猿神も近くにいたはずだ。楽清を連れて先に戻ってくれ。」

「はい、妖王。宗主、あとは任せて帰りましょう。そろそろ身体に障ります。」

さっさと沈楽清を仙界へと連れ帰ろうとする玄肖に、沈楽清は張達の存在を思い出し、あっっと声を上げた。

「さっきの人達が無事に村に着いたか見に行かないと!」

「さっきの人『たち』?」

「あの男以外にも誰か?」

村人と共にいたことまでは洛寒軒と玄肖は確認していたが、猩猩と沈楽清が戦い始めてからは鬱蒼と茂る森の中に入っていってしまったため、上空からではその姿を実際には確認できていなかった。

「宋岐村の人に凶熊の所まで案内してくれた張さんって男性と、猩猩に首を噛まれた女の人がいて、その人を預けて村へ戻ってもらったんだ。」

「首を噛まれた?!」

洛寒軒と沈栄仁の顔色が変わり、二人は顔を見合わせると揃って村に向かって走り出した。

「宗主はそこにいてください!動かないで!絶対にこちらに来てはいけません!そこで待っててくださいね!」

「そうだ!絶対に来るなよ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

走りながら沈楽清の方を振り返り、必死の形相で声をかけた二人の言葉に一緒に走りだそうとした沈楽清はその場に立ち止まる。

しかし、何かとんでもない事態が起こってしまったのだろうと不安になった沈楽清は、彼らが消えた方向に向かって走り出した。


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