平和だ。
実に平和だと、ゾランは思う。
「はぁ……」
空を流れる白い雲を眺めながら、溜め息を吐く。外でランチをするには少々肌寒い季節になってきたが、カフェのテラス席は真冬でも混雑する。テーブルに腰かけ、暖かいココアとお店で一番人気のガレットを注文した。
フォークとナイフを手に、ガレットを口に運ぶ。
「あ、美味し」
モチモチのガレット生地に包まれているのは、ソテーしたジャガイモとスモークしたサーモン。それにポーチドエッグを載せ、ディルの効いたクリームチーズをたっぷりと掛けたものだ。クリームチーズとサーモンは良く合う。
(まあ――……。普通、だったよな……)
今朝のエセラインの様子を、思い返す。いつも通り、普通だったように見える。恥ずかしがったり、ギクシャクしたり、そういったことはなかったと思う。むしろゾランの方が意識しすぎて、少し恥ずかしかったくらいだ。
(くそぅ……)
どんな時でも冷静なエセラインが、少し恨めしい。ちょっとくらいソワソワしてくれた方が、可愛げがあるのに。そう考えて、想像したものの、やはりエセラインにはそんな姿は似合わなくて、思わず笑ってしまう。
(まあ、もしかしたら、親愛の情というだけで、深い意味はないのかも知れないし……)
そう考え、頬にキスされたことを想い返す。ボッと頬が熱くなって、思わず顔を両手で抑える。心臓がバクバクしている。
「っ……」
(いやいや、解ってるけど。解ってるけど……)
あのキスが、単なる親愛の情を示したわけでないことは、ゾランにも解っている。解らないのは、ゾランのどこが、気に入ったのかということだ。
自分では、エセラインにむやみに突っかかっていた時期があるのを覚えているし、妙にライバル視していたことも解っている。その上、最近は守って貰ってばかりで、いいところを見せているとは思っていない。
「はぁ……」
何度目か分からないため息を吐いたところで、不意に背後から声をかけられた。
「おう、兄弟。なんだよ辛気臭いため息なんか吐いて。特別賞取ったってのに、景気が悪いじゃねえか」
「マルコ!」
いつから居たのか、後ろの席に座っていたのは、アムステー出版のマルコだった。トサカのような髪を手で撫でつけながら、ニヤニヤと笑っている。
「いつから居たんだよ」
「ついさっきさ。お前が飯食ってるのが見えてな」
「声かけてくれればいいのに」
散々観察されたうえで、声をかけて来るなんて。相変わらず悪趣味だとゾランはため息を吐いた。マルコはカラカラ笑いながら、自分の皿を手に席を移動してくる。マルコが注文したのは鶏もも肉をトマトで煮込んだソースを詰め込んだガレットだ。
「何だか難しい顔をしてたからよ?」
「恥ずかしいからやめろよ!」
「まぁまぁ、兄弟。何か悩みか? 今を時めくクレイヨン出版社。旅行記はヒット、『宵闇の死神』をスクープに収め、賞までとった。そんなゾランくんのお悩みは、いったい何かな?」
「ふざけるなって。別に、個人的なこと!」
相手にしていられないと、ガレットをぱくんと口に運ぶ。
「ほほう? 何だ、金か? 良い金貸しを紹介してやろう。なんと俺の紹介なら、利息が低く借りられる」
「怪し過ぎる! それに、別にお金を借りたいわけじゃないし」
「んー? お。解ったぞ。風俗デビューしたいのかっ。俺が良い店に連れてってやろうじゃないか。アンネって可愛い娘が居る店でなぁ」
「女の子とか良いからっ!」
真っ赤になって否定するゾランに、マルコは「ああ」と相槌を打つ。
「男娼が好みか? デカいヤツ、硬いヤツ、長いヤツ、何でも紹介出来るぜ?」
「もう、黙って!!!」
マルコの背中をバンと叩いて怒り出すゾランに、ケラケラ笑いながらマルコはコーヒーを啜った。どうやら、揶揄っていただけらしい。
「冗談だよ。冗談。そんなもん紹介したら、エセラインに殺されちまう」
エセラインの名前が飛び出て来て、ゾランはドキリと胸が跳ねた。
「っ……。なんで、エセライン……」
「ああん? そりゃあ、騎士さまのこわーい視線にさらされてちゃあ、なあ」
「なんだよ、それ……」
顔を赤くして呟くゾランに、マルコは眉を上げて、「気づいてなかったのか?」という顔をした。
「そ――そんなの……、解るわけないし……」
「はぁ、エセラインの野郎も、難儀だなあ。でもまあ、その反応してるってことは、何かあったんだろ? ああ、悩みってそれ――」
「ちょっ! 良いから! もう!」
もくもくとガレットを食べ始めたゾランを、マルコがニヤニヤとみているのが解った。だがこれ以上何か言うのは藪蛇な気がするので、無視しておく。
(マルコにまで知られていたなんて……)
もしかしたら自分が知らなかっただけで、周囲の人間は知っていたのだろうか。そう考えたら恥ずかしくて、頭から布団をかぶって、眠ってしまいたい心境に陥った。