目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第21話 ラウカの号外



『消えた戦争の被害者たち。疑惑の人体実験とは――生きた人間を魔法石に変える恐怖の実験施設』。センセーショナルな見出しの号外を握りしめ、苛立ちを隠さずに男はテーブルに新聞を投げ捨てた。男の手には、指を覆い隠すほどに巨大なパープルサファイアが、太い指に嵌められている。


「フン……小蠅めが」


 男――ウルス侯爵は、顔を歪めてワイングラスを手にする。不機嫌な侯爵に、痩せた壮年の男が冷や汗を流す。男の名はシュヴァル男爵。ウルス侯爵家に連なる家であり、侯爵の暗部でもある男だった。


「忌々しい、『宵闇の死神』といい、ラウカ社といい……」


「消しますか?」


「いや、今動くのは噂を肯定するようなものだ」


 下手に動くことは出来ない。そう考えながらワインを啜る。それよりも魔法屋が殺されたことが痛かった。殺された魔法屋の店主は、頭のおかしい男だった。魔法に魅入られ、その真理をあばかんとするような、狂人だった。だからこそ―――恐ろしいまでの成果を上げたのだが。


 疑惑の中心を、ラウカ・ハベルがどうやって嗅ぎつけたのかは分からないが、どうせ根拠も証拠もない、想像だけの話だ。「ちょっと妖しい」程度の疑惑を燃焼させるほどの力はない。よりセンセーショナルな情報に人は心躍らせ、関心を持つ。一時話題になっても、すぐにこの噂は消え果てるだろう。


(そうだな。あの女優の男関係や、あの男優の隠し子あたりの話題を出してやれば、すぐにそちらに関心が向くだろう。ああ、女優を自殺させて、よりセンセーショナルにしてやるのも良い)


 多くの人間にとって、新聞に書かれたことは、所詮「どこか別の場所で起きている他人事」に過ぎない。興味は次々に移って行き、やがて忘れ去る。ラウカという男は長年、ウルス侯爵にとって目障りな存在であることには違いないが――人一人の力など、たかが知れている。言葉は刃になどなり得ない。ウルス侯爵は力というものが何かを知っている。本当の力というのは、金と権力だ。


「魔法屋の研究も燃やされたか……。ふむ。しばらくは停滞するか」


 半ばあきらめた気持ちで、溜め息を吐く。あの時、後手に回らなければ、こんな苦労をせずに済んだというのに。


(ヴェリテ・スクめ……)


 あの男のせいで、ウルス侯爵はやらなくても良い苦労を、この五年ほど、ずっと続けている。ヴェリテ・スクが最後に身を寄せていた場所が東部だったこともあり、東部地域を中心に探して回っているが、未だ見つかっていない。もしもラウカ・ハベルが手にしているのなら、既に事態は大きく変わっているはずだ。だから、ラウカもまた、手に入れていない。それだけが救いだ。


 あれは、爆弾のようなものだ。あれを見つけない限り、安心することは出来ない。それなのに、『宵闇の死神』のせいで、それが停滞してしまった。


 重いため息を吐き出したウルス侯爵に、シュヴァル男爵が静かに声をかけた。


「そのことですが、侯爵」


 ウルス侯爵の眉間がピクリと動いた。また面倒ごとかと、一瞬不愉快になる。


「なんだ、些末なことならお前が処理しろ」


「まだ未確認ですが――『ボックス』が見つかりました」


 その言葉に、口に運ぼうとしていたグラスをひじ掛けにおいて、ウルス侯爵は目を見開いた。身を乗り出し、シュヴァル男爵を凝視する。


「なんだと?」


「――『クレイヨン出版社』のゾラン・エリシュカが、ヴェリテ・スクと接触していた事実は確認できました」


「――クレイヨン出版社……!」


 口端が上がる。興奮に、ウルス侯爵の手が震えていた。パープルサファイアがランプの明かりを反射してキラキラと輝いた。


「はは……。なるほど。同業の、出版社か……」


 関係者はすべて調べていたはずだった。親しい友人も、家族も、同僚も――。そのうち、関わった人間をすべて、しらみつぶしにしていたはずだった。それが、まさか。


 ウルス侯爵は、新聞社賞の授賞式で出会った、あどけない雰囲気を残す青年のことを思い出していた。翡翠色の瞳の、澄んだ目をした青年だった。侯爵はニヤリと口元を歪め、ぐしゃぐしゃになった新聞に目を落とした。


 いつだって、力がある者が勝利するのだ。そして、その力とは――。


 権力と、金なのだ。





この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?