彼の案内で、
幸一は旅館で目覚めると、隣に人が横になっているのを見た。
赤紫な衣裳を身の纏い、顔色が白く、繊細な美男子だ。
「紫苑さん?」
その人が紫苑だと気付き、幸一はさっそく彼を呼び覚ます。
「
紫苑は無力そうに目を開けた。
「幸一でいい」
昨夜はいきなり寝ちゃったので、幸一は窓の暖簾を締めなかった。
窓から朝日の光が入ってきた。
「あっ、締めたほうがいい?」
「大丈夫です。陽射しが嫌いじゃないです」
紫苑は感慨深そうに嘆いた。
「人間界に来るのは久しぶりです。おのれが生れた場所なのに、いつの間にか足を踏み入れる勇気もなくなりました」
「あんな大変なことに遭ったから、弱気になるのは当然だ。まずは人間界で静養してください」
幸一は紫苑の肩を軽く叩いて彼を慰めた。
「いいえ、おのれは、もともと弱いです……」
「お坊ちゃま、入ってもよろしいですか?」
扉の外から、
「うん、いいよ」
幸一の許可を得て、二郎は扉を開けた。
「昨日はご迷惑を――お、お坊ちゃまああ!?!?」
幸一の寝台で泣きそうな顔をする紫苑を見たら、二郎は思わず大声を出した。
(ど、どういうことだ!修良さんだけではなく、ほかの男とも一緒に寝るのか!!?)
(お坊ちゃまは玄天派で、一体何を学んできたぁ!!??)
「紹介するよ、こちらは紫苑さん。
「幽、幽冥界?!」
(お坊ちゃまは、鬼にまで手を出したってこと?!いやいや、何を考えているんだわたし!!)
その紹介を聞いて、二郎は更に取り乱した。
「やっぱりこういうのが怖いか……何処から話せばいいのか……」
二郎が混乱した理由を勘違いした幸一は眉間を掴んで、言葉の整理に悩んだ。
「旦那様の魂はそんなことがあったのですか!?」
二郎は幸一から事情を聞いて、驚愕で目を白黒させた。
「ええ、二郎さんや
「お坊ちゃまが生れた時、わたしはただ四歳で、何も覚えていません……急いで父に手紙を出して聞いてみる」
「手紙は不要だ、俺は伝言の鳥を出す」
「あの、奥様にも聞いたほうがいいと思いますが……」
「そうだね、一応、母にも聞いてみるが、素直に協力しにくれるかな……俺のことが嫌いなのはどうしようもないけど、父を恨んでいないといいな……」
寝台で休んでいる紫苑が幸一の複雑な表情を見たら、大きく息を吸って、身を起こした。
「唐突ですが、お母様と何かあったのですか?」
「いえ、ちょっとドロドロというか、なんというか……」
別に恥ずかしいとか思っていないけど、簡単に説明しきれないので、幸一は返事に困った。
「かつて、おのれは人間界にいる間に、たくさんの女性や母親の悩みを聞きました。お母様との関係に悩んでいるのなら、お手伝いができるかも知れません」
「大丈夫だよ、紫苑さんはこれから玄天派の拠点に行って、保護してもらうから、ほかのことに構わなくていいんだ」
「いいえ、ぜひ恩返しをさせてください――」
紫苑は意志を示すように、拳に力を入れる。でもその端に、体がふらと揺れて、また寝台に倒れた。
「紫苑さん!」
幸一はすぐに紫苑の隣に行った。
「すみません……ちょっと、人間界に慣れなくて、めまいをしました。平気、です……」
「大変だね!俺の霊気を分けてあげよう!」
「いけません、もうこんなにご迷惑をかけています。心配はいりません。おのれは、もともと弱いですから……」
(うわ、これもまためんどくさいやつだな……お坊ちゃまの男関係…いや!人間関係が心配だ……)
二人のやり取りを見て、二郎さんは非常に嫌な予感がした。
次の二三日、幸一は伝言鳥の帰りを待ちながら、二郎と一緒に土地の確認と、売却の準備をした。
龍穴の土地は希少で貴重な商品なので、仲介商人が積極的に幸一たちに売買のことを案内した。
幸一が所有権を持つ土地は、谷川地帯にある。未開発の土地の故に、人造物のない自然の美しさを保っている。
仲介商人が土地の査定をする間に、幸一と二郎はしばらく悩みを捨てて、自然の恵みを楽しむことにした。
「さすが世界中一番風水のいいところだ。清らかな霊気がどんどん湧いてくる」
幸一は新鮮な空気を大きく吸った。
「わたしは霊気のこととがよく分からないけど、本当に心地よいところですね」
二郎さんも久しぶりに気持ちを楽にした。
「あれは……」
幸一は見まわしたら、崖の上に一輪の万年茸が目に入った。
「デカい万年茸だ!」
「あっ本当!紫色って珍しいですね!」
「体と霊気の回復にとても役に立つ薬材だ。よし、紫苑さんにあげよう!」
そう言って、幸一はさっそく崖に向かって飛んだ。
その勢いで万年茸を手にしたら――
「痛っ!」
指が茸の後ろに凸凹の岩にぶつかった。
「お坊ちゃま!」
「大丈夫、かすり傷だ!」
旅館に戻ったら、幸一は万年茸を厨房に頼んで、汁を作ってもらった。
そして、自分で出来上がった汁を紫苑に運んだ。
「おのれのために、わざわざ……!?」
紫苑は幸一から万年茸のことを聞いたら、信じられないように目を大きく張った。
「紫苑さんは俺の霊気を受けたくないだろ。ちょうどこれを見つかったので、代わりにこれで霊気を補ってください」
「受けたくないなんて、とんでもございません!おのれは、幸一様の高貴な力を受けられるような身ではないなから……コッホン、ホン……」
慌てて説明をしたら、紫苑は息が継げなくて、何回も咳をした。
「紫苑さん、大丈夫!?」
(被害者なのに、その劣等感はどこからのものかな……)
(もしかしたら、生前に何か悪いことでもしたのかな、そうは見えないけど……)
幸一はいろいろ疑問しながらも、腕で紫苑の背中を支えて、汁の茶碗を紫苑の前に送った。
「さあ、冷めないうちに飲もう!」
「……では、お言葉に甘えて……」
紫苑は両手で茶碗を受け取って、一口飲んだ。
「あつっ!」
汁の温度が高かったのか、紫苑は舌がやかれて、手が滑った。
幸一は茶碗を受け止めようとしたら、熱い汁が胸にこぼした。
「も、申し訳ありません!」
紫苑は慌てて幸一の外着を脱く。
その時――
「幸一――」
部屋の扉が開かれて、
「先輩!?」
幸一は驚いて嬉しかったが、修良の笑顔が素直な喜びではなかった。
「幸一、その方は?」
ニコニコの修良から溢れ出るとんでもない暗い気配を感じ、紫苑の震えが止まらない。
「幽冥界で知り合った紫苑さんだ。どうした、紫苑さん?寒いのか?横になって布団をかけよう」
「い、いいえ、いいんです、自分で、やります!」
紫苑はビクビクと幸一を押しのけた。
修良は窓を開けて、外に向けて一度深呼吸をした。
すると、外から人々の驚きな声があった。
「あれはなんだ!?竜巻か!?」
「牛が飛ばされたぞ!」
その雑音を窓の外に遮断して、修良はさわやかな笑顔で幸一に向ける。
「先輩、体はもう大丈夫?九香宮で待っていればいいのに!」
「ええ、もう大丈夫だ。幸一が心配だから急いで駆け付けてきた(正解だった)」
「俺は全然平気だ」
「へぇ、幸一は、私がいなくても平気か……大人になったな(面白いものも連れてきて)」
修良の笑顔がわざとらしいものになった。
「そういう意味じゃなくて!俺は自分を守れるって言いたいんだ」
「じゃあ、その手はどうしたの?」
修良は幸一の包帯が巻いている手を指さした。
「ちょっとしたかすり傷だ、二郎さんは大げさに巻いただけだ」
「見せて」
「うん」
幸一はいつものような自然な動きで手を修良に任せた。
修良は丁寧にその包帯を解き、まだ血痕が残っている傷を観察した。
「なぜ治癒術をかけなかった?」
「術を使うほどの傷じゃ……」
幸一の話は途中で止まった。
修良が彼を見ている眼差しは、苦しくて、悲しそうなものになったから。
「私がどれほどあなたを大切に育っていたのか、分からないのか?」
「先輩……」
「かすり傷とはいえ、毒の侵入口にならないとは限らない」
修良は目じりで布団の中で震えている紫苑を覗いた。
氷柱にでも刺されたように、紫苑はひくっと布団をきつく締めた。
「はい、もう、分かった。分かっている……」
修良の悲しそうな目に見つめられ、幸一は言葉が出なくなった。
修良は頭を下げて、幸一の指先を軽く咥えた。
淡い水色の光が幸一の指先をやさしく包む。
「!!」
幸一の心がドキッとした。
指先から伝わった感触は暖かくて痒い。なぜか、幽冥界で見せられた幻を思い出させた。
修良の吐息はやさしくて、懐かしい匂いがする……
顔の温度が急上昇しているのを感じて、幸一は思わず手を引き戻した。
「大丈夫だ!放っといてもすぐ治る!」
「っ!」
小さな行動だけど、修良は驚いた。
幸一が彼の接触を拒絶するのは初めてだ。
「……そうか。じゃあ、お大事に」
修良は寂しそうに軽く笑ったら、身を翻して、部屋を出た。
「あっ、先輩!」
幸一はまだ何かを説明しようとしたが、修良は振り向かないまま幸一を止めた。
「二郎さんと話したいことがあるから、幸一はその方の世話でもしていて」