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七十三 旧世界へ

その時、峡谷の深いところにいる幸一は瞑想をしている。

彼の霊気がどんどん膨らみ、体の周りの光が増していく。

紫苑は強い力を怯えながらも、その眩しさから目を移せなかった。

突然に、空から極光のような光の帳が浮かんできて、ゆっくりと降りてくる。

「幸一様、あれは、なんですか?」

異変に気付いた紫苑は幸一に訊ねる。

「俺は前世の力をどんどん受け取っているから、俺の力に引き寄せられたのだろう」

幸一は目を開けて、空を見上げる。

「これ以上力を引き出せば、やつが先になるかもな……もう行かないと」

幸一は困ったように呟いたら、身を起こした。

「紫苑さん、旧世界の扉を開けたいので、手伝ってください」

「ど、どうやって?本当に、おのれのような弱い魔がお役に立てるのですか?」

肝心な時ときたら、紫苑はやはり緊張してたまらない。

幸一は紫苑の指輪に指さして、焦らずに説明した。

「紫苑さんが持っている指輪は、旧世界の残骸から抽出した力で具現化されたものだ。この新世界はそうやって、ずっと旧世界の力を求めているが、旧世界への扉を開けられなかった。それはなぜか知っている?」

「さあ……」

紫苑は呆然に頭を横に振った。

幸一は手を自分の心臓に置いて、穏かな声で答えを明かす。

「旧世界の入り口は、俺の心にあるから」

「!?」

「俺は――正しく言えば、還初太子は、心の一部を旧世界に残した。還初太子の意識が滅んでいなかったから、旧世界の遺跡はその心を依り代に残されていた。紫苑さんは心魔だから、人の心の穴を拡張して、扉として具現化るすことができる。俺はそのような術を修行したことがないので、紫苑さんに頼むしかない」

「で、できません!そんなことをしたら、幸一様はどうなるのか……!!」

幸一が望んでいることを知って、紫苑は何歩も引いた。

「大丈夫だ。俺は福徳が厚い、その程度で死なない。それに、心を取り戻さなければ、神になれないよ」

「幸一様は、本当に神に……」

やはりどこか違和感があると、紫苑は躊躇った。

「紫苑さん、旧世界の扉を、開けてくれ――」

これ以上拒絶の機会を与えず、幸一は紫苑の目を真っすぐ見つめて、命令するように頼んだ。

「!!」

その一言で、紫苑の意識は重い衝撃波を受けた。

(逆らえない……その命令は、絶対です……)

彼の体が自動的に黒紫色の煙に変化した。

煙は吸い込まれたように、幸一の心臓に突き込む。

一点の小さな黒い穴が幸一の胸で現れ、速やかに拡張して、幸一の全身を飲み込んだ。


精神の次元で、紫苑はやっと幸一の心をはっきり見えた。

やさしい光の深い深い奥底に、大きな黒洞がある。

黒洞から邪にも近い陰気な力を発散し続けているが、それを中和するように、光が緩やかに黒洞へ浸透している。

光と闇が平衡よく交わっている。

しかし、紫苑の魔力の介入によって、黒洞が伸び始める。

黒洞の引力に引き付けられ、紫苑は黒洞に触れた。

実体もない彼だが、ピリッと震えて、高揚な力を感じた。

(これは、穴なんかより……)

紫苑はまだ確定していないうちに、また幸一の声を聴いた。

「紫苑さん、俺は思うよ。どうして先輩や紫苑さんのようなやさしい人が鬼や魔でなければならないの?どうして、自分の意思ではなく、ほかの誰かの願いによって生れて、変わって、消えなければならないの……それを決めるのは世界の意志なら、俺は、その意志に従わない。そんな秩序を守るのは神だったら、俺は、絶対に神にならない――」

(もしかしたら、幸一様のやりたいことって……!)

いきなり、黒洞は大きな渦巻きとなり、幸一の意識も体も、全部巻き込んだ。

(なぜ気付かなかった!あの怨霊を消滅した時、おのれが強くなったのは……受け取った旧世界の力は、幸一様の……!!)

幸一を引き留めるために、紫苑は黒洞の中へ侵入しようとしたが、黒洞から強い衝撃波が打ち出され、紫苑を精神の境界から飛ばした。


「!」

現実世界に戻され、実体に戻した紫苑は誰かに後ろから受け止められた。

「よかった!それがしのところに飛ばされて。修良さんのほうに飛ばされたら、一瞬で元神が潰されるだろう」

「!!」

紫苑が振り向いたら、困りそうに笑っている珊瑚がいた。

珊瑚が目線を投げる方向に、右腕が悪鬼の姿になった修良は空に浮かんでいて、破滅の力で霧を展開している。

修良の下に、幸一を呑み込んだ大きな黒洞が浮かんでいる。

修良の霧は空で境界線を描き、極光の降下を阻止する。

霧と極光が隣接しているところ、二つの力が強く衝突して、虹色の火花が迸る。

その衝突の光に照らされた修良の顔が強く引き締めていて、まさに爆発寸前。

意外なことに、紫苑は怯えることはなく、修良に駆け付けながら大声で知らせた。

「修良様!!幸一様は、『心魔』に呑み込まれました!!」

「っ!!」

修良は何かに刺されたように、瞳が震えた。

すぐに、彼は右上半身まで悪鬼化し、もっと多くの破滅の力を生み出した。

破滅の霧は一匹の龍の姿になり、咆哮しながら極光を押し返すように空を駆ける。


珊瑚は黒洞を見て、困惑しそうに目を細めた。

「あれは心魔?でも、修良さんはそれが旧世界への扉だと……」

「旧世界への扉だけど、だけど、幸一様の心魔でもあります……」

紫苑はできるだけ早く説明したい。でも焦れば焦るほど、適切な言葉が出なくなる。

霧の龍で極光を食い止めた修良は彼の説明を待たなく、身を落とし、黒洞に飛び込んだ。


*********

旧世界から新世界に来る当初、天良鬼は長い長い暗闇を歩いてた。

それでも、寂しさや恐怖を感じなかった。

胸に抱えているその魂は、ずっと暖かい光を灯しているから。

その長に道に比べれば、幸一が開けた旧世界への道はあまりにも短い。

全力で駆ければ、瞬き数回で抜けられた。

それでも、修良は数千年の長さを感じた。

暗闇の通り道から出て、修良の視野は一片の白灰色に染められた。

寒さがないのに、空気は凍り付いた匂いがする。

旧世界の遺跡は、虚空に浮かんでいる。

空に太陽も月もなく、ただ白灰色が無限に広がる。

寂れた風は微かな砂を巻き起こす。

周りは動物の骨なのか、建物の残骸なのか、形容しがたい塊がたくさん散乱している。

目の前の道は、崩れた城壁へ続いている。

右手の遠くない先方に、砂の海が見える。

左手の先に、神の幹と呼ばれる柱の残体が聳えている。

旧世界でもともと隣接しなかった複数の境界が隣り合わせになっている。

この遺跡は、意識と現実の狭間にある不思議な境界だ。

修良はできるだけ心を静かせて、幸一の居場所を感知する。

「!」

幸一の気配を掴める前に、神の幹のほうから光の玉が浮かんできた。


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