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七十四 真っ白な憧れ

ほんの少し前に、幸一はバラバラになった祭壇に登って、神の幹の残骸に触った。

すると、柱は微弱な振動を出した。

旧世界が滅んだ時、もう知るものはいないかもしれない。この祭壇と神の幹は、天良鬼を処刑するためのものではない。

古い伝説によると、これらは新しい神となる人を迎えるためのものだ。

でも、還初太子は死ぬまでに、その神が自分であることを知らなかった。

還初太子の生で、彼の魂は神となるための任務をすべて完成したが、予定のないひどい殺戮行為によって、天罰を受けた。

それでも罪を清算しきれなかったから、旧世界が滅びる前に、平安という少年に転生し、破滅の苦痛を経験した。

平安という少年はよくやった。すべての人は罪を他人に押し付け、自分だけの救済を求める腐りきった世界で、ただ一人で良心を保った。

平安が死んだ後、すべての記憶も感情も洗浄され、神としての新生を迎えるはずだが、その魂は悪鬼に攫われたゆえに、神にならなかった。

前世を思い出した幸一は知っている。

世界の意志は、旧世界の徹底的な終結を求めている。

古い世界は消え、新しい世界の養分となる。そして、新しい世界もいずれ終結を迎え、次の世界の養分となる――それは世界の循環というものだ。

この遺跡で自分を祭れば、前世で結びつけなかった一つ循環が完成する。

世界の意志は彼を呼んでいる、催促している、求めている。

だけど、そんな終わり方は彼の望むものではない。

幸一はもう一度空を仰いぐ。

破滅の日に空をかける悪鬼の残影を見た。

彼は神の幹から手を引き戻し、祭壇を後にした。


幸一が本当の目的地は、砂の海だ。

そこで、魚人たちが真珠を採取する隧道が残っている。

迷宮のような隧道の深い深いところに、還初太子はお宝を隠した。

旧世界に来る理由は、そのお宝のためだ。

目印の鯨の骨の下で、幸一はを両手で砂を掘る。

まもなく、彼はお宝に触った。

「……あった!」

嬉しい気持ちで砂から七色光る真珠貝を掬いあげたばかり、いきなり、後ろから厳しい声がした。

「何をやっている?」

「!」

幸一の動きが止まった。

信じらないように、少しずつ振り返って、手の届くところまで来ている修良に目を向けた。

「先輩……どうして、ここに……?」

「神の幹のほうに誘導したのに?」

修良は幸一の疑問を補完した。

「幸一のやりたいことに気付いていないと思う?」

「こっ、幸一じゃないよ。還初太子で呼んでください」

幸一は慌てて白を切った。

「言っただろ。私にとってのあなたが一人だけだ」

修良は顔色を変えずに、幸一の目をまっすぐ見る。

「そんな、強引だな。あれから二回も生まれ変わったから、さすが違いがあるだろ……?」

修良の強い眼差しに心を焼かれて、幸一は気まずそうに目線を避けた。

「幸一より強引な人は何処にいる?」

修良は人間の左手で幸一が真珠貝を持つ手の手首を掴み、重い一言を置いた。

「あの時、もう言ったはずだ。私はほかのものになるつもりはない」

「!」

幸一はちょっと動揺したけど、やはり諦めずに真珠貝を懐に収めた。

「でも、もう世界が変わったんだ!先輩は悪鬼でいる必要がなくなる。悪鬼のままだと、先輩は人型を維持するために、膨大な生命力を取り込まなければならない。旧世界の残骸はいずれ全部消える。先輩はまた悪鬼になるかもしれない!」

「私はどんな姿でもいい。それに、あなたから霊気を分けてくれれば、私は消えない」

修良は安定な声で幸一を落ち着かせようとした。

しかし、その発言は逆に幸一を刺激した。

幸一は修良の手を振って、強く反発した。

「先輩がそれでよくても、俺はよくない!」

「!」

修良は驚きで目を大きく張った。

幸一の体から、黒い力が湧き出ている。

世界が滅んでいても汚さなかったその魂に、魔が生れたなんて……そんなこと、ありえるのか……!?

「なんで俺なんだ!?先輩は、鬼さんは旧世界の悪意を、世界を滅ぼした罪を背負ったのに……なのに、旧世界の福徳は、全部俺に振り込まれた!そんな理不尽なこと、おかしいだろう!!」

幸一は修良の両腕を掴んで、必死に訴えた。

その澄んだ目から、修良は初めて闇のような葛藤を見た。

「先輩は、世界が進化するための道具じゃない!だから、俺はその福徳をすべて念力に変えて、願う。きっと、先輩を元の姿に戻せる!!」


幸一の不穏な感情に共鳴し、遺跡が強烈に振動した。

隧道の天井に亀裂が現れ、欠片が落ちてきた。

でも、修良は一歩も動かなかった。

彼の心臓は、獣の牙に噛まれたような激しい痛みを感じた。

まさか、幸一に心魔が生れたのは、自分のためなのか……!

いくら本人の福徳ても、あんな膨大な力を一気に変えるような無茶なことをしましたら、幸一はきっと消滅する。

なぜ、もっと早く幸一に打ち明けなかったのか。

悪鬼でいることは、もう苦痛ではない。

理不尽とも思っていない。

むしろ、悪鬼でるから、幸一を守られる。

悪鬼でるから、思うままに幸一を縛られる。

悪鬼でるから、幸一を感じられ、生きている実感がある。

……

言えなかった理由は、修良はもう気づいている。

(私は、還初太子の約束も、幸一の気持ちも信じていなかったようだ……)

(心のどこかで、まだ幸一に拒絶されるのが怖い。)

(私の臆病が、幸一を追い詰めた……)

「それは、あなたの心魔なのか……」

自分を責めながら、修良は脆い何かを包むように、幸一の両頬を手に取った。

浄心の呪文を唱えようとしたら、幸一に口を塞げられた。

幸一の体が魔の気配に纏われているが、両目の光がさらに増した。

「心魔じゃないよ。それは、俺のずっとしたかったことだ。還初太子の生の前から、そうしたかった!」

「還初太子の生の前から……?」

修良は戸惑った。彼は還初太子以前の幸一を知らないはずだ。

幸一は一度軽く苦笑して、逆に修良の両頬を掴んだ。

「先輩はもう自分が天良鬼だった頃の姿を思い出せないだろ?それ以前の自分の姿も忘れたのだろう」

「そう、だろう……」

修良の生は長すぎる。寂しい過ぎる。

何かを覚える必要もないし、誰かに覚えられる必要もない。

還初太子が現れる前に、ずっとそう過ごしてきた。

幸一は目を閉じて、何か美しいものを思い出したように、幸せそうに微笑んだ。

「でも、俺は覚えてる。魂に焼かれた、あなたの純白な姿。俺は――ずっとずっと昔から、あなただけを見つめていた……」

「!」

ふいに、修良も思い出した。

はっきり聞こえなかった、還初太子の最後の言葉は――

「本当は、あなたを、真っ白な姿に戻してあげたかった……!」

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