切なる願いのように呟いた和兄は、俺の手を掴んでいた手を片方だけ離すと、その手で俺の顎を掴んだ。
そして、俺を無理やり和兄へと向けさせると、じっと見つめたまま、また顔が近づけられた。
近づいてくる目は冷たく、目の前にいるのは和兄のはずなのに、俺には知らない人に思えて恐怖を覚えた。
「やだ……!」
俺は和兄の頬を、思いっきり手で叩いた。
「り……お……」
叩かれた頬を確認するように、自分の頬へ手をあてた和兄は、少し冷静さを取り戻したのか、慌てて俺から離れていった。
「和兄、ごめん……」
「謝らないでくれ。今のは完全に俺が悪かった……」
ベッド脇に立った和兄は俺に背中を向けると、反省するように項垂れた。
「こんなことしておいてなんだけど、本当に理央のことが好きなんだ。だから……」
(でも、和兄が本当に好きなのは那央なんじゃ……。どうして俺のこと……)
「和兄。俺……」
「待った! 勝手なのはわかってる。けど……今は答えを……今は聞きたくないんだ。明日の体育祭が終わるまで、もう一度ちゃんと俺のことを考えて欲しい……。だから……」
(和兄……)
俺に背を向けているため和兄の表情は分からなかったが、声から必死なのが伝わってきた。
「わかったよ……」
そんな必死な和兄を前に、今の俺には、そっと頷くことしかできなかった。
「ありがとう」
「うん……」
和兄にお礼を言われると、罪悪感から胸が締め付けられた。
罪悪感を感じてしまったのは、俺の中で答えはもう、決まっていたからかもしれない。
俺はそんな罪悪感を覆い隠すように、掛け布団を引っ張って、顔を半分ほど隠した。
「……。最後に、ひとつだけ教えてくれ。月宮先輩は知ってるのか……? その……クラスのヤツらから無視とか、嫌がらせされてること……」
「えっと……」
和兄に急にそんなことを聞かれ、俺は返答に困ってしまう。
(直接話したわけじゃないけど、騙されたときのメモを見られたんだよな。だから、ここで全く知らないって言うのも……)
「うん……。ちょっとだけだけど……」
俺は迷った末、そう和兄へ答えた。
すると、和兄は俺に背を向けたまま歩き出して、閉ざされていたカーテンを開けた。
「理央……。今日は早退して病院送ってくから……。このままちょっと、ここで待ってろ」
「えっ……? 和兄どこへ……?」
俺の質問は聞こえていたはずなのに、和兄は答えないまま、カーテンを後ろ手で閉めた。
そして、そのまま俺の視界から消えてしまい、ドアが開閉された音だくが聞こえてきた。
「行っちゃった……」
一人残された俺は、茫然と白い天井を見つめてしまっていたが、今の状況を一旦整理しようと上体を起き上がらせた。
(和兄にキス……されちゃった……)
唇の感触を確かめるように、俺は指先を唇へ触れさせた。
(でも、なんで……? 和兄が好きなのは那央のはずじゃ……)
考えたところで答えが出ないことに気付いた俺は、起き上がらせていた上体を倒して、また天井を見上げた。
瑛斗先輩も和兄も、俺には何を考えているのかわからない。
明日は体育祭本番。
きっと、この足じゃ競技には出られないが、問題は山積みのままだ。
姫役にクラスメイト、そして和兄に瑛斗先輩。
俺はどうしていいか分からず、目の上に腕を置いて視界を隠した。
(瑛斗先輩……)
視界を遮った目の奥から浮かんでくるのは、瑛斗先輩の顔だった。
俺を心配する顔に、笑う顔。
怒った顔に、辛そうな顔。
次々に浮かんでくる瑛斗先輩の顔を脳裏に残しながら、俺はそっと目の上から腕を退かした。
(もし、いつもの瑛斗先輩なら……俺になんて言ってくれるだろう……)
想像すると、答えは簡単だった。
(きっと一つ一つ、解決していくようにとアドバイスしてくれたと思う。だから……)
俺は胸元に手を置いて、拳を作ると力を込めた。
(クラスのことは……このまま本当に大人しくやられっぱなしでいいのか? いや、いいわけがない。和兄にもこれ以上心配かけられない。瑛斗先輩も……。それなら……)
俺は思いついた秘策を胸に、新たな決意をした。
そして、問題を解決したそのうえで、和兄、瑛斗先輩ときちんと話しをしようと思った。