【7】
「この犯罪歴だと方向性が違うんじゃないかな」
「しかし、精神傾向では咄嗟の犯行の線も……」
「生存前提じゃな……アンカレッジに一体何件の家があると思ってる」
暖房の効いた会議室の一室。複数人の職員が机に資料を広げ、ホワイトボードに事件捜査についての進捗を書き記す。四人の職員が忙しく調べている中、部屋に入室したラジオ達五人。ラジオの指示で捜査を続けて半日以上経ったが、未だに大きな進展はなかった。
八年動かなかった事件なのだからそう簡単にはいかないだろう。入ってきた粳部達に職員が気が付き声を掛けた。
「ラジオ隊長、お疲れ様です」
「どうも。進展は無さそうですね」
「はい、犯罪歴や知能面からの捜査では星は出ません。もっと範囲を広げましょう」
「アラスカ州内で見つけたかったんですが……仕方ないですか」
あらゆる資料や職員がこうして集めた情報、藍川達の捜査ではプラネを攫った犯人を特定することができなかった。当初の推測では犯人はそれほど事件現場から離れた距離に住んでいないという見立てだったが、これだけ調べて見つからないのはそもそもの調べ方を間違えている可能性がある。
ラジオが机の上の資料に目を通す。谷口と粳部がホワイトボードに近寄っていくとその内容に目を通し、谷口がラジオの方を向いた。
「犯人が運送業の可能性はどうだ。事件現場付近の大通りは、丁度運送ルートの筈だろう」
「トラックを停めて……煙草を買って、雪の降らない路地に入ったとかっスか?」
粳部の見立てでは、被害者は偶然遭遇した運転手に捕まってトラックで運ばれたという算段だ。あまりにも突発的な犯行で証拠が残らず前兆もなく、長年未解決になっているのはトラックで現場からかなり離れてしまったから。そう考えればかなり合理的な見立てだが、残念なことにそれを肯定する証拠はない。
「粳部さん、その可能性についての資料を作ってあります。事件当時の運送業者の資料です」
そう言って彼女は資料の束の中からある書類を取り出し、粳部に手渡して見せた。
「えっ!?もう調べてあるんですか!?」
「確かに、当時トラックが大通りの傍に止まっていた証言があります。あり得ない話じゃない」
「ではラジオ隊長、当時の証言と運送業者の記録を洗ってみます」
「許可します」
ラジオの許可を得ると職員は資料をまとめて抱え、部屋の奥に向かうと机に資料を置き他の職員に指示を出す。それを聞いた職員はノートパソコンに向き合い検索を始めた。事件捜査に慣れた職員達は上司の命令に従って淡々と捜査を進めるが、それでも成果が出るのはまだまだ先だ。
ラジオの様子を伺っていたある職員が、機を見てラジオに近付いていく。
「隊長、トラックなら未遂の事件があります。山奥のドライブインで少女の誘拐未遂」
「それ、どこの事件です?」
「テットリンのドライブインです。赤毛の男二人の口車に乗せられ、誘拐されかけた」
「初めて聞きましたが赤毛は共通点ですね。いつです?」
「十年前ですが、目撃証言は複数ありますよ」
アメリカとカナダの国境から少し離れた場所、プラネの住む事件の起きたアンカレッジからはかなり離れたものの、犯人がトラックを使っていたのであれば長距離の移動は目立たない。アメリカではトラック運転手による犯罪がある程度あり、決してそれはあり得ない話ではなかった。
「分かりました。一旦そういう情報を集めてください。分担します」
「承知しました」
指示を受け職員が机に戻っていく。ラジオは自分にできることを精一杯やっていた。精神的に優れていない状態ではあったが、彼女に考えられる可能性を全て潰して犯人を探していたのだ。しかし、プラネが帰ってくることはない。ある致命的な見落としをラジオが本当の意味で自覚しない限りは。
ラジオが机に座る。
「犯人は、非常に狡猾で自己肯定感の低い人物。薬物か酒に強く依存した経験がある……」
「これだけの情報でよく分かるっすね……」
「長年追ってると、少ない情報でも見えてくるものがあるんですよ」
「だがな、犯人を特定できる証拠はないんだぞ」
藍川の指摘は尤もだ。実際、ラジオには見えていても証拠がなければそれは妄想になる。情報さえ揃えば解決できるというのに、その情報が不足しているのが一番の痛手だった。
ラジオはポーカーフェイスを貫く。
「私の権能をフル稼働して声が引っ掛からないのは、相当変人ってこと」
「お前、そろそろ権能止めないと脳が壊れるぞ?」
「テレビや携帯などの電子機器を持たない。犯人は反文明主義かも」
「案外、司祭だったりするかもな?文明の利器に反発してるし」
冗談めかして藍川が笑う。ラジオの権能は圧倒的な有効範囲を持っているが、それでもスピーカーがある機械からしか音を拾うことができない。あらゆる些細な音を拾って何かしらの犯罪と関係していないかを探る彼女だったが、それらしい情報は未だ出ていない。短期間で見つけられるのであればこうも長期化しないのだ。
笑っていた藍川がパイプ椅子に深く座り込む。その様子は力なく青ざめており、片手で両目を覆って不調を訴えかけていた。
「鈴先輩?疲れましたか?」
「ああ……流石に権能の使い過ぎで反動がキツい。もう無理だ……」
「お疲れ様、ホテル行って休んでいいから」
「そうする。谷口、俺が心を読めなかった相手について調べてくれ」
彼にそう言われ、了解した谷口が親指を上げてサインを出す。藍川は旧イギリスでの戦闘で精神的にも肉体的にも疲弊しており、そもそも病室に居ないといけないこともあり限界だった。ラジオに連れられて容疑者を片っ端から読心していた彼にも、少しくらいは休みが欲しい。
立ち上がった藍川は出口へ向かい、少し乱暴に扉を開けると外に出て行った。
「片っ端から読心して疲弊したんだろう」
「あの……私は何すればいいんすかね?」
「粳部さんは事件前にアラスカ州で、家をリフォームして準備してた人を探してください」
「了解です!あり得る話ですね」
ラジオが考えていたのは、犯人は監禁の為にわざわざ監禁場所を整えて入念な準備をしていた可能性があるということ。あっという間に起きた手早く躊躇のない犯行は、事後処理が容易であることから生じていたのだろう。でなければここまで突発的な犯行はできない。
粳部が閉じていたノートパソコンを開いて椅子に座る。資料の束を捲りながら調べ始めようとしたその時、無口な谷口が口を開いた。
「ラジオ、目的は何だ?」
「……被害者の救助ってことですか?」
「違う。お前は捜査開始前、事件解決の為にと職員を集めていた筈だ」
「何が言いたいんです」
ラジオのポーカーフェイスは崩れないものの、仮面を着けている谷口とのにらめっこは分が悪かった。彼が何を言いたいのかを薄々理解していたラジオの声色は低く、粳部は僅かにイラつきや焦りのようなものを感じる。それは、車内で話した時のような。
「被害者はもう亡くなっている可能性が高い。解決の為に、捜査の方針を……」
その時、谷口の言葉を聞いたラジオが豹変する。
「亡くなる筈ない……!プラネは今も私の助けを待ってる!」
「ら、ラジオさ……!?」
「言いたくないが時間の無駄だ。身元不明遺体から情報を……」
「生きてることが前提!それ以外は何も!聞きたくない!」
取り乱したラジオは完全にポーカーフェイスを崩してしまい、今まで隠していた焦りと恐怖を爆発させる。被害者が生きていることを前提に捜査を進めるラジオと、効率的に進める為に身元不明遺体から被害者を探したい谷口の意見は交わらない。彼女がそれを受け入れることは、できない。
「プラネはあ!」
「あ、あーっラジオさん!この辺りに良いレストランありますか!?」
【8】
「いやーそれにしても良いお店っスね」
「私も初めて来ましたけど」
現在時刻は二十一時だが、アンカレッジの空はようやくオレンジに染まった頃合いだった。人の居ないレストランの客は粳部とラジオの二人だけ。テーブルのオイスターをつつくラジオとステーキをナイフで切る粳部。食べやすい大きさに切られた肉が彼女の口に運ばれていく。
「しっかし、粳部さん本当に油っこいもの好きですね」
「アメリカ来たら肉に限りますよ」
「まあ、それはそうかも」
粳部が赤ワインに口を付ける。ほのかに甘いステーキのソースと赤ワインが上手く合わさり、ワインの複雑な味わいがベストなタイミングで脳に届く。普段あまり酒を飲まない粳部ではあるが、誰かと食べに行く時は酒を飲むことにしていた。
ラジオが彼女のオニオンリングを勝手に食べる。
「普段お酒飲まないですけど、誰かと飲むお酒は好きですよ」
「司祭は酔えないのであんまり美味しくないですけどね」
「そういうとこ融通利かなくて嫌ですね……司祭って」
「概念防御が邪魔になることあるんですよね。親知らず麻酔抜きだし」
「そ、それは耐えられないかも……」
若年に司祭になった場合は抜歯していない親知らずが悲劇を生むことになる。医者の司祭は存在するものの、あまりに貴重である為に世界中で引っ張りだこにされていた。それ故に司祭は痛みに耐えることしかできず親知らずを気合いで抜く。
辛口のウイスキーを嫌そうに飲むラジオ。
「甘くないの頼んだらこれですか……趣味に合わないです」
「あっ、ラジオさん甘いもの弱点でしたね」
「生きる分には問題ないですけど、甘党にはキツイですね」
甘味に対する生理的な嫌悪感は彼女の味覚を破壊し、今までの生活の全てをひっくり返した。彼女にとってそれがどれだけ屈辱的で残酷な仕打ちだったかは想像に難くない。何も気にしていないような表情をするラジオだったが、粳部はその奥を見抜いていた。
粳部が眉をひそめる。
「この資料、黒塗りの箇所があるんですよ。被害者の知人の個人情報が」
そう言うと彼女は椅子に置かれた鞄の中から書類を取り出す。グラスのウイスキーを飲みつつも視線は粳部の方に向けているラジオ。長い英文の文字列の中にある黒塗りの箇所に視線は吸い寄せられ、いつもの笑顔が崩れて真顔になっていく。
鞄に資料を戻す粳部。
「鈴先輩に聞いたんです。黒塗りが何なのか」
「……」
「その等級で閲覧できない情報。国家の安全に関わるものや、職員の個人情報」
「……後者で当たりですよ」
静かに呟くラジオ。そこに谷口との会話で取り乱していた彼女は居らず、言い逃れもせず事実を淡々と語る。その様子に思わず拍子抜けしそうな粳部だったが、いつか神社で見た真剣さと弱々しさから事態を察する。この問題が根深いことに。
「プラネは私の親友です。十二の時からの仲で……知らないことは何もありません」
「やっぱり……だからこんなに本気で探してるんですね」
「世界で一番大切ですから。暇さえあれば調べてますよ」
事件が起きてから八年の月日が経っているが、ラジオにそんな事情は関係ない。大切な友達を取り返す為ならば寝る間も惜しんで捜査を続け、事件に関する全ての情報を収集する。彼女と再会する時が訪れるまで止まらない、止まれない。
「目に入れたって痛くない……」
「……今までずっと無理してたんですね」
「……確かに、無理ばかりしてたかな……柄じゃないし」
ラジオの声色が変わり低く静かなものに変わる。しかし、それは怒りや悲しみなどの感情による変化ではない。普段のハキハキとした雰囲気から一変した彼女ではあったが、そこに一切の無理はなくむしろリラックスしているようだった。
粳部は驚きつつもそれが彼女の本性だということを理解していく。
「ハキハキするのも柄じゃない……プラネの捜査だけしてたいのに」
「えっ……えっ?」
「……そんなに驚くことじゃない」
「驚きますよ!?普段とテンションが真逆じゃないですか!」
ラジオの噓っぽさについては以前から粳部は察していた。だが、彼女が纏っている胡散臭さに気が付いていても、それは愛想よくして人間関係を作ろうとしているからなのだと解釈していたのだ。しかし、事はそう単純ではなくそこには二つの意味がある。社交的な演技で関係を作るだけでなく、自分の弱さを見せないようにしていたのだ。
「演技をしていた方が上手くいく……人付き合いは苦手」
「それは……私も大いに賛成」
「……プラネは私と違って人付き合いが得意だった」
粳部とラジオの気質は近い。やろうと思えば仮面を被り演技をできるという点では、ラジオの方がある意味明るいかもしれないだろう。
ラジオが窓の外を見る。
「ケーキも焼けた……秀才だった」
「……教えてくれますか?プラネさんのこと」
「……構わない」