【10】
「八年前にこちらによく来ていたジョン・ハイタワーさんはご存じですか?」
「ハイタワーですか?懐かしいな、辞めた後は知りませんが」
古めかしいドライブインにて、容疑者の一人について質問するラジオ。ガラスの向こう側に降りしきる雪を見つめる粳部。効きの悪い暖房の風が彼女の肌を撫でていくが、空腹の粳部にはまだ少し寒かった。車内の方がまだ暖かい。
ラジオが従業員の男性に質問を続ける。
「当時はトラック運転手で、仕事の休憩でよくここに来ていましたよね?」
「ええそうですよ……これ何の捜査です?」
「誘拐事件の捜査です。彼とはどういう話をしましたか?」
「世間話です。常連の仕事がどうだとか、アメフトの試合結果について話しました」
ラジオの持っている写真を覗き込む粳部。二人が捜索している容疑者のジョン・ハイタワーという男性がそこに映っており、痩せ型で三十代くらいの金髪の男性だった。犯人像から少し離れているものの、犯人像と実際の犯人が一致しないケースはいくらでもある。
「あの、誘拐って何です?」
「彼が誘拐事件に関わっている可能性があります。何か不審な点は?」
「不審って……まあ、前科はありますけど気のいい奴でしたよ」
「わ、悪い人との付き合いはあったん……ですか?」
人見知りが発動したどたどしく話す粳部。仕事に関しては大分慣れてきたとはいえ、粳部の性格が変わるわけではない。依然として彼女の人付き合いの苦手さは変わっていなかった。
従業員の男性が心当たりのあるような反応を示す。ラジオはそれを見逃さなかった。
「悪い奴となんてありませんよ、多分」
「知ってるんですね?」
「……いい奴だが変な奴なら」
心当たりはあった。事件の謎を解く鍵も。
「と言うと?」
「元ドライバーの気のいい奴が居るんだ。アメフト好きでハイタワーと話してた」
「その人がなっ、何か?」
「……変人で、自然が好きな奴なんです。なるべく機械を持たないようにしてた」
その言葉を聞いて粳部は思わずハッとする。以前、ラジオが犯人は反文明主義だと言っていた。それが見事に的中していたのだから驚かざるを得ない。文明の産物である機械を拒絶して生活しているというのは、普通の人間とは言えないだろう。
「ちょくちょく女を口説きに行ってたな。成功してたかは知らないですが」
「その人酒好きですか?既婚者です?」
「大酒飲みでした。ここへも酒を飲みに来てた。もう離婚したらしい」
「あ、赤毛の白人ですか?こ、小太りだったり……」
ラジオの酒飲みという見立ては当たっていたが、目撃証言と容姿が一致していたら犯人の可能性が高くなる。容疑者について捜査に来たら、別の容疑者が浮上するという思わぬ収穫なわけだ。上手くいけばこのまま逮捕まで持ち込める。
「まあ大柄ではあった。でも、ラテン系で黒髪だぞ?」
「あ、あれっ?」
「よくあることです。元ドライバーだって言ってましたが」
「ああウチの先輩が言うには、十年前に事故って脚に障害がある」
問題点が浮上する。もしその人物が犯人なのであれば、事故が原因で運転ができないというのはおかしい。被害者を襲って運ぶのにタクシーを使う筈がなく、確実に何かに乗せて彼女を運んだ筈だ。だが、運転ができない状態なのでは犯行ができない。
「……そうですか。一応、その方の名前は?」
「レッド、レッド・ガードナーです」
「ご協力ありがとうございました。何か思い出したらこの番号に」
彼女はそう言って名刺を手渡し、そそくさとドライブインを出て車へと向かう。急いで粳部がその背を追いかけ車に乗ると、ラジオが運転席に乗り暖房の温度を上げた。薄着の粳部を気遣ってのことだろう。ラジオの演技の表情が消えて素に戻る。
「レッド・ガードナーを調べ上げる……犯人の可能性が高い」
「うわあ!急にテンション変えないでください!」
「そんなに驚くことじゃない……」
とは言え、いつも明るく飄々としているラジオに慣れている彼女からすれば慣れないことだ。一気にテンションが低く厳しい表情をされては温度差で風邪をひいてしまう。
「慣れないんですよ……素がそれだっていうのは納得ですけど」
「ならこれから慣れて」
彼女はそう言って携帯電話を取り出すと電話を掛ける。
「私です。レッド・ガードナーについて調べてください。有力な容疑者です」
『承知しました』
短いやり取りで捜査を要請し電話を切る。ラジオは長年の捜査による経験と勘で何かを掴んでいた。具体的な証拠を得たわけではないが、彼女にだけ分かる何かがある。レッド・ガードナーが犯人だと直感が囁いているのだ。
「何故彼が犯人だと?足に障害があるなら誘拐は無理ですよ」
「共犯が居る……女好きは嘘、獲物を品定めしてた」
「……誘拐を実行する共犯者ですか。でも何で分かったんです?」
「アメフト好きから分かった。女性への興味関心がなく、強い敵意を持ってる」
ラジオは四年間蓮向かいで仕事をしており、部隊の隊長を務めるだけの実力を持った人物だ。少ない情報でも様々な傾向を使って犯人を分析していく。
「でも過去に結婚してたって……」
「カモフラージュ……高いIQで人の良い人物を演じてる」
「ラジオさんって捜査の天才ですよね……真似できない」
「……皮肉な話。プラネと居たら成長できなかった。でも、今は天職」
やりたいことも自分に合った職もなかったラジオが、今はその才能で隊長の座にまで上り詰めた。例え司祭に覚醒しなかったとしても、アンカレッジでくすぶっていなければいずれその才能を拾われたことだろう。アンカレッジでくすぶってさえいなければ。
車内にアイドリング音が響く。
「空港で引き返してたら……私はあの子と居られた。あの日、店を出るのを止められた」
「それは結果論です……旅立ってなくても事件は起きたかも」
「才能は芽吹かなくて良かったの……私がアンカレッジでくすぶってれば」
そうしていれば、プラネは才能を開花できず精神的にも未熟なままだった。プラネが居なければ何もできない女だった。だが、彼女からすればそれで良かったのだ。プラネが消えてしまうくらいならばそうすれば良かったと本気で考えていたのだ。
「行っちゃいけなかった……」
「……でも、プラネさんを取り戻せばその才能を愛せるようになる」
「……どうだろう。そんな自信はない」
車が走り出し駐車場を出る。そして、真実へ向かう。
【11】
『どうしてっ!どうしてだっ!』
壁に拳を叩き付けるラジオ。どうしようもない怒りから壁に八つ当たりをするが、そんなことをしてもプラネが帰ってくることはない。当時、プラネが行方不明になってから三か月が経っていた。捜査についての報道が減少し、新証言も少なくなってコールドケースが近付いていたのだ。当然、彼女がそれを耐えきれる筈がない。
ラジオの自室は物で散乱していた。
『何でプラネが……どうして私は』
その時、部屋の扉が少し開くと中から双子の姉たちが覗き込む。様子のおかしい妹のことを心配した彼らはどうにかして落ち着かせたかったが、見た事のないくらいに取り乱した彼女にできることはなかった。
『アウラ……そんなに焦らなくて大丈夫だよ』
『そうだよ、警察がどうにかしてくれるから……』
『三か月だよ!?あの子が消えて三か月!手掛かりもない!』
事件を追うラジオにできることはない。彼女の住む州とアラスカ州は距離が離れ過ぎている為、現地に脚を運ぶことが簡単にはできないのだ。すぐにでも飛行機のチケットを買いたいラジオだったが、彼女を心配した彼女の家族がそれを止めたのである。
姉たちが眉をひそめる。
『プラネが消えたのにどうして私を行かせてくれないの!』
『ごめんね……辛いの分かるけどそれはできないの』
『アウラが落ち着いたら連れていってあげるから』
『またそれ!?それで三か月経ったでしょ!お姉ちゃんの力で何とかしてよっ!』
二人揃えば最強無敵のバッフハルト姉妹の力は絶大だ。投資や数学の天才である双子の総資産はとんでもない額になっている。子供の頃から大人顔負けの頭脳を持つ双子に怖い物などなかった。それを見て育ったラジオからすれば、二人にできないことはないと思っていたのだ。
だが、天才にもできないことはある。
『ごめん……警察にコネはないし……私はただの投資家だから』
『州議会議員に金でも渡して警察に圧力掛けさせよっか?それなら……』
『でも私達アラスカに関係がないしなあ……準備に時間掛かるよ?』
『……ごめん、そんなことしなくていい。忘れて』
冷静になったラジオが謝罪する。例え取り乱していたとしても姉に迷惑を掛けたいとは思っていないのだ。ラジオが落ち着いたのを見た姉たちが部屋に入り、彼女を抱きしめる。今はそうしてあげることしかできないし、それが最善だと知っているのだ。
『大丈夫だよ、どうにかなるから……』
『プラネちゃん絶対無事だからさ……ねっ』
『……うん……うん』
慰めたとしても彼女は帰って来ない。
『ラジオ隊長、本日はお忙しい中ありがとうございます』
『えっ?ああ、はい』
蓮向かいのカウンセリングルームにて、ラジオは水槽を見ながら遠い昔のことを思い出していた。彼女はいつ何時もプラネに関することばかり考えている。彼女以外のことは考えられない人間なのだ。どうにかして昇進し、権力を手に入れて捜査に使いたいと考えてはいるが。
部屋に入って来た女性カウンセラーが彼女の前の椅子に座る。
『カウンセリングの結果をお伝えしたいんです……よろしいですか?』
『ええ、あまり時間がないので手短に』
『……結果はイエロー、今すぐセラピーを受けてください』
眉をピクつかせそうになるラジオだったが、何とか気合でポーカーフェイスを維持した。カウンセラーに余計なことをさせない為に、この場を乗り切る為に嘘を吐く。今は余計なことに時間を使えないのだ。
彼女が笑い声を上げた。
『はははっ!そういや最近藍川さんがレッドの結果でしたね』
『特別休暇を申請しましょうか?あなたには少し休みが必要です』
『残念ですがセラピーを受ける時間がないんです。自分で何とかしますよ』
『ラジオ隊長、本当に心配なんです。ハッキリ言って……あなたは疲れてます』
疲れている、だからと言って彼女が止まることはできない。プラネを見つけるまで休むわけにはいかないのだ。いつ彼女が誘拐犯に危害を加えられるか分からない以上、ラジオが安心して眠ることはできない。
『疲れていることは休む理由になりますか?』
『なりますよ……何かリラックスできることを探してください。ゲームやマッサージとか』
『……そういえば、ここ数年クッキングに凝ってるんです』
『初めて聞きましたね。どういう物を作ってますか?』
『ケーキです。好きなケーキを再現しようとしてるんですよ』
それがリラックスできるかどうかはさておき、ラジオは定期的にケーキ作りを行っている。
『美味しくできましたか?』
『美味しく?仮に美味しくできたとして、私にそれが分かるかどうか』
『ケーキ作りは難しいですか?』
『親友のケーキを再現するのは骨が折れます。彼女プロだから』
ラジオの味覚は正しく機能しない。司祭としての弱点から甘い物に対する生理的な嫌悪感を持っている彼女は、自分が作ったケーキを食べる度に耐え難い苦しみを感じてしまう。吐き気を堪え時に吐きながら実験を繰り返し、プラネのケーキの味を目指していくのだ。
『食べては吐いてを繰り返してるんです。あと少しだと思うんですけど』
『……何が足りないと思います?』
『シナモンと……愛とか?』
『そうかもしれませんね。あと……レモン汁とか』
それを聞いてラジオは笑みを浮かべ、席を立ち上がりカウンセリングルームを出ようとする。
『ちょっとラジオ隊長!』
『アドバイスどうも!セラピーは仕事が終わったら受けますよ!』
プラネを取り戻しさえすれば何だって受けてやる。ラジオはそう考えていた。
深夜二時、携帯電話の音で目を覚ます。ホテルのベッドで横たわるラジオはすぐに携帯電話を取ると応答した。事件に進展があったのであれば昼夜を問わず対応するのがラジオという人物だ。
「はい、何ですか」
『レッド・ガードナーの情報が出ました。前歴なし、ですが児童虐待を受けていました』
「なるほど他は」
『IQは百三十六、成績優秀で飛び級で大学に行きましたが中退したんです』
ラジオの推理は大体当たっていた。レッド・ガードナーは成育歴に問題があり高IQ、大学に飛び級で入れるほどの優秀な成績の人物だった。つまり、今までで一番犯人の可能性が高い。
『その後はトラック運転手になり事故で退職。その頃から反文明主義に傾倒』
「元奥さんについては?DVしてたでしょう」
『藍川司祭が読心で読みました。確かに過去にDVをしています』
そして、彼女は遂に確信を掴む。
『それと……彼は現在、森の小屋で友人と同居しています』
「……彼は白人で赤毛、眼鏡を掛けていて八年前に運転免許と車を所有してた」
『えっ、えっと……全部当たっていますが』
「ご苦労様です、現住所を後で教えてください。追って連絡します」
職員の返答を聞かずに電話を切り、すぐに藍川に電話を掛けるとスピーカーに切り替えてベッドに置く。コール音が鳴る中、ラジオはバスローブを脱いで着替え始めた。そんな中、藍川が電話に出る。
『俺だが、何だこんな時間に』
「犯人を見つけた。家に行くから同行して」
『……そうか、良かったな……すぐ駐車場に行く』
「あと、粳部さんも起こして。途中で谷口さんも拾います」
部隊の全員で家に突入し犯人を確保、被害者を救出する算段だ。これでプラネは救助され全ての問題が解決する。ラジオを苦しめ続けていた悩みの種が潰えるのだ。
彼女は着替えを続ける。
『ところで、粳部がお前に祭具を出さないように言ったそうだが』
「ええ、私を心配してくれてた。祭具は昨日から出してない」
『その方がいい。お前の権能は脳に負担が掛かり過ぎる』
「……まあ、おかげでよく眠れて頭も冴えてる」
ラジオの権能は脳に大量の情報が流れ込む都合上、長時間の使用で彼女の脳は相当疲弊してしまう。普段から慢性的に疲れている彼女は、プラネの捜査を始めた段階でそれがピークに達していた。常人ならば脳が何度も焼き切れていたことだろう。
着替えを終え電話を手に取る。
『……あいつは、お前が壊れそうなことに気付いてる』
「……壊れませんよ、助けるまでは」