【12】
「こちら異常なし、総員配置に着いたな?」
『問題ありません』
『こちらもだ』
「よし、準備完了です」
茂みの中、藍川と粳部が家の様子を覗き込む。ラジオは裏口に配置され谷口は屋根の上に居た。家の中に犯人二人が居ることは確定しており、家の広さ的に人を誘拐して監禁できるだけのスペースがあることは容易に想像できた。町はずれの森の中にある一軒家を、彼らは包囲している。
無線で四人が会話する。
「ラジオさん、慌てないでくださいね」
『大丈夫ですよ粳部さん。準備できてるんですから』
『覗いた感じでは二階に被害者は居なさそうだ』
「まあ、俺が心を読めばハッキリするさ」
作戦は単純だ。藍川が呼び鈴を鳴らして中から出てきた男の心を読む。それだけで彼が犯人なのかどうかが判断できる。そうすれば後は突入して被害者を救出するだけ。実に簡単な作戦、一般人二人を司祭が倒すことなど容易だ。
「ようやく助けられますね……八年ですか」
「日本でもそのくらいの長さの誘拐があったな」
『藍川さん、そろそろ』
「ああ、行ってくるよ」
そう言って藍川が立ち上がり、家の方へと向かっていく。被害者がどうなっているのかも犯人の心を読めば分かる為、藍川の読心に全てが掛かっている。その一瞬で全てが決まるのだ。
彼が扉の前に立ち、呼び鈴を鳴らすと暫くして扉が小さく開く。
「どうかしましたか?」
「レッド・ガードナーさんと同居してるジェイ・ドルソさんですね?」
「ええ、そうですけど」
中から顔を出したのは赤毛の白人で眼鏡を掛けた男。事前の捜査通り犯人像と一致したその男を見た藍川は、彼が犯人だと確信し予定通りに行動へ移す。藍川の薬指には既に祭具の指輪がはめられ、権能が発動した。犯人の心を読む為に。
だが、一秒程度の空白の後に藍川が激しく嘔吐する。
「うえっ!?ゲホッ!ゴホッ!」
「お、おい大丈夫か!」
「びょ、病気なんです……出直しますね」
「そ、そうか……お大事に」
完全に不審がられていたものの藍川はその場を立ち去り、ジェイが扉を閉めたのを確認してから粳部が居る茂みへと戻る。力なく地面にへたり込む彼を見た粳部がその背を擦った。どう見ても異常な様子の彼を見た粳部の脳裏に一瞬嫌な考えが過ぎるが、一旦藍川の体調を優先した。
「鈴先輩!?ど、どうしたんですか!?」
「はあ……はあ……ラジオと粳部はその場で待機。谷口と俺で突入する」
『えっ?何で私が待機を……』
『承知した。合図を待つ』
そう言うと彼は耳元の無線の電源を切り、足を震わせながら立ち上がる。彼を支えようと粳部が近付くと、彼は彼女の無線の電源を切った。通話を誰にも聞かせないようにする為に。
「権能で何を読んだんですか?今のはおかしいですよ!」
「駄目だ……俺と谷口でやる。お前たちは見ちゃ駄目だ……」
「えっ……?それってどういう……まさか!」
藍川の気遣いから彼女は中で起きている惨状を何となく理解する。被害者の生死についてまでは粳部にも分からないが、被害者の状態がかなり悪いことだけは分かっていた。藍川はなるべく彼女に悲惨な現場を見せないようにしている節がある。そして、今回はラジオにも。
「とにかく行くな!あんな……あんな」
その時、窓ガラスが割れる音が周囲に響き渡る。
「何だ!?何が起きた!」
「……ラジオさんの権能って……機械の電源切ってても使えますよね?」
「……あいつは祭具を出さないものと!クソッ!」
それはわずかな油断だった。粳部の提案で祭具を出さないようにしていたラジオは、作戦開始直前でも祭具を出していなかった。しかし、藍川の様子から何かを察した彼女が権能を使って盗聴したのだ。藍川の怯え様から惨状を想像することは容易だった。
二人が駆けだす。
「ラジオを止めろっ!」
窓ガラスを割ってラジオが飛び込む。彼女はすぐに抜刀すると廊下を進み、角を曲がった瞬間に地下室への階段を見つける。急ブレーキをかけて階段を飛び降りると、鍵の掛かった扉を破って突入した。氷室のように冷えた室内には野菜の入った袋が山積みにされていた。
彼女が周囲を見渡すと一つだけ野菜の少ない棚があり、棚ごと壁を蹴破ると隠し通路を発見する。少しの躊躇もせず奥に進むと遂にその場所へ辿り着いた。しかし、そこに居るのはレッド・ガードナーただ一人だけだった。ラジオが咄嗟に彼へ詰め寄る。
「プラネはどこだ!言え!ここに居る筈だ!」
「何で居る!?どこから入っ……」
「言ええっ!攫ったあの子をどこにやった!?」
刀で脅され目を泳がせるレッドだが、普通の人間と比べて反応が弱い。
「プラネ・コールマンのことか」
「あの子はどこだ!全身細切れにするぞ!」
「そことそこと、あれだ……あれもだ。残りはない」
「……何を言って……?」
部屋の家具を指差すレッドを見て周囲に目を向けるラジオ。どこか荘厳で不気味な内装の室内にはドクロのコップやくすんだ色のフォークやスプーンが飾られている。マネキンは気味の悪い革製品を身に着け、額縁には髪の毛のような物で作られた刺繡が飾られていた。
ラジオが彼の指差した先を何度も確認する。
「あの子はどこに居ると聞いてる!」
「忘れてた、あのテーブルクロスにも使った。顔が残ってる」
彼女がレッドを壁に叩き付けるとテーブルの方を向く。既にポーカーフェイスは完全に崩れ去っており、動揺を隠せないラジオはゆっくりとテーブルへ歩み寄る。彼女の直感が見てはいけないと囁いていたが止まることはできなかった。静かな空間だというのに彼女の脳内はうるさく、冷静な思考は失われていたのだ。
そして、二人は再会する。
「あっ……あっ……ああっ……いっ……!」
全身の皮膚を剥がしてなめしテーブルクロスに加工する。人間を解体しそれを様々な道具に変え、それを隠し部屋に飾り付けるのが彼らのやり方。プラネ・コールマンはもうこの世には居ない。どれだけラジオが生存を強く信じようと、彼女はとっくに死んでいたのだ。
そして、ラジオが限界を迎える。
「うわああああああああっ!!」
錯乱した彼女が刀を振り回す。テーブルをクロスごと切り刻むと棚を切り裂き、逃げようとするレッドの両腕を切断する。バランスを崩して倒れていく彼をラジオは逃さず、上半身と下半身を泣き別れにした後に頭を切断した。そして、頭を掴み取ると握り潰して遂に四散させる。
そこに遅れて粳部と藍川が飛び込んできた。
「ああクソッ!最悪だ!」
「えっ?えっ?」
「ああああっ!うわあああ!」
取り乱したラジオは二人にぶつかり、そのまま部屋を出ると階段を上ってジェイの下へ向かう。そこでは居間で谷口が彼を手錠に掛けていたが、谷口は血まみれのラジオを見てすぐに異常に気が付く。だが、状況を理解できてはいなかったのだ。
「おいどうした!?」
「うわあああああっ!」
一瞬で間合いを詰めると、ジェイの首を容易く切断する。怒りと絶望で概念防御が高まっている今のラジオは、瞬間的にではあるが谷口が反応できない程の速度を出した。故に、その復讐を止めることは叶わなかったのだ。
遺体を更に切り刻もうとする彼女を谷口が後ろから掴み上げる。
「冷静になれラジオ!お前は何をしている!?」
「プラネがっ!ああああっ!」
「藍川!下はどうなっているんだ!」
『下は……下に生存者は居ない』
無線から藍川の小さな声が響く。谷口に掴まれて暴れるラジオだったが次第に静かに泣くだけになり、彼女がもう暴れられないと判断した彼は彼女を解放する。するとラジオは床に力なくへたり込み、うずくまってさめざめと泣いていた。
谷口は初めて見る彼女の取り乱した姿に動揺しつつ、二人の居る地下へと足を運ぶ。惨劇の現場である隠し部屋に入って一瞬動きが止まったものの、仮面の奥の表情は誰にも分からなかった。
「……何だこれは」
「おえっ……こんなの……こんなの人にできることじゃ」
「……心を読んだ時、奴らがプラネを殺し解体したのが分かった」
被害者を誘拐して殺すだけでなく、体をバラバラにして道具に加工する最悪の犯行。過去の前例から遺体に手を加える犯罪は何件かあったが、ここまで極端な例は指の数もない。谷口が辺りを見回すとランプシェードやチェスの駒も人間のパーツから作られていると分かり、複数人が犠牲になっていたことが伺える。
壁にもたれ掛かった粳部が惨状に嘔吐している。
「奴らは八年前の時点で既に殺害して、道具として加工してたんだよ」
「じゃあ……ラジオさんが頑張ったのは何だったんですか!」
「……どうやってもプラネ・コールマンは助けられなかったわけだ」
「これが全部人間だ……ラジオは悪くない。こいつらに捕まったのがオチだよ」
ラジオは蓮向かいに入った四年間、ずっとプラネを助ける為に捜査を行ってきた。だがそれよりもずっと前、八年前の事件が起きたタイミングで被害者は亡くなっていたのだ。彼女にはどうすることもできない。これはあまりにも相手が悪過ぎたのだ。
藍川が怒りから地面を強く蹴る。そして、粳部が顔を上げた。
「全部出して……火葬しましょう」
【13】
三日が経った。事件についての捜査が終わり、犯行現場の捜査も済んで被害者たちの身元も特定できた。地獄のような地下室は調べ上げられ、犯人死亡という結果になったものの事件は一応終結したのだ。加工された遺体は遺族に送られ、葬式が既に執り行われている。
ホテルの一室にて、ラジオが材料の入った紙袋を台所に置く。
「これで、材料は全部揃った……」
「ラジオさん、帰ってきたんですね」
心配そうな目で彼女を見守る粳部。数日前、あれだけ取り乱して犯人二人を殺害したのだ。今まで、粳部の敵が誰かを殺しても味方が誰かを殺したことはなかった。誰も殺さないという組織だと聞かされてここに居る彼女からすれば、あの二人の殺害は衝撃的だった。
しかし、それでも同情している。
「買い物に行ってきた……プラネのケーキのレシピが完成したかも」
「……ケーキって、作って食べるんですか?弱点なのに」
「私にできることなんて……これしかない」
そう言って彼女は机の上のダンボール箱を引き千切り、中に入っていたボウルやハンドミキサーを取り出す。料理をする為に必要な道具は一通り揃っており、今すぐにでもケーキ作りを始められる常態にあった。
粳部が紙袋の中の材料を冷蔵庫にしまう。
「……上層部から言われた。一週間の停職、始末書、罰金」
「……軽く済みましたね」
「情状酌量と、私の有用性から考えたんだと思う」
「この機会に……ゆっくり休んでください。何もしないで過ごすのもありですよ」
「……このケーキが上手くできたら、休めるかもね」
γ+の等級の司祭で部隊の隊長、捜査の才能があり優秀な権能を持つ人物。どうにかして人手を確保したい上層部からすればラジオを放っておくことはできない。それに、ラジオは精神的に追い詰められ情状酌量の余地がある為に殺人による処分は軽かった。
冷蔵庫が閉じられる。
「ラジオさんの好きなケーキはどんなケーキですか?」
「プラネが作ったショートケーキ……空港で別れた時、最後にくれたケーキ」
「思い出の味ですか……いいですね、そういうの」
「昔、あの子のケーキに満点を出さなかった」
ラジオの人生の中で一番美味しかったケーキは、空港で別れ際に渡してくれたケーキ。それは当時の最高傑作で、プラネが生きていて新作を出せば過去の最高傑作になっていたことだろう。記録が更新されることは未来永劫ない。
「完璧だけど、満点を出してあの子が離れるのが嫌だった」
「……好きだったんですね」
「……私はアンカレッジに残るべきだったの。結局、あの子を救えなかったんだから」
目覚めた才能を最大限に駆使したところで彼女はプラネを救えなかった。粳部は自分が数日前、プラネを取り戻せばその才能を愛せるようになると言ったことを思い出す。そんなことを言わなければ良かったと後悔したものの、もうどうにもならない。
粳部が精一杯励まそうとする。
「手伝いますよ、ケーキ作り」
【14】
「あっ、噂をしたら来たぜ」
「そのようだな」
アンカレッジの雪が降る墓地にて、先にラジオたちを待っていた藍川と谷口が気が付く。ラジオはケーキの入った箱を抱え、粳部は鞄を持って墓地に向かっていた。二人が協力して作ったケーキは完璧な出来栄えで、墓前で見せるのに相応しい物だったのだ。
四人が顔を合わせる。
「どうもーお久しぶりです」
「雪降ってるんですけど……さむっ」
「停職って聞いたぞ。おかげでラジオ隊が動けなくなった」
「まあ、みんな休暇ってことで」
藍川が笑顔を見せる。長年追っていた親友を失って憔悴している彼女に気を遣い、どうにかして励まそうとしていた。白い息が黒ずんだ空に立ち昇る中、谷口がラジオの目を見る。
「ラジオ隊長、先週の非礼をお詫びしよう。すまなかった」
「ああいや……あれは私が冷静じゃなかったので気にしないでください」
「こういう展開になるとは思っていなかったんだ」
「……八年前には死んでたんです。最初から終わってたんですよ」
そう言うラジオの言葉に谷口が頷き、その場を離れて車へと向かっていく。藍川もその背中を見て歩き出し、粳部を一瞥すると車へと向かっていく。人気が減った墓地は音がよく響くようになり、ラジオたちは墓前へと足を勧めた。そして、止まる。
粳部が鞄からブルーシートを出すと墓の前に敷き、二人が座る。
「……雪に何かを感じることはなかった。でも、今は嫌い」
「雪国の人は雪が嫌いな人が多いそうですね」
「昔を思い出すから……もう見たくない」
この州は常に雪と共にある。いついかなる時も雪が降り、その景色の中に必ずプラネが居た。故に何でもないいつもの光景はもう二度と取り戻せない物になってしまったのだ。ラジオからすればもうこの雪の街には居たくないことだろう。全ての過去に意味はない。
ラジオがケーキの箱を開け、粳部から皿とフォークを受け取った。
「……実は、ケーキ作ったのは二回目です」
「一回目は?」
「姉と一緒に。でも今回は上手くできましたよね!」
「まあ……調整したレシピ通りに作っただけだから」
彼女は自身の祭具でケーキを切り分ける。
「ちょっと刀で切らないでください!」
「ほら、あげる」
切り分けたケーキを皿に乗せると粳部に手渡し、自分の皿にもケーキを乗せる。そしてラジオは震える手でフォークを握ると、ケーキを口に運ぶ。その瞬間、強烈な嫌悪感に襲われながらゆっくりと咀嚼した。弱点で強制的に不快にさせられている中、ラジオが必死に耐える。
「うぐっ!?んむっ……ぐう!」
「む、無茶ですよ!?食べられるわけ……」
しかし、ラジオはケーキを何とか飲み込んだ。弱点による苦痛に耐えながらそれを乗り越え、その味を確かめたのだ。目の前の墓に居る親友の残した思い出の味を。もう二度と味わえないと思っていた味を。
ラジオの目から涙がこぼれる。
「はあ……はあ……これだ。プラネのケーキの味と同じだ」
「ラジオさん……」
「やっとまた会えたんだ……少しだって吐かない!」
彼女はそう言ってまたケーキを口に運ぶ。再び吐きそうになって顔を上げ苦しむものの、気合いで乗り切って全てを飲み込む。粳部は彼女を心配しつつも自分のケーキを口に運ぶと、その信じられない美味しさに驚く。ラジオの反応からは分かりにくかったが、それは確かに最高傑作なのだ。
「美味しい……これ凄いですよ」
「美味しいよ……プラネは天才だもん……満点だよ」
降りしきる雪は雨に変わった。苦しみを洗い流すような雨がラジオの頬を伝っていく。ただ静かに、慰めるように。
粳部がラジオの背中をさすって落ち着かせる。
「……後で、レシピのコピーくれますか?」
「うん……傑作でしょ?あ、あの子頑張ったでしょ?」
「ええ……」