【1】
「今日はありがとう藍川、病室にずっと居ると気が滅入るよ」
「俺も病人なんだぞ。もう見舞いになんて呼ぶなよな」
そう言って病人に笑いかける藍川。街の大きな病院の個室の病室にて、藍川とその知人が話をしていた。ベッドに横たわり点滴を受けながら話す年配の男は顔に傷があり、一見すると不愛想なようだった。しかし、笑顔は柔らかだ。
「ガーティ、老いたな」
「今年で六十一だぞ。老いてなきゃおかしいだろうが」
「出会ってからもう十五年か。互いに老けたもんだよ」
「六歳のガキが今じゃ一人前だ。引退して正解だったよ」
小さな丸椅子に腰掛ける藍川は穏やかな面持ちで話を聞く。かつて藍川の師だった男は入院しているものの、その快活さは少し弱った程度だった。六十一歳となり十五年前のようには動けなくなったものの、それでも彼は藍川の師だ。
「まだ戦えるだろ、司祭なんだから」
「これ以上形態変化したら大切なものを失っちまう。それに体も弱ってる」
「……はあ、難儀な弱点だな。病弱になるって」
「見ろよ、点滴の針が刺さってる。病気の時だけ人間と同レベルだ」
ガーティ・ガスターの弱点は病弱になること。その為、司祭だというのに病気になってしまう上、病気になっている時は概念防御が弱まり弱体化してしまう。難儀なものだが司祭である以上はどうにもならない。弱点からは逃れられない。
「大人しくしろって暗示かもな」
「……寂しいよガーティ。ウチのチームには席が余ってる」
「若いもんに譲るさ……人間らしくなったな藍川」
「そう願うよ」
それだけ言って藍川は立ち上がり、病室の入り口に向かう。面会はこれにておしまい、積もる話もあったがこうして思うがままに話している内に全てが済んだ。藍川の人生で一番古くからの付き合いの人物なだけに、伝えることは簡単だった。
扉を開けて彼がふと止まる。
「俺、上手くやれてるかな?」
「さあ?組織を退職した俺の知ったことじゃないね」
笑って冗談を言うガーティに見送られ、藍川は彼の病室を後にする。二人の間柄は昔からこんなものだったわけではないが、タッグを解消してからの方が気さくに話せるようになったかもしれない。藍川は子供の頃から随分変わった。
一人廊下を歩く。
「……やれてても意味ないか」
そんな言葉をふと呟く。大きい病院だというのに廊下には誰も居らず、彼はがらんとした廊下の真ん中を堂々と進む。大きい病院であるが故に看護師の数も多そうなものだが、歩き続けても誰とも遭遇しない。
彼は運が良いのか悪いのかと考えながら進んでいった。
「……ん?」
その時だった。彼が何かを感じてその足を止める。それは別に概怪などの敵を察知したわけでも、誰かから連絡があったわけでもない。それはただ、彼の権能が誰かの心を感知しただけ。何かを強く念じる誰かの心の電波を彼が受信したのだ。
藍川が横を向くと、その病室の扉には『伊丹海』と書かれていた。
「……」
ふと、誰かに呼び止められたような感覚を覚えた藍川がその扉を開ける。躊躇せず、その声の主が何を考えているのか興味を持ち進む。ゆっくりと彼が進んで出た先にはガーティと同じベッドが鎮座し、違いと言えば生命維持装置が付けられていることと患者が少年だったことだ。
藍川が少し驚く。
「植物状態か……」
植物状態は生命維持に必要な機能は動いているものの、思考や行動を制御する大脳が機能していない状態。意識がなく、仮にあったとしてもそれを外部に伝える手段がない状態のことを指す。藍川の目の前に居た少年はまるで眠っているかのように力なくベッドに居るが、その目は開かれたままだった。
しかし、藍川の権能は確かに声を聞く。
『何か知らない人が来てる……』
「えっ?意識はあるのかよこれ」
『えっ?何?』
少年は表情筋も口も動かさず脳内でそう考える。だが、他人の心を読める藍川は勝手にそれを盗み聞きできるのだ。祭具なしでも権能を発動できる司祭、世界で二人だけの例外。脳の損傷からコミュニケーションが取れなくなったとしても、彼だけはその心を見抜いていた。
突然意味の分からないことを言いだした男に困惑する少年。
「目と耳は機能してても体は駄目なわけか。難儀だなお前さん」
『……ん?何で分かったんだ?』
「……言っても分からないだろうが、心読めるんだよ俺」
弱点による反動の不快感に耐えながら話を続ける藍川。祭具の指輪を出していないからといって反動がないわけではない。覗く程度であれば軽い不快感程度で済むが、それも長く続けば酷い苦痛である。彼はそれを表情に出さずに話を続けた。
「伊丹海っていうんだな。いつからここに入院してるんだ?」
『……一年前からだけど』
「一年か。流石にずっと天井見てるんじゃ退屈だな」
『待って、本当に読めるの!?嘘でしょ!?』
「みんなには内緒で頼むぜ。一般人には見せちゃいけない決まりだからな」
その通り、職員が司祭の権能を一般人に見せることは禁止されている。だが現状、傍から見れば藍川が一人で喋っているようにしか見えず、話を聞いている伊丹はそのことを誰かに伝えられない。つまり、何の問題もないわけである。
伊丹のテンションが次第に上がっていく。
『やった!やっと話せる人が来た!ずっと誰とも話せなかったんだよ僕!』
「そりゃ良かったな。だが生憎面白い話なんざできないぞ」
『話せるだけでいいんだよ!独り言の何千倍もいいんだから』
「……まあ、ずっと植物状態じゃな」
いくら誰かに話しかけようとその声は届かず、いくら手を伸ばそうとその手は届かない。ピクリとも動かない生きた死体である彼は、藍川以外の人間にはただの憐れな犠牲者だろう。しかし、藍川にとってはただの話し相手だ。
『お兄さん名前は?』
「……鈴、藍川鈴だ」
【2】
「ところで、例のギョロ目について何か分かったのか」
「……私、絶賛お休み中なんですけど」
蓮向かいの施設内にあるカフェテラスにて、テーブルを挟んで向かい合う谷口とラジオ。彼女は派手なサングラスを掛けてアイスコーヒーを飲みリラックスしているが、谷口はいつも通り真面目なままだった。カフェの外観に合わせて南国風の音楽が響く。
店員が彼の前に青い色のドリンクを置いた。
「謹慎中なのは知っている。これは仕事の話じゃない」
「思いっきり仕事ですよね。まあ、進展はないですよ。居場所が分からないんじゃ無理です」
「……奴が何を仕掛けるか分からない以上、常に後手後手か」
未だ目撃されたことのないギョロ目という名の存在。どんな状況でも先手を打ちその正体を隠し続ける奴の正体は誰にも分からない。藍川の権能があれば心を読むことで正体を探れるかもしれないが、常に鎧を身に着けている以上無理な話だ。ギョロ目と対面した者は皆、奴に招かれてワープさせられている為に居場所自体は知らないのだ。
澄み切った青空を映す天井のモニターがオレンジ色に切り替わる。
「四年前の事件での奴の目的が何だったのか、ハッキリしないことにはな」
「さあ……それについては知りませんね。藍川さんも知ってるかどうか」
「……この件、どこまで上層部は把握している?」
事件については谷口も一応追っている。しかし、どこまで収集しても不足している部分があるのだ。ギョロ目が一体何をする為に犯行に及び、上層部は何故この事件についての情報を出し渋っているのか。大きな謎はこの二つだけだ。
「それも不明です。ただ、彼らは無能じゃない。情報規制には意味がある筈です」
「……一部のΩ+でなければ閲覧できない情報。そこに何があるのか」
「捜査してる我々にすら見せられないということは、解決に関係ないのか」
「または、見せない方が捜査が上手くいくのか。ハッキリしないな」
谷口の等級は上澄みのΩではあるが、それでも閲覧できない情報がある。雲の上の存在であるΩ+、それも一部の者達でなければ閲覧できないような情報。開示すればその情報を元に捜査に進展があると考えるのが普通だが、上層部はそれとしなかった。
有能な上層部がそうしたのには必ず意味がある。開示しない方が良い理由。
「この事件、やっぱり何か変ですね。休暇中なのでもういいですか?」
「……そうだな」
「お待たせしましたーペパロニピザです」
ラジオの頼んだ品が彼女の前に運ばれる。ペパロニだけが乗せられた大き目のピザは湯気を放っており、円形のテーブルの面積の殆どを占めていた。ペパロニだけの殺風景なピザに内心呆れ気味の谷口。
「おい、何でペパロニしかないんだ」
「私ペパロニ以外を頼んだ奴は殺すって決めてるんです」
「どういう神経をしてるんだ。セラピーを受けているんじゃないのか」
「受けた結果ですよ」
「楽しそうだなお前ら」
そう言って藍川が椅子を引いて席に着き、同時にピザを一切れ取ると口に運ぶ。あまり食べ物の味を気にしない藍川からすればどうでもいい話であり、今の彼の心配事とも関係のない話だった。
二人が藍川の方を見る。
「藍川さん、珍しく暇してる感じ?」
「どっかの隊長さんが謹慎くらってるせいかね。粳部はどうしてんだ?」
「自分の部屋から出てないみたい。フードデリバリーは頼んでた、ハンバーガー」
「……そうか。まあ、色々あったしな」
旧イギリスで追い詰められた後にアメリカで悲惨な現場を見たわけなので、精神的に追い詰められてしまうのは仕方のない話だ。特に脆い粳部の精神がこの二つの事件でやる気をなくしていてもおかしくはない。むしろ、今までよく頑張っていた方だ。
「今日は何をしに来たんだ」
「そうそう、植物状態から元に戻る確率ってどのくらいだ?」
「……五年で三パーセントって聞いたけど」
その絶望的な数字を聞いて一瞬表情を曇らせる藍川だったが、すぐに元の表情に戻って誤魔化す。まるで何も感じていないかのように。
「そうか。いや、ありがとう」