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13-6

【9】


 日が傾いてきた時間帯。夏場故にまだ空は青いままだが、遠くが薄っすらと黄ばみ始めたそんな十七時。ショッピングモールのガラス張りの天井を見上げていた粳部は前方に視線を戻す。視線の先に居る田中と中田はガーデンチェアに座り、テーブルを挟んで向かい合っていた。

 離れた席に座る粳部と京極、そして藍川の三人。京極は疲れ切った表情でリンゴの芯をゴミ箱に投げ入れる。

「ああ……京極さん何回外しましたか?」

「……今のところ四十一回挑戦して三十八回外したよ」

「当たりは三回だけか……二十回連続で外してるし、ある意味奇跡か」

 二十回連続でコイントスを外す確率は百四万八千五百七十六分の一とされている。数字の零がいくつも並ぶような奇跡的な確率でアドバイスを失敗し続けたわけなのだが、これはある意味快挙かもしれない。不運もここまで来れば誇れるというものだ。

「よくここまで来れましたよね……あんなに不機嫌にさせて」

「腐っても運命の人だからね……この程度じゃ終わらないさ」

「二十回もミスっておいてこの程度とは余裕だな」

「……次は当てる」

 何度も何度も次は当てると言い続けた果てがこれだ。自分の占いを信じたいという考えは分かるが、振り回されている周囲からすれば勘弁して欲しい話だ。特にその尻拭いをしている田中はたまったものではない。付き合わされている粳部も藍川も精神的に疲れてきた。

 中田がアイスティーのグラスを机に置く。

「こう暑いと、東北に引っ越したくなってくるよね」

「確か、向こうは夏でも雪が降るんだっけ」

「私は過去三度しか雪を見たことがないんだ。君は雪遊び好き?」

「……滑って頭打ったから勘弁です」

 それを聞いて中田が大笑いをする。それは単純におかしい話だったから笑っているというわけではなく、彼女らしい常人には理解し難い理由で笑っているのだ。彼女を理解できるというのは異常だという証明。

「ははは!君らし過ぎる理由だね!どうせ馬鹿なことやったんでしょ?」

「わざと雪を踏み固めてスケートしようとしたら、普通に転んだ」

「愚か!実に愚か!君の転ぶ姿が見たいからスキーに行こっか」

「どういう理由なの……」

 動機が余りにも不純過ぎるが、中田は一緒にスキーに行こうという誘いを掛けてくれている。普通ならば喜ばしい提案だというのに素直に喜べないのが彼女という人間だ。だが、それでも田中は内心喜んでいる。そういう人を欲していたのだから。

 笑いがようやく収まった中田が息を整え、そして空を見上げる。

「はあ……とは言え、私寒いの苦手なんだよね」

「それでスキーを提案するんですか……」

「寒いと嫌なことばっかり思い出すからさ」

「……じゃ、じゃあ暖かい所でも行きます?お、沖縄とか?」

 中田の表情が暗く沈む。寒い所は嫌な記憶を思い出してしまうが、彼女は別に暖かい所に行きたいわけではないのだ。例え自分を苦しめるような場所だったとしても、中田は田中と行きたいと言った。ならば、そこに意味は存在している。

「そんな所に興味なんてないよ。第一、楽しくない」

「あー……なるほど」

 再び二人の間に気まずい雰囲気が漂う。気難しい性格の彼女をどうにか制御し、手綱を握ろうとするのは破滅への入り口だ。一見遠回りに見えるかもしれないが、自由に放っておくことが一番の近道になるようにできているのだ。

 黙って二人を見つめていた粳部が考え込む。

「うう……今日だけで何個リンゴを食べただろう」

「……京極さん、もう権能使わないでいいですよ」

「ん?どうする気なのだ?」

 粳部が椅子から離れると京極の耳元から無線機を奪い取り、それを自分の耳に身に付けるとそこから離れる。彼女は声が田中達に聞こえないような距離まで離れると二人を見据え、自分の中で曖昧なまま漂っている言葉を言語化していく。自分の言葉で伝える為に。

 様々な葛藤の後、粳部は無線のマイクに語り掛けた。

「田中さん、聞いててください」

 耳を傾けた田中だけでなく、少し離れた場所に居る藍川と京極も彼女が何を言おうとしているのかを気にしている。京極はよく知らない彼女が何を言おうとしているのかという不安が半分、藍川は彼女らしい精神分析の話を聞こうというのがその何とも言えない表情の理由だった。

「彼女は悪意でからかってるんじゃなくて、それしかできないだけなんです」

 ある意味、悲しい怪物かもしれない。

「派手な物に飽きて、どこまでも平凡でつまらない物を求めてるんですよ」

「待て粳部君、確かに彼女はそうかもしれないが……」

「ある意味、それが一番安心できるから。彼女、疲れてるんです」

 粳部の高い共感能力が導き出した正解。彼女の細かな仕草や思考のパターンを読み取る手法。あのカーラーとクーヤーがやったような精神分析を、粳部は我流でやってのけることができる。それは急にできるようになったことなどではなく、大昔から彼女に備わっていた素養だ。

 その人見知りする性格は、人を知り恐れたことによるものなのだから。

「過去の辛いことを気にし過ぎてしまう……繊細な人だから」

「……しかし、彼の性格から言ってそれは……」

「彼女が前を向く為にも、あなたはただ変わらずにいれば良いんです。普通のままで」

「……」

「必要なのは自信です。大丈夫、彼女は言葉ほど強気じゃないですし、あなたは魅力的です」

 それを言うと彼女は無線機を耳から外し、キョトンとしている京極に手渡すと自分の席に座る。藍川は面食らったような顔をしていたが着席と同時に笑みを浮かべ、予想通りの展開になったことを密かに喜ぶ。

 やり切った彼女は緊張の糸が解けたのか背もたれに全身を預け、ぶっつけ本番が何とか完遂できたことを遅れて実感していた。

「はあ……やっちゃった」

「よくあれだけ分析できたな。まるで俺みたいだ」

「えっ、じゃあ粳部君の言葉は当たっているのかい?」

「ああ、殆どな」

 粳部の腕ならば、何時間か会話を聞いていれば性格もそう育った理由も見えてくる。これもまた常人には理解できない話かもしれないが、彼女にとっては言葉さえあればその裏にある何かが見えてくるものなのだ。それに、今回は中田の性格が粳部に近かったというのもある。

「ああいう独特なのを好むのは幼少期の辛い経験が原因です。子供っぽさもそれです」

「そ、それだけ?」

「周りに振り回され、自身も他人を振り回す性格に。でも強い自己嫌悪も見えます」

 彼女が興味を示す事柄、興味を失う事柄。視線や仕草から読み取ったことによる結論。それが絶対に正しいという保障はないが、そこに居る人間の中で藍川と谷口だけはそれを信じていた。

「衝動的にしか生きられないが内心疲れていて、彼のダサさに癒されてるんです」

 その時、俯きそっぽを向いて考え込んでいた田中が顔を上げ、中田を見つめて覚悟を決める。彼も彼女との付き合いはそれなりにあり、粳部の話を聞いたことで何か思うことがあったのかもしれない。ずっと京極頼りではいられないのだから。

「……やっぱり、俺背伸びして空回りをしてますよね」

「まあね。君は自然体が一番面白いよ、素材の味が一番」

「そんなに面白いもんですかね?もっと奇抜な人、居ると思いますけど」

 中田はそれを聞いてニッと笑みを浮かべる。

「私は奇抜な人は嫌いだよ。どこにでも居るような、駄目駄目な道化が好きなの」

「俺は良いピエロっすか……まあ、この際それでもいい気がします」

「殊勝な心掛けじゃーん」

 彼女が浮かべるいつも通りのいたずらな笑み。今度はそれとなく優しさが混じっているのだが、常人がにそれを見分けることはできない。田中は真剣な表情を少し崩し、観念したような笑みを中田に向けた。

「中田さんを笑わせられるなら多分、道化が一番ですよ」

「……ははっ!ははは!全然決まってない!他にセリフあったでしょ!」

「あー……すいません」

 本来ならばビシッと決めるべきところで良いセリフが浮かばず、何とも中途半端な言葉になってしまった彼。大笑いする中田と、恥ずかしさからか顔を半分手で覆う田中。良い雰囲気になるチャンスを逃してしまったものの、これはこれで彼ららしい展開だ。

「君、一人で居る時にそういうセリフ練習してるでしょ?」

「し、してないですよ!……まあ、高校の時にはやってたかも」

「ほら!それにしても決まらないねービシッと決めたら結婚してあげるよ?」

 再び田中が考え込む。センスのない彼が良いセリフが思いつく確率は低いが、試してみなければ確率は零のまま変わらない。やらないよりは遥かにマシだ。

 彼が一つ試す。

「じゃあ……一生を賭けて、俺があなたの腹筋を壊します」

「殺人鬼かお笑い芸人からしか聞けないよそんなセリフは。ははは!」

「……何か変な方向に行っちゃいましたね」

「いや、それでいいんだ。結婚しよう田中君」

 彼女はそう言って笑顔で立ち上がると田中の手を引き、引っ張ってどこかへ歩き出す。彼は慌てて買った物の入った紙袋を掴むと彼女の歩幅に合わせ、彼女のセリフに困惑しつつも共に歩いて行く。何度もパチクリと瞬きを繰り返す田中だったが、現実は変わらなかった。

「えっ、はい?」

「言っておくけど今のは冗談じゃないよ。早いとこ書類書こっか?」

「……色々すっ飛ばしていきなり!?」

「どうせ結婚するんだから早いも遅いもないよ」

 無茶苦茶な理屈ではあるが、これでゴールインできたのだから文句はない筈だ。次第に手を繋いだ二人はショッピングモールの人混みの中に消えていき、粳部達からは見えなくなった。京極と粳部は大きく口を開けて驚いており、藍川は薄ら笑いを浮かべていた。

「こ、こんなことあるんですか……!?」

「ごくまれにあるが……こんな滅茶苦茶な流れは初めてだ」

「彼女は幼少期、雪崩で両親を失っている。その後は親戚の下へ行くが親戚が逮捕された」

 それは藍川が中田の心を読んで得た正解。粳部のように思考を巡らせる必要もなく、権能を使い心を探れば知ることができる。デリカシーのない失礼な力ではあるが、答え合わせとしては上出来だ。

「養護施設で育つが問題のある児童が多く、そこでの生活に不満を抱いていたな」

「やっぱり……思った通りでしたか」

「……何とも、人の心ほど分からないものはないな」

 観念したように疲れ切った笑みを見せる京極。恋愛専門の占い師として活動している彼ではあるが、そんな彼からしても人の心というものは分かり難いものだ。決まったやり方のない、壊れ物のようで丈夫でもある物。それら全てを理解できる者などこの世に存在しない。

「とは言え、これで私の最後の仕事は終わったわけだ」

 縁結びの司祭、京極弓彦。その過酷な一日がようやく終わった。

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