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13-7

【9】


「で、どうするんですか?組織に入るのか入らないのか」

 夕方、陽がすっかり傾いた頃合いにアパートの廊下で三人が佇む。仕事を終えて自分の部屋に戻った京極は手の中の水晶玉を見つめ、粳部は彼から貰ったリンゴをかじっている。藍川は少し離れた場所で壁に寄りかかり、朱色に染まる世界を見つめていた。

「……悩んだが、入ることにする。私はまだ、人の縁を結ばなければならない」

「……ずっと気になってたんですけど、京極さんが独り身なのって……」

 京極の表情が少しだけ沈む。それは笑顔でできるような話ではない。

「五年前に運命の人が居た。その時はまだ占い師でもなくて、ただの大学生だった」

「……」

「情けないが、当初の私は運命について疑っていた。彼女が運命だと権能が囁いたがな」

 京極が祭具の水晶玉を懐にしまい込む。今ではどこか胡散臭い立派な占い師である京極だが、かつては自分の権能すらも信じていなかった。だがそれも自然と頷けるだろう。運命の人という抽象的な表現、常人には認め難い司祭という存在。受け入れるには時間が掛かる。

「でも、腐っても運命の人だ。私は彼女に何となく惹かれていたんだ」

「……幸せだったんですね」

「ああ……だが、私は決断するのが遅すぎたんだ」

 京極は赤く染まる街を見つめる。視界の端では夜の藍色がじわじわと滲み始め、いよいよ世界が夜にひっくり返ろうとしていた。古い建物ばかりが立ち並ぶ錆び付いた町で、今日も変わらず彼は物思いに耽っている。それは、運命の人を失った時から変わらぬ習慣。

「そろそろ告白しようと、会う為に電話したのに辞めたんだ」

「自分の権能、信じられなかったのか?」

「運命をだ。電話の後、彼女は交通事故で死んだよ」

 京極の権能は運命の人を言い当てる。共に生きれば幸せな人生を送れることが保証された運命の人ではあるが、相手が無病息災に生きられることを保証してくれるわけではない。その儚い命を守り、いつか来る終わりを受け入れなければ別れがきつくなるだけだ。

 粳部が苦い顔をする。

「私が電話で会う予定を入れていたら、今も私の傍に彼女が居たさ」

「……運命は命の保証まではしてくれないと」

「ああ、だから占い師になった。すれ違い永遠に出会わない二人など、私で最後にしたい」

 京極がそう言って笑顔を見せる。自分のような思いをさせない為にも、稼ぎを度外視し占い師として人々の縁を結ぶのが京極の役目。一人で生きるには余りにも寂しいこの町で、彼はこれまで人々を幸せにしてきたのだ。

「君の言う組織の中でも、縁結びの仕事はできそうだ。それなら断る理由はない」

「それは頼もしいお言葉で」

「じゃあ、明日に職員が追加の説明に来る。さよならだ」

 藍川はそう言って後ろ手に手を振りながらアパートの廊下を進んで行く。残された二人はその背中を見送り、暫くの空白の後に京極が何故かその場に残っている粳部の方を見る。一体彼女は何を考えているのか。

「ん?どうしたんだ粳部君」

「その……私の運命の人も占ってくれません?」

 今後は今ほど自由に権能を使えるわけではなく、組織で仕事をすることから会えなくなると分かっていた。ならばここで相手について聞いておくのが一番だ。藍川の運命の人は粳部でも来春でもなかった。となれば、粳部の運命の人は誰になるのか。

 もじもじとする彼女を見て京極が懐から水晶玉を取り出した。

「仕方がない。世話になったから出血大サービスだ」

 水晶玉を強く握り考え込む彼。粳部は自分の運命の人が誰なのかという不安に襲われていた。もう藍川の運命の人が自分ではないことは分かっている。絶望は既に通り過ぎたのだから、半ば惰性的にどんな現実も受け入れるつもりなのだ。

「……彼は極端に自己肯定感が低い。孤独な人物だ」

「……」

「髪は赤みが掛かった茶髪、瞳は……グレー」

「あ、あれっ?」

 その特徴からイメージできるのは藍川なのだが、彼に似た人物と結ばれるということなのか。情報が少なく、これから全く違うイメージの人物になる可能性もある。つまりは聞いてみないことには分からないのである。

「んん?……これは……藍川君か?似ている……」

「えっ!?運命の人が被ることってあるんすか!?」

「いやそれはない!だが……出会うのは遥か未来だ」

 運命の人と出会うのが未来だとしても、京極の権能は確実に言い当てる。ある意味、未来視にも似た高レベルの司祭。これから蓮向かいに所属すればいずれその等級は『γ』になることだろう。戦闘能力は低いもののそれ以外の点で高い評価を得られる筈だ。

「は、八十五年後……これは一体?」

「あーもういいです!適当言うなら帰りますよ!」

「あっ!待たないか!」

 慌てふためく京極を放置して、諦めた粳部はアパートの階段へ向かっていく。彼の言っていることがよく分からなくなったことで面倒になった彼女だが、京極の発言を不可解には思っていた。

 そんな彼女の背中に彼が声を掛けた。

「粳部君、私が言うのもなんだが運命が全てではないぞ」

「それ、気休めですかー?」

「幸せになる方法はいくらでもある。要は、何を選ぶかだ」

 運命の人と添い遂げることができなかったとしても、幸福になれないなんてことはあり得ない。生きていればいくらでも道はあるのだ。運命の人は共に生きる限り幸せな人生を送ることができる。それは足りないパズルをピッタリとハメられる存在ではあるが、例え完全ではなくとも穴を埋められる物はあるのだ。

 コンクリートを歩く硬質な足音が夜の町に響き渡り、粳部は鉄の階段を踏み鳴らしながら駆け降りると地上で待つ藍川の下へ向かう。彼は柱に寄りかかって彼女を待っており、近寄ってきた彼女を出迎えた。

「行こうか」

「ええ、良い任務でしたね」

「たまにはな……で、お前にこれをやろう」

 そう言うと藍川は懐から丸まった一枚の紙を手渡す。彼女は何も分からないままそれを受け取ると、紙を広げて伸ばし内容を確認する。

「えっ?何ですこれ?」

「一日遅れだが誕生日プレゼントだ。無人島の所有権だよ、俺が持ってた島だ」

「……ちょっと何言ってるか分からないですね」

「沖縄だから台風は多いが悪い所ではないぞ」

 笑顔でそう答える彼に面食らった表情をする粳部。無人島は安くても数千万、高いと数億円はゆうに超える。贈与税もとんでもないことになるがそれを気にしなくて良い程の額を彼は稼いでいる。滅茶苦茶な行動だが、ある意味これも彼らしいかもしれない。

「えっ……へっ!?」

「よし、帰るぞ」

「帰るぞって……はあああっ!?」

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