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16-3

【4】


「片腹痛い」

「腹どころか胸の傷も開いてますよ」

「そういうことじゃない」

 蓮向かいの基地内にある病室にて、ベッドに横たわる藍川が不満を漏らす。腹から胸を包帯でグルグル巻きにされていた彼は既に力尽きており、こうして文句を言うことくらいがせいぜいであった。そもそも、彼がコロンビアで負った傷は少しも治っていなかったのだ。

 ベッドの脇にはラジオと谷口、そして粳部と一人の職員が立っている。

「とっとと出してくれ。あいつらを放ってはおけない」

「傷口開いちゃったんですから!無理しないでください」

「このくらい……があっ!」

 急に傷が痛んで悶える藍川。残念なことに、司祭は普通の薬物を概念防御で無効化してしまう。鎮痛剤が効かない今の彼は、開いた傷口の痛みに気合で耐える以外の方法がないのだ。だがこの無機質な白い檻に耐えるには、その痛みは良い薬になってくれるかもしれない。きっと気は紛れる。

 谷口が彼に話しかけた。

「事故だと聞いたが、何をしていたんだ」

「何でもねえ。ちょっと傷が開いたんだ」

「……まあ、そういうことにしとく。で、調べたよその子」

「調べたって言うと……」

 粳部は疑問の表情でラジオの方を向くと、彼女が軽く手を挙げて合図を出す。それに応じて待機していた職員が一歩前に出ると、持っていた資料を一枚捲って解説を始めた。全員の視線がその職員へと向けられる。

「進藤鉄。進藤重工業の社長の息子で、今朝に行方不明者届が出ました」

「進藤重工業は造船と鉄鋼の会社。そこの御曹司が行方不明です」

「……警察の管轄だ」

「教師の報告では、家庭内の不和を示唆する発言があったとのこと」

 夜中に町を徘徊し、自分を助けようとする者達から走って逃げる。自ら救いから離れる彼らに手を差し伸べることができるのは彼らより強い者か、または彼が自ら近付いた者のみ。状況は良いとは言えない。

 粳部が職員の読んでいる資料を覗き込む。

「友人は居場所を知らず、交友関係はサーバーに情報がないです」

「でも、あの時もう一人居ましたよね?」

「ああ、ヘアピンの少女が居たな」

「そちらは情報が不足しておりまして……」

 進藤の隣に居た謎のヘアピン少女。彼と同じかそれ以上の速度で走り抜けた彼女も危険な存在であり、何とかして捕まえなければ何をしでかすか分からない。徘徊程度であればまだ可愛いものだが、子供のすることは大人には分からないものだ。

「だが、彼らが司祭じゃないことは確かだ」

「……はい?」

「藍川、心を読んで何が分かった?」

「他に司祭が居るってことじゃないんすか?」

 進藤も、ヘアピンの少女も司祭ではない。あれだけ人間離れした力を見せつけておきながら、彼らはまだ人間の枠組みなのだ。粳部からすれば自分の目で見た以上はあまり受け入れられる話ではない。

 藍川がその正体を語る。

「奴らは法術使いだ。信じられないが事実だ」

「……藍川、現実的な話じゃないよ」

「誰に習ったかは知らん。奴の苦痛を感じてそれどころじゃなかった」

「あんな子供が……法術使い!?」

 ラジオが言うようにそれはあまり現実的な話ではない。成人が法術使いならまだしも、常識的にまだ小学生の子供がそんな筈はない。長年の訓練を積んだ少ない人数が法術使いになれるというのに、天才児でもそんな早くに習得できる筈がないのだ。

「まさか数年間の修行を積んでいたの……?」

「隠れてコツコツか?現実的な話ではないな」

「……やっぱり、時間掛かるものなんですか?」

「……お前に言われると腹が立つな」

 見ただけで使って見せた粳部と、数年掛けて今のように使い熟せるようになった谷口の差は歴然だった。彼からすれば彼女の言うことは面白くないだろう。粳部は全ての過程をフッ飛ばしている前例のない法術使いなのだから。

 だが、そんな天才が同じ年に何人も生まれる筈がない。

「一年で習得しても速い方だぜ?長期間練習してればバレる筈だ」

「でも……一番の問題はどこから法術を知ったのかだよ」

「……まさか!ウチの職員がバラしてたり!?」

 それは真実だとすればとんでもない事実である。非行少年少女に蓮向かいの職員が情報を漏らし、まだ法を知らない彼らにあまりにも手に余る力を与える。頭を抱えたくなる程に危険過ぎる話だ。

「考えたくないが考えねばな」

「……一応、上に報告しておく」

「これで動く動機ができたな……いつつ」

 誰が彼らに法術の情報を漏らしたのかを特定しなければ最悪の場合、組織の機密を守れなくなってしまう。更には少年少女を経由して犯罪組織に法術の技術が流出してしまうリスクもある。そうなれば平和の維持の難易度は上昇してしまう。

 粳部は自分の頬をピシっと叩く。

「まずは子供から事情を聞きましょう!」

「悪い子はお灸を据えなきゃね」

「お、お手柔らかに……」




【5】


「ありゃ失敗だったな……」

「言ったじゃん。山を出るべきじゃないって」

 廃棄された山小屋の前で、進藤とヘアピンの少女が嘆いている。小屋の前にある畑では夏野菜が青々と茂っており、その先では霧が満ちこの空間と外界を隔絶していた。大人の居ない霧がかった幻想的な空間で、彼らは真昼を過ごしていた。

 進藤が足の一本足りない椅子に座りながら話をする。

「あの女、足早かった……こっちは強化法術使ってんのに」

「相手が引き返さなかったら、進藤は捕まってたかもね」

「冗談じゃないよ……」

 進藤を笑うヘアピンの少女。実際問題、あの時の粳部の速度ならば彼は捕まっていたことだろう。ヘアピンの少女は粳部よりもずっと早く、粳部が途中で引き返していなくても逃げ切れていた筈だ。

「あれより一昨日のおっさんだよ!一時間も付け回してきたんだよ」

「そのおっさん何なんだよ……こっちは法術使いだぞ」

 一般人が車よりも早く走れる筈がない。それでも彼女らを一時間追いかけ回せたのだから、それをやってのけた粳部の父親はどこかおかしいのだろう。しかし、少年少女達の心配事は他にあった。

 畑の中から少年が出てくる。

「なあ進藤、暇なら畑の手入れしてくれないか?」

「ええ……まあいいけどさ。毛虫居ないよね?」

「居ないさ」

沼野ぬまのーちょっと来てよー」

 進藤はポケットから手袋を引っ張り出すと畑の方に行き、沼野と呼ばれた少年はヘアピンの少女の方へ向かっていく。彼女は柵の上をバランスを取りながら歩いて遊び、沼野はそれを怪訝そうな目で見ている。

「なあ、野菜の育つ速度もっと上げられないか?」

「うーん……植物を育てる法術は五倍が限界だよ」

「この調子じゃ食料が不足する。あと、長期保存ができない」

「それについては……冷蔵庫を調達するか地下室作るかだね」

 こんな山小屋ではまともに生活を送ることができない。それでも彼らがこうして生きていられるのは法術である種のズルをしているからだ。植物を法術を用いて五倍速で育て、法術を用いて生活を行う。

 これはとても子供のすることではない。

「……子供四人で生活か。分の悪い賭けだな」

「分の悪い賭けって……楽しいじゃん?」

「……まあ、俺達全員お前に賭けたんだ。付いて行くさ」

 普通であれば絶対に失敗する最悪の賭け。それでも少年少女は法術使いの少女に賭けたのだ。自分達の未来を考えてそうしたのではない。そうする以外に道がないと、追い詰められた結果がこれなのだ。

 ヘアピンの少女が柵から降りる。

「術式を調整してみる。保存方法はもう少し考えようよ」

「助かる。俺には法術はサッパリだよ」

「……ここ、静かでいいね」

「あの霧の壁のおかげで、普通の奴は入ってこれないからな」

 そう言うと沼野は遠くにある霧の壁を見る。林は青い夏空に似合わない霧の壁で染まり、人気のないこの空間を外界から隔絶している。霧の影響から周囲はうっすらと冷えており、冷房がないというのに過ごしやすい。

霧御殿きりごてん。我ながら自信作だね」

「霧の中に入ると迷子になる。警察はここまで来られない」

「また新作考えようかなあ」

「……でも、もしヘリで上空から降りてきたら」

 ヘアピンの少女が編み出した霧の法術は一般人では突破することができない。司祭か、または法術使いでなければこの森には辿り着けないのだ。だが、それはつまり霧のない場所から侵入すればいいということ。上空からの襲撃まではカバーできない。

「その時は、私が返り討ちにするだけのことだよ」

響夏きょうかちゃんこっち来てー」

 山小屋の中からヘアピンの少女を呼ぶ声が聞こえ、彼女は小走りで中に入っていく。室内は隙間風の入らないように木の板が打ち付けられ、端には壊れかけの冷蔵庫や発電機が設置されていた。そして、端に置かれたボロボロのソファに少女が寝転がっている。

「何?おたけ

「カーナビの充電切れちゃった!テレビ観れない」

「節電中だから充電は今度ね。今度電気の法術覚えるからさ」

「おい卜部うらべやなぎをそんなに甘やかすなよ」

 ヘアピンの少女、卜部うらべ響夏きょうかに不可能はない。時間を掛ければどんな法術だって習得し、三人の少年少女の願いを叶えることができる。まだ十歳の小さな体躯に他人の願いを押し付けられて、彼女はそれでも力を行使し続ける。

 室内を覗き込む沼野の方に彼女が振り返る。

「大丈夫。万能だから、この卜部うらべ響夏きょうかは」

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