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ガランドゥ第17話『摩天楼の殺人鬼』

17-1

【1】


「……ヨーグルトがないな」

「あっ、ごめーんパパ。食べちゃった」

「まあ、いいだろ」

 冷蔵庫の扉を閉めて後ろを振り向く男。居間では彼の娘が学校の身支度をしながらテレビを観ている。現在時刻は七時半、時間的な余裕のある彼はテーブルの自席に戻り、コーヒーのカップに手を伸ばした。

 ふと、彼はテーブルの上にある『加藤典也かとうのりや様』と書かれた封筒の下に、生命保険の保険料についての書類が挟まっているのを目にする。

「何かお腹が不調なんだよね」

「ほっとけば治るだろ」

「んなテキトウな……」

本子もとこ、早く行かないとバス間に合わないよ」

 奥からやって来た母親が娘に声を掛ける。彼女は慌てて机の上にあった水筒を鞄に突っ込み、忘れ物がないかと周囲を見渡す。男は生命保険の書類を手に取って目を通しつつ、忙しく動く自分の娘を横目に見た。彼のポーカーフェイスはどんな状況でも少しも変化しない。

「夏休みなのに忙しいな」

「コンクール近いもん。吹部すいぶはみんなそうだよ」

「みんな全然休めないね」

「そう!最悪!行ってきまーす」

 そう言って本子もとこは鞄を抱えてリビングを飛び出していく。その背中を見送る母親と父親の男。彼は生命保険の書類をテーブルに投げ出すと、コーヒーを全て飲み干して時間を潰す。車で出勤する彼は娘と違って時間に余裕がある。

 その時、ふと彼が床に目をやるとゴキブリを見つけた。それでも彼は眉一つ動かすことはなく、何を思ったのかゆっくりとカップを机に置いた。そして、おもむろにスーツのポケットに手を突っ込む。

 小声が洩れる。

祭具奉納さいぐほうのう、憂い占い星の下』

 妻に聞こえないように彼が呟いたかと思うと、ポケットから引き抜いた手には祭具の腕時計が握られていた。そう、彼は司祭だ。

無垢鏡典むくきょうてん

 金色に光る趣味の悪い腕時計が、秒針をチクタクと鳴らしながら生命の残り時間を知らせる。人の理解の領域を超えた司祭の権能が、決して起きない筈の奇跡を起こす。男、加藤典也かとうのりやが権能『無垢鏡典むくきょうてん』を発動した。

 彼の脳内に情報が流れ込む。

「(十四秒後に妻に踏まれて死亡……短いな)」

 『無垢鏡典むくきょうてん』の力は至極単純、あらゆる生物の死期と死因を予知する権能だ。生物の終わりを知るということは一見残酷に見えるかもしれない。しかし、見方を変えれば終わりを知って覚悟できるということでもある。覚悟はいつだって、希望を呼び寄せてくれるのだから。

 男が席から立ち上がった時、歩き出した妻がゴキブリに気が付いて悲鳴を上げる。

「うわああっ!?うおっ!?」

 暴れるゴキブリは何をトチ狂ったのか妻の方に走って行き、混乱した彼女は咄嗟にゴキブリを踏み潰してしまう。スリッパの下敷きになったそれは息絶え、加藤が権能で見た通り十四秒後に亡くなったのだ。

 彼が自分のネクタイを整える。

「(的中か)」

「あっ!?やっちゃったああ!」

「そういう運命だったんだろ」

「どんな運命だよ!」

 死期の司祭、加藤典也。その秒針は命を示す。




【2】


「はあ……終わったあ」

「荷物全部運んだか?」

 開いたままの扉から藍川が覗いている。歴史を感じる和の色合いの角部屋で、粳部は荷下ろしを終えて椅子に座っていた。ダンボール箱の積まれた北側の部屋は陽の光が入らず、夏だというのに随分と涼し気だった。

 粳部が彼の方に振り向く。

「は、はい!これで全部っす」

「引っ越しなんて何回もやるもんじゃないぞ」

「司祭は疲れないじゃないっすか」

「いい思い出がないんだよ、引っ越しに」

 ここは藍川の住む家、その二階。一人で住むには余りにも広過ぎるその家は、粳部に一部屋貸したところで十分過ぎる余裕があった。普段から広さを持て余している藍川からすれば、誰かが使ってくれれば元が取れてお得だ。

 それに、粳部からすればメリットしかない。

「あ、あの……部屋貸してくれて助かりました」

 頬を紅潮させながら答える粳部と、いつも通り呑気な表情をしている藍川。特に深く考えず部屋を貸すことにした彼は、心の司祭だというのに彼女の考えていることが分からない。思わぬ収穫に喜ぶ粳部の気分は良い。

 藍川が扉に寄りかかりながら答える。

「良いんだ。来てから一度も使ってない部屋だし」

「まあ、余りますよね」

「掃除も手間だしな」

「……私を掃除係だと思ってます?」

「さ、流石にそこまで愚かじゃない」

 いくら天然の彼でも彼女に掃除をさせる為に部屋を貸しはしない。

「一応言っておくと、俺は三日に一回しか食事しない」

「よ、よく生きてますね……」

「司祭だからな。冷蔵庫の中身は少ないが……好きに使ってくれ」

「自炊は苦手ですけど……やろうと思えばできますよ」

 自宅に篭ることが多くファストフードを頼むことの多い粳部だが、やろうと思えばそれなりにできるのが彼女という人間だ。彼が傍に居ればやる気に火が付くことだろう。彼女を活動的にさせられるのは藍川だけなのだから。

「……よく住もうと思ったな?」

「わざわざ基地からこの地区に通うなんて手間じゃないですか」

「それもそうか」

 この地区が管轄の粳部はしょっちゅう巡回の為にこの町にやってきているが、時間短縮の為にも本来であれば藍川のように住み込みで働くのが一番だ。とは言え、危険性の高いこの地区に住みたがるものはそういないのだが。

「それに、メリットしかないですし」

「この広さしか取り柄のないボロ屋のメリットって?」

「……まあ色々あるじゃないですか」

 粳部は顔を赤くしつつ目を逸らす。彼女が決して話そうとしない本心が藍川にバレルことは永劫にない。粳部の方から歩み出さない限りはどうにもならないのだ。一線を踏み越える度胸はなく、勝ち目がないと彼女が元から諦めている以上は変わりようがない。

 その時、ダンボール箱の中からラジオの声が聞こえる。

『あー……藍川ー』

「ん?」

「ラジオさんの声が……あっ、あれですね」

 粳部が屈んでダンボール箱を開封する。そこに入っていたのは古いラジカセ、電源が入っていないそれはラジオの権能で音が鳴っていた。いつも通りの光景に驚く者はもう居ない。

『聞こえてる?』

「おう、もう大丈夫だ」

『お上がそろそろ予言の件を片付けろとうるさい』

「あれか……丁度いいし粳部にも手伝ってもらうか」

 顎に手を当てて考え込む藍川に反して何の話なのかが分からない粳部。ラジオの言っている単語から真相を読み解くことは難しい。正確な事実を知るには情報が不足していた。

「あれじゃ分かんないですよ」

「説明カモンッ」

『カモンって……蓮向かいには予測の司祭が居るのは分かる?』

 予測の司祭、それは読んで字の如く未来を予測する司祭。高精度の予測はほぼ予知に近く、それでも百パーセントの精度にならない為に予測に終わる。蓮向かいの活動を支える柱の存在、それが予測の司祭だ。

「ああ、未来を予測する司祭ですよね?」

『うん。三か月前にそいつが、『死期しきの司祭』の出現を予測した』

四季しきですか?」

死期しきだよ、しき。死ぬ方の」

「なるほど」

 読みは同じだが意味はまるで違う。

『早く見つけ出さないといけないのに、後回しして三か月……』

「しょうがないだろ。色々あったんだ」

 色々と簡単にまとめるには余りにも慌ただしい日々だった。ただでさえ権能で精神的に疲弊してしまう彼はなるべく休息を取らなければならない。それでも立場故に仕事は多く、優先事項を選択し続けた結果がこの後回しだ。

 彼が悪いというよりは治安の悪いこの世界の方が悪い。

「奴は予測では世田谷区に出現してるんだと」

「死期って……どういう権能なんです?」

『生物の死ぬ日付と、その死因が分かる司祭……』

 それは一見すれば何の使い道もない権能に見えるかもしれない。しかし、それが悪意を持った集団の手に渡れば確実に事態は悪化する。人の死ぬタイミングを利用して殺人的に儲けを出す方法がこの世には存在する。死ぬ日が決まっているのなら、それまでは絶対に死なないということでもあるのだから。

「また、変な司祭が出ましたね」

「ああ、流石にそろそろ見つけ出すか」

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