【3】
「……で、何であなたが来たんですか?」
「粳部君、君は絞首刑についてどう思う?」
公園のベンチに座る粳部と映画監督。夏本番の日差しが降り注ぐ中、二人は子供の声と噴水の音が満ちた場所で静かに会話をしている。彼の意味不明な発言に辟易した彼女は露骨に嫌そうな顔をするが、それでも話をするしかなかった。
「あ、あの……話聞いて」
「私はそこまで好きじゃないな。地味だし、生命を感じない」
「処刑したんだからそりゃ感じないですよ!」
「電気椅子や銃殺刑もそこそこだ。血が殆ど出ない」
「会話ができないっ!」
粳部が頭を抱える中、藍川は走る子供達や談話する主婦達を横切っていく。彼の指には祭具の指輪がはめられており、絡目心中は人々の心を確かに見抜いていた。だが、反動で体調の悪くなった彼は突然地面に嘔吐する。
周囲の子供が逃げて行った。
「あっ……また権能で無理してる……」
「藍川君、難儀な力だな」
「お前ら……サボってんじゃねえぞ」
疲れ切った表情の藍川がベンチに近寄っていくと、空いたベンチに横たわる。まるでホームレスのように。それと同時に映画監督がベンチから立ち上がると、片手で持っていたビデオカメラで周囲を撮る。青々とした景色をフレームに収める。
「この人、何度言っても止めてくれなくて」
「お前が仕事を辞めたら止めようかな」
「それ何年先なんですか!」
「君達、コメディの脚本やってみないかい?」
「コントやってんじゃないんですよ!」
映画監督がビデオカメラを粳部に向けた。彼女はそれを見て露骨に嫌そうな顔をすると手で自分の顔を隠し、ささやかな抵抗を試みる。映画監督は彼女にズームしていくとそれに伴って彼女の機嫌が悪くなっていった。
「しかし、生物の死期を読み取る司祭か。ストックしたいな」
「……鈴先輩は、自分がいつ死ぬか知りたいですか?」
「別に。やることやった後のことに興味はないな」
「私は知りたいね。残り時間から逆算して映画作りに使いたい」
映画監督は自分の生を全うする為に自分の死期を知りたがっている。常に希望を抱き続ける映画監督を絶望させることはできない。だが、どこまでも映画の為に生きる彼と相対的に、藍川は自分のすべきことにしか興味がなかった。
もう藍川は、先のことを考えられる身ではない。
「映画のことばっかですね……」
「そういう君はどうなんだい?」
彼にそう聞かれて粳部は考える。自分がいつ死ぬのかなど普通は知ることのない話だ。それを聞かされて彼女はどう生きるのか、悔いのないように生きるのか。余命宣告を受けた患者の選ぶ道は様々だ。
彼女は少し考えた後に曖昧な答えをする。
「そんな怖い話……聞きたくないです」
それを受け入れられる程に粳部は強くない。事実は時に人を殺すものだ。
映画監督は撮影を終えてビデオカメラを降ろす。
「うむ。それもありだね」
「でっ、捜査の進展ないぞ」
「この司祭、余程人間社会に適応してるのか情報ゼロだね」
「司祭は目立つことが多いんですけど……」
司祭の概念防御はあらゆる障害を破壊し、その権能は絶対に起こりえない奇跡を起こす。そのスケールの大きさ故に隠そうとしても隠し切れるもではない。どこからか人間でないところが露見し噂ができるのが司祭の常だ。
しかし、自分の異常性を正しく理解している者はそれらを全て隠し切る。
「この権能……知った死期は変えられないのかな?」
「そうだとすればある種の未来視だな。簡単に悪用できる」
「そもそも世田谷区に発生したと言っても……もう逃げてるかも」
予測の司祭は世田谷に『死期の司祭』が発生するとは言ったが、今もまだこの地区に居るのかは誰にも分からない。そもそも、人の流動性が高いのが都会なのだ。八十万人以上の人口を抱える地区から一人の司祭を見つけ出すのは至難の業だ。
「年齢も不明、性別も不明……どうしますか?」
「今、三か月前から現在までの保険金申請者のリストを作らせてるよ」
「……死ぬ人を見つけて保険金で稼ごうとしてると?」
「ここまで情報のない慎重さなら、権能で違法性なく利益を出せるさ」
笑顔でそう答える映画監督の推測は的確だろう。人の死で金を稼ぐのであれば保険金が一番手っ取り早い。人類は保険金の為ならば殺人も辞さない生物だ。それを自分の手を汚さず、死期を読んで死ぬ者を選ぶことができるのなら全ての問題を解決できる。
倫理的な問題を除いて。
「保険金って……まさか身内の死を利用して……?」
「そうなるね……これ面白いな、ドラマにしよう」
「生命保険は原則、親族以外を受取人にはできないからな」
「……それ、人としてどうなんですか?」
自分の家族の死を予見して、それを金稼ぎに利用するというのは倫理的な問題がある。人が生きていく為に金は必要不可欠なものではあるといえ、もし利益を出すことを最優先に行動しているのだとすれば。それは褒められたことではない。
映画監督が両手のひらを空に向けた。
「さあ。現行法、問題はないね」
「倫理の話っすよ」
「倫理というのは、法律を考えたくない奴らの妄言に過ぎんさ」
「法で全てどうにかなるってのも、妄言なんじゃねえか?」
冷静に答える藍川に対して、彼はいつもの調子で淡々と返事をする。何よりも法と人を信じる映画監督にとって、倫理といった曖昧な価値観は法の代わりにはならない邪魔なものでしかないのだ。
「法は不完全だが、変え続ける限り完全に近付くのさ」
それが彼の信念なのである。彼の最悪の趣味は放っておいて、その一点については粳部も賛同できた。趣味さえ絡まなければ映画監督は高潔な人物なのである。
少しの無音の後、彼女は不意にあることが気になった。
「……あれ?保険金申請者のリスト作ってんのに、何で現地で捜査を?」
「そりゃあ、久しぶりに外に出たかったからだろう」
「……私情じゃねえか」
【4】
会社の廊下、加藤典也とその部下の男が歩いて行く。夏本番だが空調が効いているのか肌寒いくらいに涼しく、部下は汗ばんだシャツが風に当たって寒いくらいだった。しかし、司祭の加藤が温度をまともに感じることはない。
部下が口を開く。
「部長、さっきは助かりました」
「いや良いんだ。あそこはハッキリと言わないといけなかった」
「ケイテンはまともに現場管理できないのに……社長も馬鹿ですね」
「仕方ない。でも言ったからには責任を持たないとな」
廊下に硬質な足音が響く。足音は早歩きで規則正しい旋律だったが、不意に違う足音が混じる。加藤の別の部下が心配そうな表情で彼に近付いていく。加藤もそれに気が付くと速度を緩めた。
「加藤さん。今日の打ち合わせリスケだそうです」
「そうか。スケジュール表の空いてる日にまた入れてくれ」
「それが……今週の木曜日に入れて欲しいって」
「締め切りの日か……分かった。俺が一人でやろう」
「いつもすいません加藤さん……」
彼は軽く手を振ると再び歩き出し、足早に自分のオフィスに入ると資料を自分の机に置いた。そのまま壁際にある冷蔵庫に向かい水のボトルを取り出すと、彼は自分のマグカップに水を注いでいく。
そんな彼の下に女性の部下が向かっていき。
「部長、打ち合わせ中に田沼さんが仕切りを買いたいって言ってました」
「またか。まあ、流石に聞いてやろうかな」
「……そろそろウォーターサーバー欲しいですね」
「社長はそういうところをケチるからな」
そう言って彼が苦笑すると、部下もそれに微笑みその場を立ち去る。彼は水のボトルを冷蔵庫にしまうとマグカップを自席まで運び、席に座ると小さく息を吐いて休憩する。仕事は捌いても捌いてもなくならないが、誰にでも休みが必要だ。
「……面倒だ」
誰にも聞こえないような声で呟くと、加藤はパソコンを操作して自分の銀行口座を表示する。そこには千三百万円の貯蓄があり、入出金の項目を見ると死亡保険金として六百万円が入金されていた。
加藤が手を組み、背もたれに身を預ける。
「(まあ、六百万の値札が付いただけ良い方か)」
それは三か月前に遡る。まだ世間は初夏どころか梅雨真っ只中だった頃。外で雨の降る中、喫茶店の席で加藤は呆然と座っていた。自分の身に起きたことを全て理解できていない彼は困惑し、状況を理解しようと頭を高速で回転させている。
『司祭?……何だ……これ』
司祭というのは突然なってしまうもので、何か特別な条件があるわけではなく誰でもなってしまうものなのだ。困惑する彼の腕には祭具の腕時計『
彼が慌ててそれを手放す。
『(何だこの怪力……?いや、それより権能とやらだ)』
司祭に必ず一つ以上ある人知を超えた権能。彼の場合は人の死期と死因を知る力だが、通常人間が知ることのないことを彼は知ることができる。そんな力を突然与えられて、困惑しない者は居ない。
ふと、通りがかった店員を彼が見るとそこで数字が浮かんでくる。
『(四十九年と六日後、癌で死亡……本当に?)』
脳内に流れ込んできた情報は到底信じられない恐ろしいものだった。しかし、加藤は別に人の死期が分かることを恐れているわけではない。人間の理解を超えた現象が起こっていることを恐れているのだ。
ふと、加藤が辺りを見渡す。テーブルを拭く店員が死ぬのは今から五十年後、時間を気にしているサラリーマンが死ぬのは六十八年後、皆が病気や老衰で死んでいく。それでも、加藤がそれを恐れることはない。
『(なるほど……確かに分かる……ん?)』
その時、彼は会計に向かう一人の老婆を見る。『
老婆の死期は三分後、車に撥ねられることが死因とされていたのだ。
『三分後?』
余りにも興味深い情報を得た彼は傘と伝票を取ると、彼女を追って会計に向かう。店員に伝票を渡すと財布から千円札を取り出し、お釣りを受け取ることもなく外に出る。加藤は傘をさして周囲を見渡すと、もう遠くまで行ってしまった老婆を追って小走りで進んで行く。
それは、完全に興味だった。
『(本当に死ぬのか?三分後に?)』
自分の権能が真実を語っているのか、これは確実に訪れる未来なのか。加藤はその老婆のことを一ミリも心配していない。それよりも、老婆の死とその後に興味を持っている。そこに人間の心はなかった。
加藤が物陰に隠れて老婆を見る。もう時間が近かった。
『(時間だ……)』
雨で視界が悪い中、車の光が見えた直後に老婆が撥ねられる。遅れてブレーキの音が鳴るがもう遅く、地面を転がった老婆はぐったりとしたまま動かなかった。運転手は慌てて車を出るが、加藤の表情は少しも変わっていない。
権能は確かに本物だった。
『本物だ……確かに死期が分かるんだ』