【5】
新宿駅、東京都内でもトップレベルで混雑する駅。壁際でその混雑を眺める加藤の腕には、彼の祭具の腕時計『
『……見つけた』
視界の端に映った元気のない女性。弱々しい歩きの彼女はしわだらけの服を着て、乱れた髪を一つにまとめている。加藤の権能はその女性は九分後、線路で飛び込み自殺すると告げていた。彼は彼女を追ってホームに上がっていく。
それは決して、彼女の身を案じているからではない。
『(九分後にあれは自殺する……なら実験してみたい)』
人混みの中、ホームの先頭に立つ女と後ろに並ぶ加藤。電車を一本見送った女に電車に乗る考えなど毛頭なく、次の電車で死ぬことしか考えていなかった。『
そして、ホームに次の電車のアナウンスが響いた。
『(そろそろか)』
電車がホームの奥に見え、停車の為に減速していくもその勢いは未だに人を殺せるレベルであった。自殺の為に飛び込んだ者を殺すには十分過ぎたのだ。
突然、女が線路に飛び込もうと走り出す。しかし、加藤がその手を掴んで引き留めた。司祭の筋力で掴まれた以上、その女は逃げ出すことができず自殺することは叶わない。
『離して!邪魔しないで!』
『自殺なんて止めた方が良い。生産的じゃ……』
彼の手を振りほどこうと女が暴れている。周囲の人間は何事かと二人のことを見つめる。しかし、突然彼の目の前で女が消えた。まるで最初から居なかったかのように全てが消えた。女の腕を掴んでいた筈の手は空を掴み、理解を超えた状況に加藤は困惑することしかできなかった。
電車が緊急停車する音が鳴り響く。
『きゃああああ!』
耳をつんざく悲鳴が聞こえた後、完全に電車が停止した。ホームの人間が騒ぎ始め、特に電車の先頭付近の人物が大騒ぎをしている。女が消えたことに困惑した加藤は辺りを見渡すと、先頭の様子が気になって走り出した。
『(何で消えた……何が起きた)』
そこに心配などの感情はない。ただ、起きた事実を観察したいという純然たる好奇心だけがあった。そのまま先頭車両の横までたどり着いた彼は、電車の頭を見て何が起きたのかを一瞬で察する。血だらけの上にひび割れてしまった電車のガラス、それは明らかに飛び込み自殺の痕跡だった。
『(運命通りだ。飛び込み自殺の運命通りに死んでいる……)』
司祭の圧倒的な握力で自殺を未然に防いだ加藤だったが、どういうわけか女は理論上不可能な死に方をした。何故か、自殺が成功した世界に塗り替わっていたのだ。女が彼の目の前から消えたのは辻褄合わせの為。自殺の制止はなかったことにされていた。
『(俺の制止はなかったことになったんだ。運命は変わらない)』
普通の人がそれを知れば残酷な事実に悲しむことだろう。しかし、彼は少しも動揺しない。自分の権能を正しく理解できたことで彼は、それをどう活用し利益を出すのかを考え始めていたのだ。
それはまともな思考ではない。
『やっ、久しぶり』
『おお、お帰り。珍しいな帰ってくるなんて』
『たまには帰るもんだろ』
加藤は玄関で靴を脱ぎながら父親に挨拶をする。夕方、外もオレンジ色に染まってきた時間帯に彼は実家に戻り、廊下を歩くとリビングに上がっていく。今は世田谷区の一軒家で生活している加藤だったが、実家は東京の外れにあった。
テレビは点いたままになっている。
『母さんはまだ買い物に行ってるよ』
『ふーん』
父親は先程まで居たソファに戻っていき、加藤は飲み物を飲む為に棚からグラスを出すと冷蔵庫に向かった。
『本子ちゃんどうだ?』
『元気だよ。吹奏楽のコンクールの準備をしてる』
『あー吹奏楽部かあ。母さんも確か吹奏楽部だったぞ』
『ああ、昔そんなこと言ってたっけ』
冷蔵庫の扉を閉め、麦茶の瓶を片手にグラスに麦茶を注ぐ。懐かしい実家ではあるが、加藤は別に感慨なんて物が湧くような人間性を持っていない。加藤典也は人間の行動を模倣するだけのモンスターだ。
例え相手が親でも、彼は何とも思っていない。そうした方が人間らしいと思ってそうしているだけに過ぎないのだ。
『いやあ、俺は音楽の才能だけはないんだよなあ』
『ふーん』
『若い頃は色々試したんだけどさ、これがまた全部駄目でさ』
『なくて正解だよ。音楽なんて』
それは本音かもしれない。加藤典也という男は音楽に興味がないどころか、世間体と金にしか興味がないのだから。
彼が麦茶の瓶を冷蔵庫に戻したその時、不意にある考えが脳裏に浮かぶ。
加藤が小声で呟いた。
『祭具奉納、憂い占い星の下』
彼の腕に祭具の腕時計が巻かれた。
『
目的はただ一つ、父親の死期がいつなのか。
それは普通の人間であればまずしないような不謹慎な考えだったが、彼は止まろうとはしなかった。彼を止められるのは法律だけなのだ。
『父さんの生命保険って、いくらだっけ?』
時間は現在に戻る。空調の効いた部屋で加藤は自席に座り、パソコンのモニターに映った自分の銀行口座を眺めている。父親の死亡保険金の六百万円の額は大きく、貯金のほぼ半分をこの保険金が占めていた。真面目に働くのが馬鹿に思える金額だ。
彼は手を組んだまま考え込む。
『(……父さんの保険金が六百万。これで千三百万か)』
老後、仕事を辞めて普通の生活を送るには二千万円ほどの金額が必要となる。毎年コツコツと貯金し、子供の学費で削られていることを考慮しても相当の金額が残っていた。このまま働き続ければ目標を達成できる。
『(やり方次第でもっと稼げる筈だ)』
人の死期が分かるということは、その死を前提とした稼ぎ方をすれば良い。予言者のような目立つやり方は必ず身を滅ぼすことを彼は知っている。それならば、もっと人目に付かない自然な稼ぎ方を選べば良い。稼ぐことに関して彼は天才だ。
加藤がモニターの端にある現在時刻を見る。
『(……もう予定の時刻を過ぎたが。そろそろか)』
時間を確認した彼は検索ボックスでニュースサイトの名前を入力すると、検索結果の上位に表示されたサイトをクリックする。マウスホイールを転がしてページを下っていくと、ある会社の社長が自殺したという記事の見出しがあった。
加藤が記事を確認する。
『(
証券会社のページに彼が飛ぶと、既にその会社の株価は三パーセントも下落していた。それは株を空売りしていた彼にとってはメリットでしかなく、その三パーセントがそのまま利益に変わる。
『(これで突っ込んでいた六百万が、二倍のレバレッジで三十六万増額だ)』
人の死は金になる。それが、権能を手に入れた男の導き出した結論だった。加藤は人の死に、親の死にすらも何も感じない男なのだ。当然、次から次へと人の死を使って金儲けを考えていく。人の死を求め続ける。
彼がふと、カレンダーに書かれた赤いマーカーのバツを見る。
『(明日、娘が死ねば保険金千二百万円を請求できる)』
この男に感情はない。
【6】
自動車の車内、助手席の粳部がシートを後ろに倒す。後部座席では映画監督が狭そうに横たわっており、運転席の藍川は目を閉じて眠っている。路地に停車した自動車は日陰の中にあった。
「……候補者は六名ですか。こんなことなら早く調べれば」
「いや、三か月経ったことで司祭が動いたわけだ。上手い手だよ」
「怪我の功名……それは確かに」
三か月が経過したことで死期の司祭が動いた。人の死を利用して保険金をちゃっかりと稼ぎ、普通の人間を装って社会に溶け込んでいる。藍川が早期に解決へ専念せずにいたことは幸いだったのかもしれない。
藍川は眠りこけている。
「うーん……でも、候補者を一通り見た感じでは全員普通でしたね」
「ふむ……」
「……監督、気になることでも?」
「今……候補者を絞っている」
それはラジオのようなプロファイリング技術。粳部も徐々に習得しつつある技術ではあったが、彼女は対面で会話して感じ取る能力の方が優れていた。クラスΩである映画監督は強さだけでその等級になったわけではない。
「気にならないかい?死期の司祭の目的が」
「目的……お金を稼いで何をするのか」
「そうさ。社会に溶け込み、死者を利用し金を得た……その先」
人は目的の為に金を稼ぐ。生活の為、愛する人の為、遊興の為に人はあらゆる手段を用いて金を稼ごうとする。そこに人間の人となりが出るものだ。職業ならなおさらだろう。
「候補は全て暗記した。その中で、欲が薄く楽しみの薄い仕事の奴」
「えっ?逆じゃないですか?欲深いような」
「所帯を持ち、表向きは社交的な人物」
映画監督の読みは正しい。物語を創作する者である彼は人間を読み人間を作る者だ。その彼が解体し分析した人間性は恐ろしいものであり、普通の人間である粳部には見抜くのが難しいことだろう。
「奴は……他人に対しての興味がないが、恥をかくことには敏感なんだ」
相手は、かつてない狂人だ。
「人生で目立った失敗はせず、世間体を何よりも第一に考えている……」
「それって……誰です?」
「二人まで絞れた。よし、行くぞ藍川!」
「へっ?……はい?」
寝起きの藍川は何も理解していない。