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第56話『アイ☆レベルアップへの道!』スタート!


第五十六話『『アイ☆レベルアップへの道!』スタート!』


 ただ、スピリタスさんの剣を避けるだけ。これが簡単じゃない事ぐらい分かっていた。分かってはいたけれど…


「アイちゃん、右!」


 普通に避けられていたのは、本当に最初だけだったぁ!すぐにヘロヘロになった私を見兼ねた社長が避ける方向の指示をくれるから、なんとか避けることは出来るけれど…


「ひゃああ」


 変な悲鳴がでちゃうよ〜。レイピアなんて握っているだけだし。


「上!」


「うひゃあ〜」


 剣先は見えている。体の反応も、まだ何とか。ただ、繰り出される剣先のパターンがなくて、上下左右どころか高さもマチマチで、死角からも容赦なく剣先が襲ってくる。


「下!」


 下?! ジャンプ、もう無理〜! 


 アイは跳んだつもりでも、実際はほんの少し後ろにズレただけ。ケペシュの鋭利な刃がアイの足首を一刀両断にする手前で、ピタっと止まりました。ストンと腰を抜かすアイ。


「そこまでね。時間は4分半ってところよ」


 座り込んで全身を震わせて呼吸をしているアイに、カルミア社長はスポーツタオルを差し出しました。


 こ、これで4分半…。4分半でこの滝の汗。動き回っていたからじゃなくって、精神的なものもあるよね。タオルの感触がホッとするよ~。


「どう? やっていけそう?」


 タオルに顔を埋めていたアイは、カルミア社長に優しく声を掛けられて顔をあげました。


「正直、キツイです。ケペシュの動きを目で追うのが精一杯で、時間の経過とともに体が追いついていかなくなってる。でも、ついていけるようになります」


 諦めない。始まったばかりなんだもの、これぐらいで諦めてたまるもんですか。


 アイが心の中で叫んだ時、「じゃあ、入って」と言うカルミア社長の声と共に、入り口の奥から華麗なバク宙を繰り返しながら入って来た人がいました。


「やあ! 会いたかったよ、アイちゃん」


 床に這いつくばったままのアイの目の前で綺麗に止まったのは、栗毛のショートカットにスッキリ目元の爽やか君。トレーニングウェア姿のバロンでした。貴族らしく恭しく挨拶をすると、方膝をついてアイに手を差し伸べました。


「さあ、お姫様。この俺が手取り足取り指導してあげるからね。もちろん、ベッドの… ブッ」


「近いわよ〜」


 アイに近づいたバロンの顔を、シュルシュルとムチで巻いたカルミア社長は、笑顔のまま言いました。


 やっぱり、社長の鞭の腕は凄いわ。


「私とスピリタスがずっと一緒にいられたらいいのだけれど、さすがに無理だから。トレーニングコーチのバロン。人柄に難アリなのは分かっているから、大丈夫よね? 油断しちゃダメよ、アイちゃん。でも腕は確かだから、確りトレーニングしてね」


 鞭で顔をぐるぐる巻きにされたまま頷くバロンを見て、とりあえず頭を下げました。


 社長もスピリタスさんも大人で社会人だもんね。学生の私と違って、仕事があるから。でもバロンさんがトレーニングコーチ…人は見かけによらないなぁ。



「認識を改めます」


 思わず呟いちゃう。だって、バロンさんがトレーニングコーチて言うから、いつもみたいな感じかな? と思っていたんだもの。でも、懺悔します。だって、想像以上に真面目なコーチぶり。実はバロンさんじゃなくって、そっくりさん? なんて、少しの間は疑っちゃったぐらい。でも、休憩中に出る軽口は確かにバロンさん。この人も、意外な一面を持っていたんだ~。て、感心しちゃった。


 スピリタスの剣をひたすら避け続けた後、アイはケペシュの剣先でボロボロになったトレーニングウェアを着替えて、バロンの指導で入念なストレッチと適度な休憩を挟みながら幾つもの筋トレを頑張り、今は町中をウォーキング中です。きしむ体を引きずるように。


「バロンさんが筋トレの指導役だなんて、知らなかったし」


「あれ? 自己紹介の時言わなかったっけ? 俺、体育大学でスポーツインストラクターを専攻しているんだよね。自分で言うのもなんだけれど、成績優で将来有望視されちゃっててね〜。ここだけの話なんだけれどね、このままの成績ならカルミア社のサッカーチームに就職できそうなんだよね」


「マジで?! バロンさんて、将来有望じゃん」


「でしょでしょ~! 俺ってば出来る男なのよ~」


「でも、その出来る男がなんで私のトレーニングコーチに? 大学、忙しくないん?」


「アイちゃん、俺は君のためなら何でもする男だよ」


 バロンはアイの手を握り、二枚目の笑顔を作ってアイに迫りました。それをスイッと避けて手を勢いよく振り切るアイ。


「(私が)汗臭いから離れて」


 朝からずっと汗かきっぱなしだし、メイク直しも何回もしているから、絶対臭い! 制汗スプレー、効いてないと思う。


「あ! 俺としたことが。ごめんね、アイちゃん。汗臭いよね~。あ、ここから走り始めるよ。今日は初日だから、ジョギングぐらいのペースでも構わないからね。はい、スタート」


 勘違いして離れたバロンに申し訳ないと思いつつ、アイは素直に走り始めました。走り始めるとバロンの軽口はピタっと止まって、しっかりとアイのサポートと応援をしてくれました。

 町中をジョギングとウォーキングの交互で回って、最後はウォーキングで会社施設に戻りました。体育館で入念にストレッチをして本日のトレーニングは無事終了。


「お… 終わった」


 全身の疲労感に、床の上で大の字になったまま動けなくなるアイ。


 めちゃくちゃキツイわけじゃないけれど、疲れた~。このトレーニングを毎日頑張ったら、魔法使えなくなった時でも、何とかなりそう。とりあえず、レイピアで戦えるようにはなるよね。


「お疲れ様。一日目、無事に終了ね」


カルミア社長の声に目を開けると、バナナとプロテインシェーカーを持ったスピリタスが覗き込んでいました。ちょっと驚いて、恐る恐る受け取るアイ。


「あ、あり… あざまる」


まだ「アイ」だった。社長とスピリタスさんは大丈夫だけれど、バロンさんの前で素はマズいよね。終わったと思ったら、気が抜けちゃった。危ない危ない。それにしてもバナナ… 最近よく食べるなぁ~。


「運動直後の筋肉はダメージを受けているから、速やかに修復するために筋肉にいい栄養を飲んだり食べたりしてね。運動直後は血液循環の促進が維持されていて、酸素や栄養素が筋肉に効果的に供給され続けるんだ。 この働きで筋肉の回復が促進されるし、炎症などを抑える働きもあるんだよ。

今はバナナとプロテインを入れて、シャワーを浴びてからしっかりご飯を食べよう」


 体を起こしてバナナを食べ始めたアイを見ながら、バロンはプロテインを飲みながら教えてくれました。


 さすが、将来有望なトレーニングコーチ。うんちくも バッチリ。でも、最近バナナをよく食べさせられた意味が分かった。でも、体が求めているモノ、違う気がするんだよね? バナナが甘いから? いや、もうちょっとこう、ガツン! とくる…


 「なんだろう?」と考えながらも、バナナを食べているアイに、スピリタスが小さなタッパーを差し出しました。


「あ、これ」


 それは、家を出るときに「疲れたら食べなさい」と、ハナが持たせてくれたものでした。スピリタスが蓋を開けると、そこには赤くて皺皺した梅干しが数個入っていました。赤紫蘇付きで。


「お婆ちゃんの梅干し~」


 アイは「きゃ~♪」と声を上げて一つ摘まむと、ポイッと口の中に放り込みました。


「ん~!」


 きたきたきたー! このガツン! てくる酸っぱさ! これよこれ! 今の私の体が求めていたモノは、これなのよ~。お婆ちゃん、ありがとう~。


 アイは梅干しの酸味にギュっと目を閉じて、口もギュっとすぼめながらも、大好きなお婆ちゃんの味に全身の細胞が喜んでいるのを感じていました。


 アイ、レベルアップへスタートを切りました。このままギブアップしないで頑張れるかな? Next→

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