第五十八話『レベルアップするためのお勉強』
『アイ☆レベルアップへの道!』の二日目は、ラジオ体操と施設の周りを30分ほど散歩することから始まりました。しっかり朝食を取った後は体育館で
「体の動かし方の勉強?」
の時間です。バロンは大学の集中講義があるからと、泣く泣く大学に行きました。なので、指導はスピリタスです。
「例えば… 拳を突き出す。今は腕を伸ばすだけだったので、腕の長さだけですね。でも、肘をひねっただけで数センチ伸びます。これに、腰をひねって入れると、さらに伸びます」
スピリタスは空中に拳を突き出すと、段階を追って体を動かしながら説明をしました。
「本当だ。ぜんぜん長さが違う」
目の前でスルスルと変わっていく腕の長さを見つめながら、アイの腕も無意識に動きます。
「今のアイさんには基本中の基本、立ち方と歩き方からやりましょう」
クルっとアイに向き直ったスピリタスは、アイにまっすぐ立つように促します。
素直に従うアイの立ち姿を、スピリタスはトントンとズレているポイントを押したり引いたりして直していきます。
「正しい姿勢は、筋肉や関節にかかる負担やケガのリスク等が軽くなります。また、深い呼吸ができるようになり血行が良くなり、脳の働きが良くなって集中力が高まります。つまり、今の貴女が欲しがっているものです」
魔力を使わない戦闘でもケガをしない! 集中力が高まって魔法の効果も上がる!! まさしくレベルアップ!
「もともと姿勢は悪くはないので、コツさえつかめば大丈夫ですよ。はい、今の姿勢をキープ。… では、床をゴロゴロしてください。はい、もう一度立つ。今回は、頭のてっぺんに糸があると思ってください。その糸がゆっくりと上に引っ張られて行きます。上に、上に… 顎はどうなりなす? そうです、引けますね。足が浮かないように下腹部と肛門に力を入れましょう。はい、糸が切れました。フワッと落ちました。重心はどこにありますか? そうですね、踵から土踏まずあたりですね。ではもう一回、床をゴロゴロしてください」
アイは素直にスピリタスの言葉に従いながら、立ち方と歩き方の姿勢を直されていきました。そして、スピリタスがレイピアを使って、実演をしながら体捌きや体重移動を見せてくれました。アイは見ながら体が動き始め、終わりの方ではレイピアを持ったつもりで、スピリタスの動きに合わせて動いていました。
アイが集中して頑張っていると、外からドダダダダダー!! と凄まじい
足音が近づいてきて、勢いよく体育館のドアが開きました。
「ちょっと、いつまでやっているつもりなの? この私の作ったご飯を食べないつもり?!」
アイの視界に飛び込んできたのは、木のシャモジと白い三角巾で誇張された舞台向けサイズの平坦な顔。真っ白な下膨れの輪郭、少し太めの一本眉、切れ長の細い目 、鼻筋が通った小さな鼻、真っ赤なおちょぼ口。それはまさしく
「あ、平安美女」
です。顔に負けないぐらい体もたっぷりしていて、真っ白な割烹着で包み込んでいます。
「シスター」が「お母ん」になってる。いつものシスターの姿はどうしたんだろう?
「アイちゃん、貴女、私の事を見た第一声、いつもそれねぇ!! 近いわよ!」
ズン! ズン! ズン! と寄ってきたシスターは、アイとスピリタスの間にねじ込むように入り込んでスピリタスの方を向くと、ガッ! と力強くスピリタスの右手を両手で握りしめました。
「ご機嫌麗しゅうございますか。ご無沙汰しておりました。私は貴方様に会えない日々を、生配信や録画配信で寂しさと心配を何とか誤魔化しておりましたが、とうとうつい先日の配信を目にして、その気持ちが爆発してしまいました」
わ~、シスターさん、お顔が近い近い。さすがのスピリタスさんも思いっきり引いちゃってる。このままだと、押し倒しちゃいそうだなぁ。
「私も保険レベルは4です。なので、次回からの探索には私をお供に連れて行ってください!」
あ、倒れる前にスピリタスさん、避けた。シスターさんだけ転がっちゃったよ。
「ちょっ、ダイジョブ? シスターさん」
勢いよく前のめりに倒れたシスターを助け起こすアイ。今度はその手を掴んで、アイに顔を近づけました。
「あ~な~た~も~よ、アイちゃん! なんであんなに危ないことをしたのよ。一歩間違ったら、貴女… 貴女ねぇ」
最初こそ噛みつくような勢いだったけれど、その顔はみるみるうちに泣き顔になってしまいました。切れ長の細い目からはボロボロと涙が零れ落ちます。
「シ、シスターさん?!」
え? こんなに泣くほど、心配してくれたの? スピリタスさんの事じゃなくって、私の事?
アイは戸惑いながらもトレーニングシャツの袖を伸ばして、ボロボロと零れ落ちる涙を拭きました。
「馬鹿な子! 本当に馬鹿な子なんだから!! もうあんな無茶なことをしたら駄目よ!」
シスターはおいおい泣きながら、アイをギュっと抱きしめました。その肉厚に目を白黒させたアイだけれど、直ぐにそれが心地よく感じられました。
「… ご、ごめんなさい。心配かけて、ごめんなさい」
お母さんに抱きしめられるのって、こんな感じなのかな? シスターさん、スピリタスさんだけじゃなくって、私の心配もしてくれたんだ。
「心配? そ、そんなの、ぜんぜんしてないわよ。ただ私は… 強化トレーニングにかっこつけて、アイちゃんがスピリタスさんを独り占めしようとしているから… だから…」
ツンデレ? シスターさんてツンデレだったっけ?
「もう、いいから早くご飯を食べなさい! 体を作るのは口から入れた食べ物なんですからね。ちゃんと昼食時間に合わせて作ったのだから、冷めないうちに食べなさい! ほらほら、ありがたくもこの私の手作りよ。味わって食べないと損するわよ」
シスターは顔を真っ赤にして、アイとスピリタスの手を取ってズカズカと歩き出しました。
「まったく、『アイ☆レベルアップへの道!』とか言って、私のスピリタス様と秘密特訓をしようだなんて、もっての他よ。だいいちね…」
相変わらず、シスターさんも弾丸トーク。体調もいいみたいだし、元気そうで良かった。
アイはしっかりと繋がれた手のぬくもりと、割烹着に包まれた大きな背中を見つめながら、思わず笑みがこみ上げてきました。
「ちょっと、ヘラヘラしているけれど、ちゃんと私の話を聞いていた?!」
急に振り向かれて、驚きながらも「後頭部に目が付いてる? あ、三角巾で隠れちゃうか」なんて思ったアイ。
「ゴメ、聞いてなかった」
眉を下げて、素直に謝るアイ。次の瞬間、全身の産毛が逆立ちました。それはアイだけじゃなく、スピリタスとシスターも同じだったようで、瞬時に戦闘態勢に入りました。スピリタスはケペシュを、シスターは割烹着のポケットに入れていたシャモジを構えました。
レイピア、体育館だ。ロリポップキャンディーもない。
「ほら、これ」
剣やロリポップキャンディーの代わりを探して、トレーニングウェアをパタパタとあちらこちら叩いているアイに、シスターがシャモジを貸してくれました。もう一本、割烹着のポケットに入っていたようです。
ん? シャモジ? これで戦えって? まぁ、ないよりいいか。
一瞬、鳥肌が収まったアイ。けれど、直ぐに足元異変に気が付いて「あざます」とお礼を言って、シャモジを構えました。
「ここ、会社の施設よね?」
シスターは足元を確認しつつ、ゆっくりとスピリタスの後ろに移動します。
「もち」
アイは短く答えて、トントンと足で床を叩きながら呪文の詠唱に入りました。ダンジョンじゃないから、防御系魔法のストックを用意していないので。
「グェェェぇ…」「グェ… グェ…」「グェグェグェ… 」
低い鳴き声を発しながら、床の中からポコポコと姿を現し始めたのは、拳大サイズのガマガエル。拾い廊下のそこら中に現れ、のど袋を大きく膨らませて鳴きながらノタッ… ノタッ… と、3人を囲い始めました。
「ヒィー! 私、カエル嫌いなのよぉ」
白い顔を真っ青にして、シスターとスピリタスの背中に抱き着きます。
床から出て来たってことは、研究室から逃げて来たガマガエルってわけじゃないよね。普通のガマガエルじゃなかったら、やっぱりモンスターかな? 私達を囲んでいるくせに、視線はどこを向いているのか分からないし。それにしても、ここ、ダンジョンじゃないから火は駄目かな?
「早く、早く! 何とかしてちょうだい!!」
はいはい。カエルの動き、とってもゆっくりだから大丈夫だと思うんだけれど。まぁ、この大きさには驚くよね。大きさは20センチ平均ってとこかな。中々の大きさだよね。
「ガマガエルって、毒があるんだよね。触るのがアウトなのは当たり前だけど、切り裂いて皮膚についたり、口に入ったりしたら中毒を起こしちゃうからさ、燃やしちゃって良き?」
アイから許可を求められたスピリタスは、直ぐにケペシュをしまって、頷いて天井を指さしました。そこに火災報知器を確認して、頷くアイ。
「んじゃ、行くよ~。あぶらーの恋バナ・ブレイク!!」
ロリポップキャンディーの代わりに木のシャモジを振り回すと、その先端から火の玉がポポポポポポポ~と飛び出し、ガマガエルの頭上でいくつにも分かれながら爆発しました。
「グェェェ!」
断末魔をあげながら焼かれていくガマガエル達。
「ちょっと、詰めが甘いんじゃない? 来てるわよ、動いてる!」
炎に焼かれなて叫びながらも、ジリジリと近づいてくるガマガエル達に、シスターはブルブルと震えながらさらにスピリタスに抱き着きます。
「はいはい。このガマガエル、ゾンビ系とかじゃないよね? あ、ゾンビ系だったら、火は有効か。んじゃ… KYヤバー」
言いながら、アイはシャモジで宙に「シ→ルド」と書いて魔法を発動させました。クルンと空気の球が3人を覆います。
「アゲてこ~! アテナの驀進・ワルツ!」
空気の球の外にいくつもの竜巻が発生しました。それらは炎を巻き込み、ダンスをしているように左右に揺れながら、炎で焼かれているガマガエル達を切り刻みました。
「… や、やるじゃない。ヒッ!」
アイを褒めるも、斜め後ろの空気の壁に「ドン!」と、切り刻まれたガマガエルの破片がへばりついて、シスターは腰を抜かしました。
アイ、会社施設なのにモンスターの出現に戸惑いつつも、魔法はキレッキレです。Next→