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第53話


「初音さん、今日は時間を作ってくれてどうもありがとう」

 とびきりの笑顔で翡翠さんは初音を見る。

 これは反則級だわ、ファンでもなんでもない私が見ても魅力的だもの。

「いえ……」

 ほらもう、初音の顔は真っ赤だわ。

「香澄さんも、ありがとね。こうして三人でランチ出来るなんて嬉しいよ」

「ええ、私も嬉しいわ。初音も同じように思っているのよ、シャイだから言動に現れないけれどね」

「ちょっと香澄、変なこと言わないでよ」

「あぁごめん、じゃ、私は静かにするわね」

 私は人差し指を口に当て、おどけてみせる。少しでも初音の気持ちがほぐれれば良いなと思いながら。


「翡翠さんこそ、忙しいのではないのですか?」

 初音からの質問に、嬉しそうな顔をする。

「まぁ、それなりにね。でも、初音さんに会えるなら時間なんていくらでも作るよ。でもそうだね、時間を無駄には出来ないよね、今日は僕のことを知って欲しいから何でも聞いてくれていいよ」

「なら。翡翠さんは、なぜメジャーデビューしようと思ったのですか?」

「え?」

「ずっと地下アイドルでやっていきたいって思っていたのではないのですか?」

「どうしてそう思うの?」

「だってあの時……あ、ごめんなさい。きっと私の勘違いですよね」

「……そうだね、昔から僕を応援してくれていたファンにとっては裏切り行為かもしれないね。でも僕は、ある夢のためにお金と人気が欲しくなったんだ。こんな俗物、嫌いになったかい?」

「それは……私は別に。翡翠さんの人生ですから好きにしたらいいと思います」

「そんな風に言われると寂しいなあ。まぁでも、僕自身が決めたことだからね、頑張るよ。初音さんにも応援してもらえると嬉しいなぁ」

「それは、はい」

 なんだか、二人の会話を聞いていてむず痒くなってきた。二人にしかわからない会話じゃないのよ。妬けるわねぇ。

「初音さんもお仕事は順調らしいですね、お互い無理せず時間の合う時にでもいいからさ、時々会って欲しいなぁ」

 どうかな? と誘う。あら、口説きにかかっているわね。

 きっともう、この二人には私の存在は見えていないかもね。

「仕事が軌道に乗ったら、でもいいなら」

「もちろんだよ、仕事が上手くいかなかったら家に戻されてしまうのでしょう? そんなことはさせないよ、僕も成功するよう協力させてくれ」


「あら翡翠さん、そこまで知っているの? もしかして初音の婚約者の存在もご存知?」

 思わず口を出してしまった。でも初音も不安そうな表情だったから、同じように疑問に思ったのだろう。

「ええ、まぁ……」

 少し気まずさが表情に現れた。

「実は、少しだけ調べさせてもらったんだ。でも、好きな人のことは誰だって気になるでしょう?」

「好き……って」

「あっ、ごめん。今のは聞かなかったことにして。いずれちゃんと本人に話すからさ」

 いやいや、しっかり本人――初音にも聞こえているとは思うけど、こういうところが憎いくらい様になるのよねぇ。

 初音の反応はと見れば、俯いているけれど耳は真っ赤だしね。

 あぁ、もうやってられない。


「ごめん初音、ちょっと用事を思い出したから私はもう行くね」

「えっ、香澄? 待って、私も……」

「ううん、せっかくだから二人でゆっくり話して」



 会計を済ませてお店を出る。

 あの感じなら大丈夫だと判断する。初音も本当に嫌なら自分で何とかするだろうし、実際は好感触なのだから心配ない。

 それに、翡翠さんを味方につければ仕事にもかなりのプラスとなる筈だから、利用させてもらおう。そんなふうに、私の頭の中では初音のことよりも仕事のプランに重点を置いていた……はずだったのに。

 なんだか胸のあたりがモヤモヤする。

仕事に生きるつもりなのに、人恋しくなってしまったのかな。

 ふと頭に浮かぶ顔は、なぜか……裕也さんではなくて透だった。


 はぁ、やめやめ! 頭をブルブルと振って思いを断ち切る。

 事務所に帰ってメールをチャックしたら、山田教授から勉強会の資料が届いていた。

 着々と準備がすすんでいるようだ。こちらもやることをリストアップしてすすめなければ……


 程なくして初音が帰ってきた。

「あら、もっとゆっくりしても良かったのに」

「もう、お昼休憩をだいぶ過ぎているじゃない。そういうところはちゃんとしたいのよ」

「相変わらず固いわねぇ、初音は。それで? 付き合うことにしたの?」

「はっ、何それ。そんなんじゃないわよ、時々会ってご飯を食べようって話でしょ」

「そっか、まずはお友達からってやつね」

 初々しくて良いではないか。

「さぁ、仕事仕事!」

「はいはい、そうね」

 あまり揶揄うと拗ねちゃいそうだから、そっと見守ることにしよう。




「ねぇ香澄、最近裕也さんと連絡取れている?」

「ん? そういえば、最近は音沙汰ないかも」

 あれから二週間が過ぎて、勉強会までは一週間を切っていた。

 会場の予約や、告知と出席者の確認等のために知り合いに連絡を取りあったり等と忙しく過ごしていた。

 裕也さんにも連絡は何度か入れている。それがここ一週間は返信がない状態であった。

「何か問題ある?」

「ううん、勉強会については特に問題はないけど、翡翠さんが裕也さんと連絡が取れないことを心配していたの」

「あら、初音は翡翠さんとは頻繁に連絡を取っているのね」

 なんだかんだ言いながら、二人の交際は順調のようで安心だわ。

「違うわ、業務連絡よ!」

 やだわ、照れちゃって!


 それから数日後のこと。


「香澄、大変よ! すぐに来て」

 初音の声がうわずっている。

「どうしたの? 緊急事態?」

「山田教授から電話があったの、凄く怒っていたわ」

「えっ、どうして?」

「詳しいことはわからないけど、裕也さんがどうのって。折り返してくれる?」

「わかったわ。まず事情を聞いてみないとね。初音は裕也さんと連絡を取ってみてくれる?」

「了解」



 私はまず一つ深呼吸をして、それから電話をかけた。

「おつかれさまです山田教授、木暮香澄です。先程お電話をいただいたようで、何かございましたでしょうか?」

「どういうことなんだね? あの朝長裕也という男が、私の友人の医師たちに良からぬ話を持ち掛けているようなのだが、君は知っていたのかね?」

「なんですって? いえ、初耳です。具体的にはどういった話なのでしょうか?」


 大切な勉強会を前に、何やらトラブルのようで、嫌な予感しかしない。

 こういう時は、まずは正確な情報を収集して速やかに対処しなければならない。


「教授、今どちらですか? これから会いに伺ってもよろしいでしょうか?」



To be continued




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