――――。
「……ここ、どこだ?」
光が満ちていた。それだけの場所。
たしか、踏切待ちで――早く次の仕事に行くために、下がった遮断桿をくぐったのだ。そして、渡り切った記憶はない。
これの意味するところは、つまり――。
「そう、あなたは死んだのよ」
声が聞こえた。
「ここは、冥府と此岸の境。いわば……日本のたとえだと、三途の川とでも言うのかしら?」
「誰だ」
辺りを見渡すが、誰もいない。――否、失認しているだけだったのだろう。
視界の端から、赤い髪の少女が顔を出す。
「あたしは『システム』の化身。あるいは擬人化。あるいは端末」
「なんのシステムだ」
「世界管理システムとでも言うのかしらね。人間世界で例えるならば、ギリシア神話のゼウスがよく知られているような、そんな存在」
言っていることの意味はなんとなくわかった。俺は何らかの超常的な現象に巻き込まれているらしい。
「死んだら無に返るだけじゃなかったのか」
「基本はそうよ。『何らかの例外』がない限りは、だけど」
つまり、例外が起こったらしい。
「話を聞かせろ」
「せっかちね。少しそこで休んでいなさい。――役者がそろってから、説明するわ」
心がささくれ立っていることくらい、自分でもわかっていた。
けれどどうする気にもなれなかった。どうしたって、無駄だから。
この空間に変化が訪れたのは、数刻が経ってからだった。
「っ……はぁ、はぁ……はぁ…………はぁ………………」
目の前に、自分と似た姿をした女が現れたのだ。
長い黒髪を垂らし、ひどく隈の浮き出た目を見開いて、手を地について――首には縄の跡がついていた。
「わた、し……え、なんで……ここは……」
戸惑い困惑する彼女の前に、赤髪の少女が再び現れた。
先ほどと同じ言葉だけを吐き捨てる少女。
「……そう、やっと、やっと終われるのですね」
そう、救いを得たように告げる女に、『システム』は冷酷に告げる。
「あなたがたはまだ終われないわ」
「……え」
女は絶望に染まりきった黒い目を見開いて、呆然とした。
「無意識にシステムに対してハッキングを試みた人間がいてね。『管理者』たちは話し合った末にあなたたちを蘇らせることに決めたらしいの。ただ――」
「ふざけんなよ」
「……発言を」
認められる前に、俺は叫ぶ。
「俺はもう疲れたんだよ。……世界に希望なんてない。夢は叶わない。現実は残酷で悲惨で醜い。そんな世界が嫌で、嫌で、嫌で嫌で嫌で嫌で、もう嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で逃げてきたのに――どうして、また生きなければならないんだ」
「…………それは」
「もううんざりなんだよ! あんな世界も! あんな国も! あんな日々も、言葉も、なにもかも――なんで、どこまでも現実は追いかけてくるんだ。もう、いやなんだ……ほっといてくれよ……」
もはや願いだった。懇願だった。
けれど、目の前の神は。
「……心底、同情するわ。けど、『決定』なのよ」
聞き入れてはくれなかった。
「~~~~」
様々なこと――罵詈雑言とか、そういった類いの言葉ばかりを口にする俺。
それを背に、システムは淡々と説明する。
「二人には入れ替わって復活してもらうわ」
「……なんで、こんなことを?」
黒い女性がおずおずと手を上げ、質問すると。
「あんたたち――特に、そこのわめき散らしている方に、蘇ってほしいと願った奴がいるのよ」
「は?」
素っ頓狂な声を上げる俺を睨み付けつつ、システムの少女は告げた。
「これは『儀式』なのよ」
復活のための儀式。復活するに値するかどうかの、試練。
「それでなんで入れ替わって、わざわざ他人の人生を生きなきゃいけないんだよ」
「カミサマ――システム管理者の考えることは、私にはわからないわ。――私はただ、決められたシステムに沿って、動くだけ」
告げた彼女のルビー色の目もまた、深く濁っていた。
「さて、そろそろ時間よ。ちなみにここで見聞きしたことは転生したときには記憶領域から抹消されているわ。せいぜい頑張って頂戴ね」
少女の言葉とともに、光はどんどんと薄く――闇が迫る。
「嫌だ……やめろ……」
闇が迫る。
「……行きたくない……生きたくないよぉ……ッ」
闇が闇が闇が闇が闇が闇が迫る迫る迫る迫る迫る迫る迫る迫る迫る。
「……いや、いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――――嫌だァァァァァ――――――!」
断末魔とともに、俺は地獄へと引きずり戻された。
――何もない部屋で目覚める、ほんの数秒前の出来事だった。
*
女同士、二人きりになった空間。
「……静かになったわね」
「そうですね」
一言交わし合い、黒髪の女性――元々『奉景』と呼ばれていた女も、暗闇に消えていく。
「わたしは、正直この世を地獄だと思ったことはありませんでした。――なにもかも、悪いのは自分でしたから」
「……そう」
もの悲しげに相槌を打つ赤髪の少女。――奉景自身が悪いと言うことは、きっと無いはずなのだ。
「だから、折角もらえたおまけの命なら、せめてその罪を償って――」
悲しい勘違いを抱えた彼女――彼らに、システムはせめて、祈りを捧げるように告げるのだ。
「……せめて、幸せに生きてくれると、嬉しいわ」
目を見開いた奉景は、次の瞬間にはもういなくなっていた。
一人きりになった少女。
しばしの休息の後に、電波を受信――システム管理者からの命令が下る。
「……面白そうじゃない」
少女はそう言い、『彼』の意識の中へと身をやつした。