ここは星月。かつて、ここには国があったとされている。
この町が町として残っているのも、隣の大国と交渉して、国を滅ぼさずに無血開城した皇妃・
なんならいま通っているこの学校も奉景が開いたとされている。本当にすごい人だ。僕も無縁ではない。
でも、縁遠い人なんだろう。そう思って、僕は伸びをした。
「ねえねえ、カゲくん」
話しかけられて、うっとうしげに目を開ける。
「……朔。なに?」
目の前に居たのは、少女。金髪をツインテールにした少女だ。
「今日のわたし、かわいいですか?」
「ポマードポマードポマード」
「誰が口裂け女ですの」
「安心しろ、今日もかわいい」
「……ありがとですの」
ジト目で見てくる彼女。本心ではあるから安心してほしい、なんて言ったらキモがられるのはわかっている。
軽口をたたき合いつつ、彼女はシームレスにポスターを差し出した。
「なんだい、この……なんていうか、すっごく怪しいの」
「芸術研究同好会っていう、いわゆる同好会のポスターですわ」
「……そうは見えないが」
その同好会とやらのポスターは、おおよそ芸術を研究する会とは思えないようなもの。
中央に大きく載ったイラストは、当時の美人画なのであろう。艶やかな黒髪の女性が描かれている。その端々に描かれた絵や写真はセピア色。……古い、とは言っても百年くらいか。
「怪しさ満点だな」
「その割に、口元緩んでますわね」
言われて、僕ははじめて笑っていることに気がつく。
「あなたが笑うなんて、珍しいですわ」
「失礼なことを言う。——なにも、『くだらない』とは一言も言っていないじゃないか」
「でも、怪しいって」
「怪しさと面白さは両立するものさ」
こうして放課後。
「……なんで私も誘ったんですの?」
朔の言葉に、僕は「誘ってきたのは君じゃないか」と返す。
「いつものことですけどね」とため息をつく朔に、僕は軽く息を呑んだ。
「行くぞ」
「ええ」
そう言って、僕はガラガラとそのドアを開け――そっと閉じた。
「……なんか思ったよりヤバくないか?」
「行くって言ったのはどちらですの?」
「…………」
何も言えなくなる僕。その目の前の扉。その向こうの一瞬見えた景色に思いをはせつつ。
「やっぱり今度に――」
そう言おうとした時だった。
扉が勝手に開いた。
「ノックの一つも無しか?」
「アッハイ」
ブロンズの髪をした男だ。当然のごとくうちの学生服ではない学ランを着崩した、不良めいた見た目の男だ。
その奥に見えるのは、薄暗くてそこそこに散らかった部屋。
「君たちが来ることは、知っていた。——コーヒーは飲めるかい?」
招かれた部屋はいささか奇妙だった。
奇妙、というか、なんというか。
「……古いもの、好きなんですね」
歴史の授業で学んだようなものばかりだった。
まず、スクリーンで流されている映画は
棚に飾られていたのは、何に使ったのかわからないという
「……そもそも、あなた何者なんですか?」
「部長だ。この部活——芸術同好会の、な」
「芸術……」
ぽつりと呟いた。
「……芸術って、絵だけじゃありませんの?」
朔の言葉に、僕もこくりと頷いた。
絵は確かに飾ってある。けど、一枚だけだ。黒髪の美しい女の絵が飾ってあるのみで、他に絵らしきものはない。
「これが気になるか。これは、朔月という女流画家が自分の姉を描いたと言われているもので——」
「違う、そうじゃない」
「知っている。——芸術の定義について、だろう?」
マジ顔で言われるとジョークだとわかりにくい。
辟易する僕たちに対して、彼はわずかに笑う。
「芸術は、何も絵だけではない。立体物もそうだし、音楽も——そして、文芸もその一つだ。小説、詩歌、俳句、そういった全てが芸術と見做される」
力説する部長。僕はコーヒーをすすって。
「……その、手に持っている文庫本も、ですか?」
指さした、部長の右手。
持っていたのは、文庫の本。
「ああ。……ここに君たちが来たのも、運命なのかもしれないな」
なんだ、突然。しかし、文庫本の表紙の著者名を見て、少しだけ理解した。
「俺は、君たちを熱烈に歓迎する。
好きな作家——あの奉景と字が同じだから……なんて。
少し笑いそうになった僕に、彼は「これも何かの縁だ」とその手元の本を投げ渡してきた。
「……これ」
いいんですか、と尋ねようとしたが、その前に彼は首を縦に振る。
「確か、二十三歳頃か。作風が別人のように変わった、初期の作品だ」
「知りませんけど……へえ、面白そうだ」
表紙は、壁に飾ってある絵と同じ朔月氏の絵らしく、美麗に飾られている。
そして——タイトルは「短編集・花の匂い」。
「ここは、旧星月国の芸術を偲ぶ会。歓迎しよう、両名とも。——ようこそ、芸術研究同好会へ」
本の中身をめくる僕に、のぞき込む朔。部長の言葉に耳を貸す者はいない。
一人黄昏れる部長。僕らはその本を読みふけった。
春風の吹く日のこと。
「……面白い」
少し、心が軽くなったような気がした。
僕らの物語が動き出す。そんな予感がした。
第三部・終章・奪取篇
*
読み終えた本。
その後書きに、短い言葉と一葉の写真が添えられていた。
「ここまで読んでくれてありがとうございました。」
その一文と共に、大勢の人たちの写った写真。
僕にはそれにどんな意味が込められていたかはわからない。
けれど、悪い意味ではなかったと思う。
——でなければ、こんなに清々しい気分にもなるまい。
深呼吸して伸びをして、本を置いた。
風でページがめくれる。開いたページには、この一文が踊っていた。
「さて、次は何を書こう」
TS転生廃妃さんが文芸無双で皇帝様を射抜くまで。——完