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第44話

 海人が目を覚ます瞬間を、桜子は見ていた。清隆から目を離さないよう言われていたこともあるし、美形男子をじっくり見ていたかったこともある。

「清隆さん、海人君起きましたよ」

 海人は飛び起きようとして畳に転がった。清隆が手足を粘着テープで拘束していたため、桜子も安心して見張っていられた。

「まあまあ、大人しくしてよ」

「お前ら、俺を殺しに来たんじゃないのか」

「どうして?」

「どうしてって……俺はろくろ首だぞ。人に紛れて暮らす妖だ。陰陽師なら、殺そうとするもんじゃないのか」

 六郎家の中を探索していた清隆がやってきた。

「他に誰もいないみたいだ。攫われた人も、家人も。質問に答えると、俺が依頼されたのは君の駆除ではなく、村人の失踪事件を収めることだ。君には話を聞きに来ただけだったんだよ」

 海人は転がったまま、あーと声を出した。

「なんだよ、藪蛇かよ。大人しく質問に答えておけばよかったのか」

「そうだな。人外だとしても、それで即駆除するって流れにはならなかったし、正体を教えてもらいさえすれば、君の生活に干渉する気は無かったよ」

「俺は、どうなる」

「どうって?」

「だって、人間に攻撃しちまった。危険だと見做されれば駆除されるんだろ」

「あのくらい、攻撃のうちには入らない」

 海人は微妙な顔になった。

「そう言われるのも、情けない話なんだけど」

「そういうことにしておかないか。だいたい、ろくろ首は人を食べないだろ。せいぜい人の血を吸うくらいで、積極的に人を襲う妖でもない。駆除するほどじゃないよ。依頼主からは君のことを人食いの化け物だと聞いてきたけど、実際は人なんか食べないろくろ首だったってわけだ。安心、安心」

 ろくろ首だから安心、と言う清隆の考え方は桜子には少々理解しがたいが、人食いの化け物ではなかったことは確かだ。危険度は、まだ保留したい。清隆と格闘戦を演じられるほどの身体能力を持っている相手を無害だとは、ちょっと断言できない。

「ということで、話を聞かせてくれ」

「どうぞ。俺は負けた身だ。何でも答えるぞ」

「村人の失踪事件、それは本当か?」

「本当だ。ここ緋花村では、二週間で十人以上が消息を絶った。俺の両親と妹もだ」

「え、そうなの?」

 海人は声を上げた桜子を見て、次に目玉をぐるりと回した。

「こんなでかい家に俺一人なんて、おかしいだろ」

「そっか。じゃあ、君が犯人という説は無さそうだね」

「無いな。何なら、あんた達が来なければ今頃家族を探しに出かけているはずだった」

「失踪者の居場所に心当たりがあるの?」

 海人はううん、と唸った。

「あるというか、それしかないというか」

 清隆がしゃがみ込み、海人の拘束を解き始めた。

「案内してくれ」

「信用していいのか? あんたを殺すかもしれないぞ」

「そうなったら本格的に君は駆除される。俺には、俺なんかよりよっぽど怖い家族がいるから、手を出さない方がいい。これは本気の忠告だ」

 妹の安倍志穂のことだ、と桜子は悟った。喧嘩中とはいえ、さすがに兄が妖に殺されれば放置はできないだろう。

「あんたらを黙って殺して、誰にも言わなければ?」

「それでもバレるよ。陰陽師を甘く見ないことだね。ねえ、桜子さん」

「そうそう。この人の妹さん、とんでもなく怖いから」

 得体が知れない。こちらの行動をなぜか先読みする。遠く離れた山中の様子を千里眼のように把握する。そんな人だ。絶対に逃げられない。

「あんたも兄なのか」

「一応ね。妹を守るって感じじゃないけれど」

 海人の手足を解放できた。海人がテープを貼られていた箇所をさする。

「じゃあ、早速行くか。ああ、一時間も気を失っていたのか、俺は。あれ、何したんだよ。急に立っていられなくなって、意識が遠のいて」

「説明するから、移動しながらにしない?」


 海人が二人を案内したのは、山の入口にある階段だった。百段ほど登ると、神社が現れた。

春待はるまち神社だ。豊穣の神を祭っている。ここは足神社と呼ばれているんだ」

 清隆が山の上に視線を上げた。山道が上に繋がっている。

「ここが足なら、上に別の体の部位を冠した神社があるってことかな」

「そういうこと。二十分くらい歩くと腹神社がある。まあ、参道というよりは、登山道に近い。ここから山に入るんだ」

 桜子が問う。

「失踪者は山にいるってこと?」

「村にはいない。隠れる場所もない。それに、異変が起きているのは山だから」

「異変って?」

「今、この村は死者が存在感を持ってうろついている。感じなかったか?」

「感じた。変な足音とか、声とか」

「この村の霊的バランスが崩れている。その象徴みたいなものが、この山にある」

「象徴?」

「行けばわかる」

 そう言って海人は山を登り始めた。足神社には参拝もしなかった。

「それよりも、安倍さんって言ったっけ。俺が負けたのは陰陽師の術なの?」

「それ、私も気になります。何したんですか」

 清隆はリュックを重そうに背負い直した。怠そうに答える。

「桜子さんは知っていることだけど、俺の式神サカグラシは酒の妖なんだ。飲んだ酒の名前にちなんだ能力を使うことができる。あのとき、殴り合う前に俺が飲んだのは、酔象すいしょうっていう日本酒。象をも酔わせるって書く。発揮する能力は、俺の体から強烈な酒気が出て近くにいる相手を酔わせるってものだ。本気を出したら桜子さんまで巻き込むから加減したけど、殴り合えるくらいの近距離なら一分くらいで泥酔させられる」

「酒の能力って、卑怯だな」

 悔しそうに言う海人を、清隆は軽く笑い飛ばした。

「念動力を使った君に言われたくないね。ろくろ首にそんな能力があるなんて知らなかったよ」

「ウチの家族は、母ちゃん以外皆使えるぞ。霊とか妖を見る目は全員持っているし」

「妖の世界を生きるためには、そういう能力が必要だったんだろうね」

 その後、海人はポツポツとこの二週間の出来事を語った。最初に人がいなくなったときは静かなものだったということ。その後、何人もいなくなってようやく村と警察が動き出したこと。警察官も失踪し、海人の家族も昨日、まとめて三人消えたこと。

「だから、今日は滅茶苦茶焦っていたんだ。そこにあんたらが来たもんだから、早く何とかしないと、と思って喧嘩腰になっちまった。着いたぞ。ここだ」

 三人は見晴らしの良い道に出た。そこからは滝が臨め、落ちる水の流れが一望できた。できる、はずだった。

「なに、これ」

 桜子が呆然と呟く。

「桜子さんにも見えているんだね」

「あれは、人ですか?」

「いや」

 滝に沿うように、黒い人影のようなものが滝つぼから立っていた。四十メートルはある。人間のサイズとは、明らかに異なった規模の存在がそこにいた。

 影が、滝を覆い隠していた。

 清隆は顎に手を当てて観察する。

「あれは神だ」

「神って、神様ですか」

「うん。まあ、土地神とか八百万の神様って方の神だけど。天照大神みたいなメジャーな存在じゃなくてね。凄いな。俺や海人君はともかく、桜子さんにまで見えるなんて。そもそも、俺たちだって神を目にすることは基本的には無いのに、こんな当たり前みたいに存在するのは異常だよ」

「な、わかりやすく異常だろ」

 海人が神を指さした。

「あの神だって、最初から見えていたわけじゃない。現れたのは一か月前だ。村の人が見つけて大騒ぎした」

「そりゃあ、騒ぎになるだろうな」

「でも、動かないし、何も訴えかけても来ないし、どうしようもないからってことで放置された」

「あれを放置したの?」

 驚く桜子に、海人は苦しそうに頷く。

「俺は、絶対良くないと思ったんだけど、村の連中にはどうしようもなかったんだ。神主が代わって、そういうことに疎くなっちまったんだな」

「神主がいるのか。春待神社には」

「一応。でも、三年前に急死して、他所と兼任で一人派遣されてきたんだ。その人が悪いわけじゃないんだけど、どうしてもこの村のことばかりかまけていられなくなったんだな。前の神主さんがいれば、こういうときに何か手を打てたかもしれないのに、ろくに引継ぎもできずに急逝しちゃったもんだから」

 ガサリと茂みの中から音がして、海人が言葉を止めた。三人が一斉に音源の方向に目を向ける。桜子は身構えて目を凝らした。こんな山中だ。本物の熊と出くわす可能性はある。そうなったら清隆と海人は勝てるのだろうか。

 足音が近づいてくる。

 人間じゃない、と直感的にわかった。足音のペースが二足歩行のそれじゃない。熊や鹿のような動物が素早く足を動かしている。

 音が近づき、すぐそこで鳴る。大きな影が下草から現れた。

 姿を現したのは、巨大な手だった。

 手首から先を大きくし、手のひらの真ん中に口があり、細かい足が六本生えた、絶対に生物学上あり得ない形状の何か。

「清隆さん、あれも神ですか」

 桜子が叫ぶ。清隆は桜子の前に出て、リュックからウォッカを一本取り出した。

「神じゃない。あれは、人の感情が積み重なった良くないモノの集合だ。普段は形も持たず、その辺をうろうろしているだけだけど、神が見える異常な状況下で、存在を得たみたいだね」

 手はこちらを伺うように、円を描く軌道で回り込む。下山する方の道を塞ぐように這って道に下りてきた。

「サカグラシ、祓うぞ」

「わかった」

 いつの間にか、サカグラシも見えるようになっていた。


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