清隆はしっかりと相手を見ていた。踏み込む予兆があれば反応する準備はできていたし、相手が平和的に対応するつもりならそれに乗る気でいた。
だが、予備動作無しで、するりと首が伸びたのは想定外だった。清隆の傍を頭部が通り抜け、後ろの桜子目掛けて伸びていったことで、胴体から目を離してしまった。
その胴体が跳ねるように接近してきたとき、猫の動体視力で、突き出される拳にガードを合わせることしかできなかった。速い。
突かれた体は僅かに宙に浮き、二メートルほど吹き飛ばされた。人間ではあり得ない膂力。間違いなく人外。
転がるように体勢を整える。幸い、桜子も飛び退いて距離を取っていた。動きやすい服装で来させて正解だった。
六郎海人を見る。その正体は明らかだった。
「ろくろ首か。初めて見た」
人間の十倍ほども伸びた首。胴体が歩いても頭部は安定感を持って宙でピタリと止まっている。
人間のようなものが人間でない姿かたちをしていると、本能的な嫌悪感を覚える。思わず眉間に皺が寄って、目を逸らそうとする本能を抑え込んだ。
「陰陽師、ここには何もいなかった。何も見なかった。二度と関わらないって約束するなら、これで見逃してやってもいいぜ」
ビリビリと手が痺れる。サカグラシの身体能力を借りているにも拘わらずこのダメージ。
「あのさあ」
痛みと共に、珍しい感情が腹の底から湧き上がってきた。背負っていたリュックを下ろし、一本の酒を取り出す。ぐいっと一飲みして、海人を睨んだ。
「ちょっとむかついた」
「あ、そう」
「桜子さん、荷物持っておいてくれる?」
リュックを差し出す。突き飛ばされた拍子に割れなくてよかった。
「ちょ、清隆さん?」
「痛かった分をやり返す」
海人が進み出る。無防備にも見える足取りで近寄ってくる姿には自信が漲っている。だが一方で、事を急いている印象も受けた。
俺を帰してもいいと言ったな、こいつ。
それは、どういうことだろう。人食いの化け物だと疑われて、人外だとバレて、それでも尚生かして帰すとは。俺が誰か、例えば村の人間に漏らせば命に係わるのに。
海人が急加速して、清隆の顔めがけて拳を突き出してくる。腰の入ったいいパンチだ。身体能力が高いだけじゃない。体の使い方もわかっている。
上半身を反らして回避する。サカグラシの柔軟性を借りれば、これくらいは訳ない。
海人は連続で拳を突き出す。顔、腹を交互に狙った攻撃だ。フットワークで躱す。躱したついでに海人の胸に拳を打ち込んだ。跳ね返される。
「陰陽師、非力だな」
清隆は拳を振って跳ね返された痛みを誤魔化した。
体幹が強い。筋力も人間とは比べ物にならない。加えて、頭部が自在に動くせいで狙いにくい。首は細く丸く、打撃を入れたら滑りそうだ。
清隆は腰を落とした。膝のばねを使って一足飛びで間合いを詰める。海人の拳が届かない距離から腹に蹴りを入れる。
入る。そう確信した次の瞬間、海人の手の平が清隆の足をはたいた。蹴りが逸らされる。体勢を整えて足を地面に着ける。玉砂利を踏む感触が伝わるよりも先に海人の回し蹴りが迫っていた。
その蹴りは、空を切る。
清隆が片足で跳び、間合いを取っていた。
ふう、とお互いに呼吸するタイミングが重なる。
あれを捌くのか。ろくろ首の格闘能力について聞いたことはなかったが想像を超えている。今の俺の状態も相当に人間離れしているはずだが、それより強い。
爪を使うか。多少傷つけることになるかもしれないが。
清隆は手先に意識を向ける。同時にサカグラシに呼びかけ、糸を伝って力を受け取り、体を変成する。
爪の形が変わる。人間の平たい爪から猫の刃状のそれに。長く伸び、指の長さほどにする。
「ああん?」
海人も清隆の変化に気付いた。
「打撃じゃ敵わないと思ったか? それじゃあ」
海人が歯を剥いた。いつの間にか犬歯が異常に長くなり、尖っている。手を開く。そこに長く尖った爪が生えてくる。清隆を猫だとしたら、海人は長いワニの爪だ。
「ろくろ首って爬虫類だったのか」
「陰陽師って猫だったんだな」
言い終わった瞬間、二人が交差する。先ほどまでの超近距離戦から、爪を刺し合う中距離になる。ナイフを使っているかのような緊張感のもと、回避と攻撃を交互に繰り出し合う。
海人の方が強く、速い。清隆の方が柔軟で、俊敏。直線で速い海人と曲線で速い清隆では、攻撃が互いに届かない。
海人が舌打ちをした。
「面倒くせえ」
空気が変わる。清隆は急に圧迫感を覚え、一歩引いた。海人の足元の玉砂利が一つ、また一つと宙に浮く。
「念動力?」
「そうだよ」
二十から三十の小石が海人の周囲に浮かんだ。
「食らえ」
飛来する、と両手を上げて清隆は構えたが、石が飛んでくることはなかった。
海人が膝をつき、長い首の先の頭が揺れる。するすると首が縮み、浮き上がっていた小石たちも地に落ちる。
「な、なん……」
意味の無い言葉が海人の口から零れ落ち、ついに頭も玉砂利に沈んだ。