「確認ですが、その人食いの化け物というのは人食い熊なんかを想定しているわけではありませんよね」
清隆が恐る恐る言う。そうなれば陰陽師ではなく猟友会の出番だ。桜子だって熊と戦いたくはない。
「熊なら痕跡が残る。出入りに爪の痕が残るし、足跡もな。人間だって叫び声を上げるくらいはできる」
「たしかに。愚問でした」
清隆はあっさりと引き下がる。桜子も、その可能性は低いと見ていた。それにしても、人食いの化け物とは。
首を捻り、手を挙げる。
「すいません。家永さんは、どうやら人食いの化け物がいると確信していらっしゃるように見えるのですが」
清隆と家永の視線が集まる。清隆はともかく、家永の目は険しい。慌てて付け加える。
「信じていないわけじゃありません。ただ、失踪者が続出したからといって、真っ先に考える可能性としては突飛な気がしたんです。現実的な答えは沢山思いつきそうなものなのに」
「それは、例えば?」
清隆に促され、桜子は例えば、と呟く。
「村の何かに不満を持っていた人達が、外部の人間の手を借りて集団で夜逃げしている、という物語だって描けます。他所の土地で生活できる環境を整えるコーディネーターみたいな人がいて、連れ出した。もしくは、家庭内暴力に苦しんでいた人たちがシェルターに逃げている、とか」
なるほど、と清隆は頷く。
「でも桜子さん、ちょっと人数が多すぎやしないかな。こんな狭い村に、そういう事情を持っている人たちが十人もいて、まとめてシェルターなり他の土地へ移るなんて、偏りが大きすぎやしない?」
「これはただの仮説というか、思い付きです。私だって本気で言っているわけじゃありません。言いたいことは、現実的な答えなんていくらでもありえるのに、なぜ人食いの化け物という説が真っ先に出て来たのか、ということです」
この世ならざる存在は何度も目にしてきた。だが、だからといって突飛な出来事に対し、なんでもかんでも思考を放棄していいわけではない。江戸時代じゃないのだから、まずは科学で説明できる現実的な解を考え、それが破られたときに霊や妖の存在を持ち出すのが筋というものだ。
その筋を無視して化け物という仮説にとびついたということは。
「家永さん、心当たりがあるんですね」
このまま清隆に任せると、現実的な解釈を延々と出しては否定されるだろう。それなら最初から結論を述べてもらいたい。
案の定、家永は重々しく頷いた。
「お嬢さんの言う通りだ。この村には、人食いの家がある。六郎家といってな。昔からあの家には気を付けろと言われてきたんだ」
「何か、あったんですか」
「いや、何もない。特筆すべきことは、何もな。ただ、いつも村の人間と結婚しないで、村の外から嫁や婿を招いては祝言を挙げる。常に、一度の例外もなくだ」
「そんなに不思議なことですか」
「俺は先代の神主と仲が良かったんだが、六郎家には気を付けろと常々言われていた。あの家からは妙な気配がすると言われてな」
清隆を盗み見る。その神主は清隆と同じような本物の能力者だったのだろうか。それとも、口から出まかせを言うインチキ能力者だったのか。それによって話がかなり変わる。
「証拠には乏しいような気がしますが」
機嫌を損ねないように気を遣って言ってみる。
「確かにな。だが、証拠が無いなんて言っている間にも、奴らは人間を攫って行く。違ったら謝ればいい。だが、正しかったらどうする。あんたは見過ごした責任を取れるのか」
桜子は言い淀んだ。そんな言い方をされると、言い返せない。それに、この仕事を請けるかどうか決めるのは清隆だ。
清隆を見ると、目が合った。苦笑される。
「とりあえず、その六郎家に行ってみます」
西の外れにある塀に囲まれた家、という情報を得て、清隆と桜子は徒歩で六郎家を目指した。
「どう思いました?」
桜子の問いに、清隆は困ったように笑った。
「あの証言だけで、今から行く六郎家が人食いの化け物だと断定するのはちょっとね。噂の原因になった出来事はありそうだけど。だいたい、本当に村中が六郎家のことを犯人だと思っているのなら、俺たちを呼ぶまでもなく六郎家を追い出せばいい」
「そうしないってことは、家永さんの独断ということですね」
「そういうこと。まあ、家永さんからすれば悪い賭けじゃない。間違っていたら謝れば済むし、危険なことは俺たちが代行してくれるわけだから」
おい、という声が背後から聞こえて、桜子は振り返った。
「あれ」
そこには田畑が広がっているばかりで、二人以外には誰もいない。
「桜子さん、それは人じゃないよ」
清隆が言っている言葉の意味がわかって、ぞわりと二の腕に鳥肌が立った。
「気にせず行こう」
清隆はペースを落とさず、振り返りもせず歩いて行く。桜子も慌てて後を追った。
「桜子さん、気を付けて」
「家永さんの家でも同じことを言いましたね」
「この村は、死者の気配が濃い。こんな状態でよく維持していられるもんだよ」
「どういうことですか」
「生と死のバランスが、上手く取れていないってこと。お盆が極まったみたいな状態になっている」
「今の、清隆さんも聞こえたってことですか」
「聞こえたというか、なんというか、わらわらいる」
急に腑に落ちた。
「あ、だから今日の清隆さんは流暢に喋るんですね」
「え、何?」
「いつも初対面の人と話すときはモゴモゴしているのに、今日はずいぶんとスムーズだったので何事かと思っていたんですよ。そっか、除霊モードに既に入っていたからなんですね」
「いきなりダメージ与えてくるの、やめてくれない?」
「除霊モードの清隆さんは人並に話せるって意味じゃないですか」
「それで人並みなんだ……」
「人並み以上に頼りになりますよ」
清隆の背中を叩くと、意外にも強い体幹を感じた。サカグラシの身体能力をもう使っているのかもしれない。
「話を戻しますけど、本物の人食いだという可能性はあるんですか」
清隆は苦い顔をした。
「まあ、論理的にはゼロじゃない」
「そんな化け物っているんですか」
「いるよ。人を喰う妖は確かに存在する。でも、昔ほどはいなくなったね。人間の勢力が強くなって、多くは退治されたと聞いている。人間を食べる妖は、逆を言えば人間からも攻撃される実体のあるタイプの妖だから、対策されれば、一般人数人でも倒すことができるんだ」
「意外と弱いんですね」
「そう。人間の数の力の前では、妖の力なんて微々たるものなんだよ。だから、妖は姿を隠す。争いを好む種族は駆逐されてしまった」
「じゃあ、六郎家が人食いだという可能性は低そうですね」
「十中八九、ただの一般家庭だよ。それよりも気になるのが、この村の状況だ。何があったらこんなに霊的に不安定なことになるんだ。こっちをなんとかする方が重要なミッションかもしれない」
「失踪事件よりもですか?」
「それは警察の仕事って気がするんだよなあ。桜子さんが言った通り、真実は単純で現実的なものだと思うし」
畑道を二人でトコトコ歩いていると、たしかに西の外れ、丘の上に塀で囲まれた家が見えてきた。門には「六郎」と表札に書かれている。
「この表札も、都会のアパートやマンションだと見なくなったよな」
「田舎ではまだまだ現役みたいですけど」
「こういうときは助かるけど、個人情報保護の観点からはどうなんだろう」
「宅配サービスを使う人にとっては、あった方がいいんじゃないですかね」
「そっか」
間が空く。門にはインターホンが付いているが、清隆は押す気配もなく腕をだらりと下げている。
「緊張するなら、私が話しましょうか?」
「うん」
こんなに甘くしていいのだろうかと思わないでもないが、ここで時間を取っても仕方ない。桜子はさっさとインターホンを押した。
「はい」
聞こえてきた返事は、声が高かった。
「突然すいません。役場の方から来た者ですが、少しお話伺ってもよろしいでしょうか」
真っ赤な嘘だ。役場なんて関係ない。役場の方角から来たわけでもない。
「何の話ですか」
「最近発生している住民の失踪事件について、お話を伺えればと思いまして」
どんな反応が返ってくるだろうと少し待つ。
「わかりました。玄関まで来てください」
清隆を見てガッツポーズを見せる。清隆は小さく拍手をした。
二人で門の内側に入ると、玉砂利が敷かれた豪奢な庭が広がっていた。子供が遊び回るには充分な広さがある。灯篭や松、ツツジなどが配置されその奥に大きな日本家屋が建っている。家永の家も大きかったが、あっちは作業スペースを大きく取った農家という感じで、一方の六郎家は生活スパースを大きく取っているように見える。壁も新しい。
「最近建て替えたみたいですね」
「お金があるんだろうな」
「だから家永さんからやっかまれている、とか」
「あり得る」
二人が玄関に着くと同時に、開き戸が開いた。出て来たのは中性的な、男か女かわからないほど美しい顔をした若者だった。
「誰?」
桜子は、声で男だと判断した。肌が艶やかだ。まるで水棲生物のようなスベスベとした質感に、触れてみたくなる。
つい声が半オクターブ高くなった。
「こういう者です」
清隆から借りていた名刺を差し出す。六郎家の若者は胡散臭げに読み上げる。
「安倍霊障相談サービス? 霊媒師?」
「陰陽師です。一応。私は助手の鬼頭桜子といいます」
「へえ。俺は六郎海人」
海人は名刺をはいていたジーンズのポケットにねじ込んだ。
「陰陽師、ねえ」
流し目で桜子と清隆を見る目に、なぜか桜子は魅入られた。何か、気になる。
「桜子さん」
後ろから、鋭い声がする。
「こいつ、人間じゃない」
「へえ。その猫、いい感覚しているみたいじゃん」
桜子の肩が後ろから掴まれ、清隆が前に出る。
「俺の式神が見えるんだな」
「お陰様で」
「お前が人食いの化け物か?」
海人の両足は一歩も動く様子がなかった。
「食ってみせてやろうか」
だが、海人は桜子の耳元で囁いた。
首が、伸びた。
「桜子さん、離れて!」
清隆が叫ぶのと、海人が清隆の腹を殴って吹き飛ばすのが、同時だった。