目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第85話

 運転席に清隆。助手席に海人。後部座席に般若と巾木。ルーフの上に浅田と鈴木を乗せてフィアットは自動運転で走っていた。

「これ、事故りませんよね」

 海人の不安そうな声に、何を今さら、という気持ちで清隆は答える。

「付喪神に人間の交通ルールを守るって観念があればラッキーだよね。まあ、この前桜子さんも自動運転で俺の家まで来たし、多分大丈夫でしょ。それよりも、その後のことの方が俺は怖い」

「今度は万全の状態で狐塚に挑めるんですから、大丈夫ですよ」

「万全なのは相手も同じだ。武器とか、用意しておけばよかったかな」

「俺や清隆さんの爪があれば、下手な武器なんて邪魔でしょ。それこそ銃でもないと」

「違法に調達するのはちょっと。伝手も手段も無いし」

「俺たちはただのお化け屋敷のスタッフですもんね」

 フィアットは法定速度を守って淡々と進んでいく。運転は滑らかで、人が運転していると言われても納得できそうだ。一応、清隆はハンドルに手を添えてはいるが、力は入れていない。

 そのフィアットが、やがて停まった。

 塀に囲まれた日本家屋の前。清隆の家と同程度の大きさで、一見、何の変哲もない。だが、フィアットに乗っている全員が、そこを狐塚の根城だと確信した。

「これ、結界ですか」

「そうだね。ウチに張ったものより何段階か頑丈な結界だ。霊感がある人間は、侵入することもできないよ。もちろん、霊も」

 手近に停めて、狐塚の家の前に戻る。表札にはご丁寧に「狐塚」と書かれている。

「名前晒しちゃっていいんでしょうか」

「一応、向こうも客商売だからね。客が、ここを狐塚の家だとわかった方がいいんだろう。まあ、表札に本名を書かないといけないわけじゃないし」

「で、どうやって破ります? 普通に破ろうとしたらバレますよね」

「どうせ来ることはバレているよ。奇襲は無意味だ」

 清隆はリュックからウィスキーが入った小瓶を取り出して一口飲んだ。

「堂々と行こう。僕たちは」

 大きく息を吸い、門に向かって息を吹き出す。

 業火が吹き出た。

 驚愕する海人を横目に、火を吹き出し続ける。海人も異変に気付いた。結界が振動している。そして、破裂音と共に割れた。

「俺だって、その気になればこの程度の結界を壊すのはわけないよ。察知されずにやるのは無理だけど」

 得意気ですらない清隆に、内心で対抗心を抱きながら海人は踏み出す。

「じゃあ、いよいよ行きますか」

「鈴木さんたちは桜子さんを探して。俺たちは狐塚を引きつける」

「了解しました」

「何があるかわからない。気を付けて」

 全員で頷き合い、清隆と海人は敷地に踏み込む。後ろで塀沿いに移動する鈴木達を感じながら、清隆は玄関に手を掛けた。

「行くよ」

「はい」

 小さく戸を開き、覗き込む。

「鍵掛かっていないんですね」

「それだけじゃない。誘われている」

 清隆が玄関を全開にする。その先には、玄関でも廊下でもなく、地下への階段があった。

「本当だ。めっちゃ誘われてんじゃん」

「ここから先は狐塚のホームグラウンドってこと。俺が自分を強化したように、狐塚もいろいろな仕掛けが打てる」

「ぶち抜くしかないでしょう」

「いいね。若くて。俺はそこまで楽観的になれないよ」

「悲観的になっても状況は変わりませんよ」

「そりゃそうだ」

 海人が目を凝らして階段の下を覗き込む。しかし、その先は暗闇で見通せない。

「いきなり地下室とは、変わった家ですね」

「そんなわけあるか。空間を改造しているんだよ。俺たちを閉じ込めるつもりかも」

「冗談じゃないですか。まあ、まともに進むのが得策じゃないってことには同意ですけど」

 海人は雨戸が閉じられた縁側を指さした。

「燃やします?」

「悪辣なこと考えるなあ」

「この家ごと燃やしたら、狐塚に大ダメージだと思いません? さっきの火があれば簡単でしょう」

「魅力的なアイデアだけど、桜子さんが拘束されていた場合、焼け死ぬかもしれない」

「ああ、そうか。そういうことさせないための人質でもあるのか」

「他にも、隣近所に延焼して死人が出たらどうするの」

「悪いのは狐塚でしょう」

「巻き込まれる方に罪は無いよ」

「さっきの結界が張ってあったら火も遮断できたかもしれませんけどね」

「それはそう」

 清隆は海人が指さす先、雨戸に近づいた。

「ま、せめてこれくらいは抵抗しないとね」

 雨戸を蹴り抜く。

 派手な音を立てて雨戸が内側に倒れた。

「馬鹿正直に玄関から入ることはない……」

 言葉が途切れた。

 雨戸の先には、地下室への階段があったからだ。

「つまりこれは?」

 海人が愉快そうに問う。

「そういう空間になっているとしか思えないな」

「進んだら閉じ込められますかね」

「どうかな。閉じ込められたら出ればいいだけって気もする。だいたい、狐塚と小間の力でこんな空間改造をいつまでも維持できないはずだ。閉じ込め続けることはできない」

「じゃあ」

「うん。狐塚はこの先にいるってこと、かも。そこに来いってことだろうね」

「家の中で暴れんなってことですか」

「なるほど。小心者の俺にはその感覚はよくわかるよ」

清隆が拳と掌を叩き合わせた。

「下りようか」

 清隆が先を行き、地下室への階段を下りていく。猫の視力をもってすれば、普通の暗闇ならばよく見える。だが、今は足元すら怪しい。探り探り下りていくと、突然明るくなった。照明の下に出たのだと察するのに僅かに時間がかかる。普通、もっと遠くへ光が漏れるものなのに、急に明るくなった。やはり、超自然的な人工空間だ、と清隆は確信を深める。

 となると、桜子がいるならこの中の可能性が高いか。

「眩し」

 後ろの海人が呟く。二人の前には、体育館一個分でも入りそうなほどのだだっ広い空間が広がっていた。コンクリートとは微妙に違う素材の箱の内側に入ったような感覚だ。

 清隆はリュックから一本の瓶を取り出す。

「さっきぶりですね、狐塚さん」

 空間の奥に、狐塚がいた。チャチなスツールに腰掛け、ニヤニヤと笑いを顔に貼りつけている。その傍に、僧侶のような袈裟を来た男が仁王立ちしていた。剃り上げられた頭、狐塚より頭一つ分大きな身長。筋骨隆々なのが遠目でもわかる。

「やっぱり来たな。安倍清隆」

「そりゃあ、来ないわけにいかないでしょう」

「清隆、あの頭に毛が無い方もただの人間じゃないぞ」

 足元のサカグラシが久しぶりに口を開いた。

「じゃあ、何?」

「わからない。嗅いだことの無い匂いだ」

「ふうん。二対二か」

 狐塚一人に清隆と海人で戦いたかったが、ここは相手のホームだ。援軍がいても不思議ではない。

「小間は?」

「あんな子どもに、これからすることを見せるわけにいかんやろ」

「何するんだよ」

「あんた次第やけど、下手したら殺すで」

「俺は、まだ話し合いで終わるんじゃないかと思っている。桜子さんを返してくれないか」

「なら店畳んで、霊たちを全員成仏させるか消滅させるか、するか?」

「それはできない。明日も予約は入っているんだ」

「ならどうすんねん。平行線やん」

「そもそも、どうしてあんたはウチに構うんだ。誰かから依頼されたのか? 違うよな。それなら小間だけ送り込むなんて不確実な方法を最初に取ったりはしない。ウチを潰すだけなら、夜に忍び込んで霊たちを消滅させることもできたはず。あんたはどこか、手段を選んでいる節がある」

「正直言うと、依頼人はおらん。個人的心情で動いているだけや」

「やっぱりな」

「今の霊たちを消滅させても、また集められたら元の木阿弥やろ。どこか遠く、ワイの知らんところでやり直されたらどうにもならへん。根本を絶つには、あんたの心を折るか、二度と同じことができんように潰すか、再発防止を考えなあかんかったんや」

「それが桜子さんか」

「あの子が核やろ。あの子がおらんとあのお化け屋敷は成立せん。視えたで。いろんな縁があの子を中心に集まっとる。霊たちも、あの子がおらんと集まらんかったんとちゃうか」

 その通りだ、と清隆は舌打ちしたい気分を抑え込む。

 そもそも、除霊する霊をキャストに加えようと言い出したのは桜子だった。浅田を口説くことは、清隆には思いつかなかっただろう。巾木を消滅させようとした清隆を止め、口説くことで正気に戻したのは桜子だった。清隆一人なら、ただ燃やし尽くして終わりだった。だから、巾木は桜子に恩を感じている。鈴木を見つけ出したのは桜子だった。清隆はたまたま別の依頼で案内されただけ。体を張ったのも、頭と足を使ったのも桜子で、恩を感じている鈴木は迷うことなくここに来た。海人だって、緋花村での一件を解決できたから仲間に加えることができた。桜子がいなければ、花の神の腹に入ることもできなかったし、神を無理やりとはいえ鎮めることもできなかった。

 言われるまでもなく知っている。「後ろの真実」は、桜子を中心に回っているのだ。桜子を失えば、二度と同じように再建することはできない。

「そうだよ」

 清隆は、自分でも驚くほど素直に言葉が出せた。

「桜子さんがいないといけないんだ。俺は、俺たちには、あの人が必要なんだ」

 狐塚のさらに先に、四角く切り取られた闇がある。あの先に、桜子さんがいると踏んだ。皆、ちゃんと回り込めるのか。

「だから、返してくれ。今ならまだ、水に流してもいい」

「甘いな、あんた。この期に及んでまだそんな説得が通じると思っとるんか」

「正直、思っていない。でも、知りたいとは思っている」

「何を」

「狐塚、あんたが考えていることだ。依頼人もいないのに、どうしてここまでする。警察沙汰にされる可能性だってあったのに」

「警察なんて怖ないけど。まあ、知りたければ力づくで聞き出してみいよ」

 狐塚がスツールから腰を上げる。海人が肩をぐるぐると回した。僧侶が一歩踏み出す。

「海人君、あの僧侶お願い」

「弱い方貰っちゃっていいんですか」

「すぐに倒してこっちに来てくれ」

 ハッハー、と海人の高揚した笑い声が響いた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?