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第91話

「般若ちゃんの面が外れるって話、知っていますか」

「たまに外れるらしいね。俺は見たことないけど」

「何の弾みで外れるんでしょうか」

「それは、逆にどうして普段はくっついているのか、と考えた方がいいと思う」

「般若ちゃんが死んだ自分を、そうイメージしているからでは?」

「どういう状況なら自分の姿を般若面被った状態でイメージするっていうの」

 桜子は二人だけのエントランスで、予約画面を見ながらおざなりに考える。

「節分に死んだとか」

「あんな小さい子が鬼役をやって、その最中に死んだ? 非現実的だね」

「般若ちゃん本人は、それを凄く楽しい思い出として記憶したのかもしれません」

「あの子に記憶は無いんだよ」

「心の奥底に、楽しい思い出の欠片が残っているのかもしれないじゃないですか」

「可能性は否定しないけど、あり得そうには思えない」

「ですよね。私もそう思っていました」

 平日の昼間、一番暇な時間帯。雑誌『アンダーストリート』に載ってから客足は伸びたが、流石に平日まで一日中満員御礼とまではいかない。浅田たちキャストも中でのんびりしているはずだ。

 そんな、喧騒の間隙を縫った会話。

「あの面は、一人の別の霊だよ」

 清隆は椅子にだらしなく座って、天井を見上げながる。

「般若にとって繋がりが深い誰かが、今もあの子を守っている。般若は、女が鬼に変化する過程を表す面だから、多分、女性だね。普通に考えれば、姉か母親。もしくはそれに類する関係」

 清隆は憂鬱な溜息を吐いた。

「一緒に死んだんじゃないかな」

「どうして記憶までなくなったんでしょう」

 桜子は、感傷に浸りそうになるところをあえて無視し、平坦に努めた。

「思い出したくないんだろ」

「記憶は無いのに、未練はあるんですか」

「この世に留まっているということは、そういうことになる。その未練が誰のものかはわからないけどね。般若の未練なのか、面の方の未練なのか」

 あの面は誰なのか。なぜ般若面なのか。本当に母親なのか。

「清隆さん、もしかして色々わかっているんじゃないですか」

「俺にはわからないよ。どうしたらいいのか」

 それは何かをわかっているようにも、何もわかっていないかのようにも聞こえた。桜子も、あえて踏み込むことはせず、マウスから手を離す。

「もうすぐ、次のお客様が来ます」

 いずれ、ときが来れば向き合うことになるのだろう。それまで般若が居場所を持てるよう、この場所を守り抜かなくてはならない。

 エントランスに人影が現れた。次の客だ。

 大学生くらいの女性三人組。そのうち二人がきゃあきゃあと話しながら入ってくる。

 笑顔で受付し、恒例となった言葉を告げる。

「我がお化け屋敷は、霊に会えるお化け屋敷です。中では決して、振り返らないでくださいね」

 入口ドアを手で指す。

「それでは、行ってらっしゃいませ」

 女性たちがドアをくぐり、エントランスが静かになる。最初は浅田がすり抜ける演出からだ。賑やかな声が聞こえてきた。

「清隆さん、あの人たち」

「うん」

「驚きますかね」

「どうかな」

 清隆は苦笑しながら手の爪をいじる。

「後ろを振り返らないといいけど」

 潜めた笑いがエントランスに流れる。意地の悪い笑みを揃って浮かべ、受付の椅子に腰を下ろした。

 サカグラシ、と清隆が呼ぶと、モニタールームからサカグラシが出てきた。

「どうした」

「待機しておいてくれ」

 つんざくような悲鳴が響き渡った。昼間は講義に出ているため、この時間、海人はいない。そのメンバーでこの大きさの悲鳴が上がるのは珍しいことだった。

 二度目の悲鳴が上がる。今度は悲鳴の二重奏だった。

「振り返ったかな」

「振り返りましたね」

 ドタドタと足音が鳴り、出口ドアから転がり出てくる。顔は青ざめ、こめかみに汗を流し、高い音で呼吸しながら桜子たちに詰め寄るように走ってきた。

「なんで、なんでなんで」

 女性客のうち一人が震えながらなんとか言葉を口にする。

「落ち着いてください」

 桜子は両手を突き出して宥める。

「どうして、どうしてサヤカがここにいるの」

「あなた方お二人が来店されたときから、彼女は後ろにいましたよ」

 ここは霊が可視化される場所だ。そして、憑いた霊は高確率で背後に憑く。

「だから振り返ってはなりませんと言ったのです」

「サヤカがいるわけ、ない……。あの子は、もう死んだのに」

 清隆が出口ドアを見る。つられてその場の全員が同じ方向を見た。

「逃げても無駄ですよ。サヤカさんですか、彼女はあなた方のどちらかにしっかりと憑いている。ここから逃げ帰っても家に連れ帰るだけです。ま、今までもそうだったと思うので、気にしないこともできます」

 出口ドアをすり抜けて、青白い顔の少女が姿を現した。

「ここは「後ろの真実」。霊に会えるお化け屋敷です。その謳い文句の意味がたしかに伝わったようで何よりです」

 サヤカと呼ばれた少女の霊は、滑るように女性客に近づいていく。後ずさる彼女たちを壁に追い詰め、キスするかの如く接近していく。

 だが、触れる直前で遠ざかった。清隆が掴み、引き倒していた。

「背中のこれに別れを告げましょう」

 清隆はぎこちない笑顔を彼女らに向ける。

「背中にグッバイ?」

 桜子が霊を覗き込む。霊は力なく倒れたまま動かない。

「グッドかは知らない。バッドかもしれない」

「バッドバイなんて言葉ありませんよ」

「じゃあ作ろう。新しい英語の発明だ」

 勝手なことを、と桜子は笑う。

 へたり込んでいる客の女性たちに手を差し伸べた。

「背中にさよなら。バックにバッドバイといきませんか? 私たちは陰陽師です」

 サカグラシがケケケと笑った。


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