「般若ちゃんの面が外れるって話、知っていますか」
「たまに外れるらしいね。俺は見たことないけど」
「何の弾みで外れるんでしょうか」
「それは、逆にどうして普段はくっついているのか、と考えた方がいいと思う」
「般若ちゃんが死んだ自分を、そうイメージしているからでは?」
「どういう状況なら自分の姿を般若面被った状態でイメージするっていうの」
桜子は二人だけのエントランスで、予約画面を見ながらおざなりに考える。
「節分に死んだとか」
「あんな小さい子が鬼役をやって、その最中に死んだ? 非現実的だね」
「般若ちゃん本人は、それを凄く楽しい思い出として記憶したのかもしれません」
「あの子に記憶は無いんだよ」
「心の奥底に、楽しい思い出の欠片が残っているのかもしれないじゃないですか」
「可能性は否定しないけど、あり得そうには思えない」
「ですよね。私もそう思っていました」
平日の昼間、一番暇な時間帯。雑誌『アンダーストリート』に載ってから客足は伸びたが、流石に平日まで一日中満員御礼とまではいかない。浅田たちキャストも中でのんびりしているはずだ。
そんな、喧騒の間隙を縫った会話。
「あの面は、一人の別の霊だよ」
清隆は椅子にだらしなく座って、天井を見上げながる。
「般若にとって繋がりが深い誰かが、今もあの子を守っている。般若は、女が鬼に変化する過程を表す面だから、多分、女性だね。普通に考えれば、姉か母親。もしくはそれに類する関係」
清隆は憂鬱な溜息を吐いた。
「一緒に死んだんじゃないかな」
「どうして記憶までなくなったんでしょう」
桜子は、感傷に浸りそうになるところをあえて無視し、平坦に努めた。
「思い出したくないんだろ」
「記憶は無いのに、未練はあるんですか」
「この世に留まっているということは、そういうことになる。その未練が誰のものかはわからないけどね。般若の未練なのか、面の方の未練なのか」
あの面は誰なのか。なぜ般若面なのか。本当に母親なのか。
「清隆さん、もしかして色々わかっているんじゃないですか」
「俺にはわからないよ。どうしたらいいのか」
それは何かをわかっているようにも、何もわかっていないかのようにも聞こえた。桜子も、あえて踏み込むことはせず、マウスから手を離す。
「もうすぐ、次のお客様が来ます」
いずれ、ときが来れば向き合うことになるのだろう。それまで般若が居場所を持てるよう、この場所を守り抜かなくてはならない。
エントランスに人影が現れた。次の客だ。
大学生くらいの女性三人組。そのうち二人がきゃあきゃあと話しながら入ってくる。
笑顔で受付し、恒例となった言葉を告げる。
「我がお化け屋敷は、霊に会えるお化け屋敷です。中では決して、振り返らないでくださいね」
入口ドアを手で指す。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
女性たちがドアをくぐり、エントランスが静かになる。最初は浅田がすり抜ける演出からだ。賑やかな声が聞こえてきた。
「清隆さん、あの人たち」
「うん」
「驚きますかね」
「どうかな」
清隆は苦笑しながら手の爪をいじる。
「後ろを振り返らないといいけど」
潜めた笑いがエントランスに流れる。意地の悪い笑みを揃って浮かべ、受付の椅子に腰を下ろした。
サカグラシ、と清隆が呼ぶと、モニタールームからサカグラシが出てきた。
「どうした」
「待機しておいてくれ」
つんざくような悲鳴が響き渡った。昼間は講義に出ているため、この時間、海人はいない。そのメンバーでこの大きさの悲鳴が上がるのは珍しいことだった。
二度目の悲鳴が上がる。今度は悲鳴の二重奏だった。
「振り返ったかな」
「振り返りましたね」
ドタドタと足音が鳴り、出口ドアから転がり出てくる。顔は青ざめ、こめかみに汗を流し、高い音で呼吸しながら桜子たちに詰め寄るように走ってきた。
「なんで、なんでなんで」
女性客のうち一人が震えながらなんとか言葉を口にする。
「落ち着いてください」
桜子は両手を突き出して宥める。
「どうして、どうしてサヤカがここにいるの」
「あなた方お二人が来店されたときから、彼女は後ろにいましたよ」
ここは霊が可視化される場所だ。そして、憑いた霊は高確率で背後に憑く。
「だから振り返ってはなりませんと言ったのです」
「サヤカがいるわけ、ない……。あの子は、もう死んだのに」
清隆が出口ドアを見る。つられてその場の全員が同じ方向を見た。
「逃げても無駄ですよ。サヤカさんですか、彼女はあなた方のどちらかにしっかりと憑いている。ここから逃げ帰っても家に連れ帰るだけです。ま、今までもそうだったと思うので、気にしないこともできます」
出口ドアをすり抜けて、青白い顔の少女が姿を現した。
「ここは「後ろの真実」。霊に会えるお化け屋敷です。その謳い文句の意味がたしかに伝わったようで何よりです」
サヤカと呼ばれた少女の霊は、滑るように女性客に近づいていく。後ずさる彼女たちを壁に追い詰め、キスするかの如く接近していく。
だが、触れる直前で遠ざかった。清隆が掴み、引き倒していた。
「背中のこれに別れを告げましょう」
清隆はぎこちない笑顔を彼女らに向ける。
「背中にグッバイ?」
桜子が霊を覗き込む。霊は力なく倒れたまま動かない。
「グッドかは知らない。バッドかもしれない」
「バッドバイなんて言葉ありませんよ」
「じゃあ作ろう。新しい英語の発明だ」
勝手なことを、と桜子は笑う。
へたり込んでいる客の女性たちに手を差し伸べた。
「背中にさよなら。バックにバッドバイといきませんか? 私たちは陰陽師です」
サカグラシがケケケと笑った。