目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第十七章】元カレ(御幣有)の顧軒

(顧軒だ……資料集にあった通りの顔だ……)

 どうしてかドギマギしている秦景楓。何が心臓に悪いかと言えば、顧軒がまじまじと見てくるのだ。

「えっと、どうしたの?」

「いや、どっかで見た事ある顔だなって。もしかして、王宮にいたか?」

 そして、まさかの図星を突かれてしまった。王宮と少し当たり範囲を広くしているが、十中八九後宮を指している事だろう。

 心臓は跳ねたが、ここは否と答えるのが賢明だろう。秦景楓は気持ちを取り換えて、平然とした態度で、あたかも世間話のように笑う。

「ははっ。冗談が上手だね、お兄さん。僕はただの平民だよ」

「あっそう? じゃあ他人の空似ってヤツだな」

 過度に食い下がる事はされなかった。顧軒は駆け付けた巡捕を横目に身を翻す。

「そんじゃ、俺そろそろ行かなきゃだから。もうスられないようにな! まぁ、お前程脚がよきゃ万が一盗られてもどうにかなりそうだけどな」

 笑いながら、彼は素晴らしい脚力で飛び上がりまた屋根に飛び乗る。そうして王宮のある方に向かって走って行った。その様は、まるで忍者だ。

「すっご……」

 台本上だけで知っていたとんでもない運動神経に感心していると、巡捕に「大丈夫でしたか?」と声をかけられた。

 スリの男が連行されているのを視界の端で見届けながら、秦景楓は「大丈夫です」と言葉を返す。特に事情聴取の類は無く、駆け足で素連の所に戻った。

 秦景楓の姿が見えるなり、素連は心配そうに曇らせていた表情を明るくして駆け寄ってくる。

「素連、ごめんね。お祭りで油断してたよ。お金は取り返したから、安心して」

「それは良かったですけど。そんな事より、何かされませんでしたか? お怪我は……?」

「ないない。ただのスリだよ、攻撃してくる勇気はないさ」

 おどおどと尋ねてくる素連に、あははと笑い否定する。もしかしたら逆上して殴りかかってくる可能性もあったが、そうなったとしても秦景楓への牙とならなかっただろう。彼には護身の心得もある。

「さて。気を取り直して、お祭りを楽しもうか」

 彼にとって、こんな事件は些細な事だ。これ以上幼気な少女に心配をさせる訳にはいかない、今日は、彼女に楽しんでもらう為にここまで赴いたのだから。



 彼の名前は顧軒。姓はない、そんな立派な家の生まれではないのだ。

 顧軒は、走り伝って来た屋根から城壁を飛び越え、前庭に着地する。そうするや否や、一人の少年があっと声を上げ駆け寄ってきた。

「顧軒様! やはり外にいってらったのですが、儀式の前だと言うのに!」

 彼は顧軒の御付である凌清(りょうせい)だ。御付になるにしては若すぎる十五歳という歳だが、顧軒が気に入っている故に直々の使命で御付となった。少々ドジな所もあるが、必死に仕事を頑張る健気さが高評価で、何よりからかい甲斐がある。

「ははっ、悪いな小清(しゃおせい)。俺だって屋台を見て回りたかったんだ」

「凌清です! もう小清って言われる程子どもではありません!」

 ちょんと軽く突かれたおでこを両手で覆い、プンプンと反論する凌清。こういう所がからかい甲斐なのだが、本人には言わないでおこう。

「子どもじゃないつってもなぁ。お前確か十五とかそこらだっただろ? まだまだガキだよ」

「もうっ! どんな事ありませんー! もう立派な男です!」

 意地悪そうに笑う主に一息吐き、凌清は気を取り直して彼に詰め寄った。

「もう時間がありません、準備を始めますよ! 湯浴みに、お化粧に御着替え、色々準備が必要なのですからねっ、顧軒様の剣舞はお妃様がご披露なさる芸の中でも注目されているのです! 分かっていますか!?」

「あーはいはい。男妃は物珍しいから目立つだけな」

 適当に言い放ちながら先を歩く。後ろを付いて歩く凌清が「そんな事はありませんっ」と長々と顧軒の身のこなしの良さや剣舞の才能について語っているのを意識半分に聞き流しながら、面倒な準備の為にお湯場に向かった。

(ったく、面倒だよな。祭りなんて屋台見て適当に買い食いしてるのがいっちゃん楽しいってのに)

 お風呂も、気の許せる友人と駄弁りながら入るのが良い。だと言うのに、妃様というのは入浴ですらお高く留まるかのようなやり方をしなければならない。髪と背中は使用人が洗うし、長湯をし過ぎると体に障るからと注意をされる。元々、妃なんてお上品な身分、自分には似合わないのだ。

 そんな愚痴を吐けど、なってしまった物は仕方がないだろう。幸い、皇帝様は男には興味がない、と言うか、後宮全体に興味を持たないようだから、好きでもない相手に体を預ける事はない。そして、自分がここにいる事により、家族に十分な金が入っている。それだけで我慢する価値があるってモノだろう。

(ま、俺の場合、そんな我慢してないけど……)

 現に先程、退屈な後宮を抜け出して祭りの空気を楽しんでいた訳だ。

 実に楽しかった。まぁ、今回はお金を持たなかったから、本当に空気を楽しんだだけなのだが。思い返していると、ふと頭に先程の出来事が過った。

(やっぱし、さっきのスリにあってた奴、大分前に後宮で見た男に似てる気がすんだよなぁ……)

 つい先程手助けをした大体同い年くらいであろう青年。商人でもあった顧軒は、人の顔を覚えるのが得意なのだが、やはりどうしたってあの人の良さそうな顔立ちに見覚えがあったのだ。

「そうだ、小清」

 どうしても気になった顧軒は、一度立ち止まり振り返る。そうすると、咄嗟に反応出来なかった凌清が背中に思いっきり衝突してしまった。

 よろけながらも体制を立て直し、凌清は尋ね返す。

「凌清です。はい、なんでしょうか?」

「後宮に、俺以外の男いたよな? あいつ、名前なんだっけ?」

 ぶつかったおでこを押さえている彼に聞けば、答えは直ぐに出て来た。

「あぁ、秦景楓様でございますね。確か、皇帝様の暗殺未遂の名目で冷宮に入られたはずですが……彼がどうなさいました?」

「いや、最近見ないなって思っただけだ」

 直接面を合わせて話した事はないが、見なくなったらそれはそれで気になる。何せ、唯一の男妃仲間なのだから。

 そこまで考えた顧軒の脳裏に、一つの疑念が過った。

(ん。俺が、唯一の仲間に声を掛けなかったのか?)

 過去の自分自身の行動について不可思議に思ってしまったのだ。

 顧軒という人物がどんなのか、顧軒本人は割と理解している方だ。自分は、その場にじっとしてるのが好きではない完全なる行動派であり、フットワークはかなり軽いと自負している。そして、対人関係へのハードルも低い。商人であった頃だって、三・四見程の客となればほぼ友達だった。

 だと言うのに、この目まぐるしくなるような完全なる女サークルにいる唯一の男仲間に、声すら掛けなかった? そんな事は有り得るのか。否、あってはならないレベルだ。

 どうして、彼がこんなにも急に己に疑問を持ったのか。まぁ無理もないだろう。ここは一つ、「ま、いっか」で済ませてもらう事にしよう。

(まぁ、別にいっか。過去の自分の行動なんて理解できないモンだしな)

 顧軒の中でひとりでに疑問が解消された頃、彼の湯浴みの為の風呂場に辿り着いた。きっとこの中に清めの為の専用使用人が待ち構えているのだろう。そう思うと滅入ってしまうが、まぁ仕方がない。

「それでは、僕はここでお待ちしております」

「おう、分かった」

 顧軒は扉を開け、ちゃちゃっと儀式の前の清めを済ませてしまう事にした。


 彼が儀式で披露する剣舞は、他の妃とは違いたった一人で舞台に立ち、持ち前の身体能力を前面に押し出した力強い舞だ。どうやら、演舞の途中に組み込まれた殺陣がお偉いさんの間でも好評らしく、味を締めた使用人たちが殺陣の割合を増やしつつある。

 舞台裏で待機している、催し物を行う様々な人間の中。妃という枠で唯一男である顧軒は、幕の外から覗く舞台と続々と集まってくるお偉いさんを横目に茶を飲んだ。

 その隣で、凌清がソワソワしながら話しかけてくる。

「楽しみですねぇ。まぁ、僕は舞台裏からしか見れませんが。ここでしっかりと見ていますので! 頑張ってください、顧軒様」

「ははっ。別に、見たきゃ後で目の前でやってやるぞ。殺陣は他が必要だから出来ないけどな」

「えっ、いえいえ! まさか、何でもないのにやってもらう訳にはいきませんよ」

「なに、俺の剣舞は大道芸由来だ。ちょっと前までタイミングさえあえば金を出さずとも路上で見る事が出来たんだ、遠慮すんなよ」

 笑いながら、自分より低い位置にある凌清の頭をポンポンと叩く。その表情からは兄らしさを感じた。それもそうだろう、顧軒には弟こそいなかったが、妹がいたのだから。

 そうこうしている内に、銅鑼の音が聞こえた。どうやら開場のようだ。儀式の開幕まであと数分、開会式で演奏をする国内有数、王宮御用達の楽団がいつでも行けるよう準備を整えている。

 顧軒の出番はまだまだ先だ。女妃達の出番が終わった後、妃のトリを任されている。それまで、まぁ適当に時間を潰していよう。流石に、今脱走する程空気が読めない男ではないから。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?