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【第十七章】祭りの日は楽しみの日!

 九月十五日である今日この日、待ちに待った迎秋祭当日だ。

 祭りは午前九時から、儀式はその少し後の十一時からだ。秦景楓は気持ちいつもより早く起きて日課を済ませようと行動を始めた。

 鶏舎の掃除をしていると、こちらに気付いた鶏達。いつもより早い餌を不思議に思っているように、鶏達は首を傾げ、餌皿を脚で突く。まるで「今からご飯なんか?」と尋ねてきているかのようだ。

「うん、今日はちょっと用事があるからねー。ほらー、食えー」

「コケェ!」

 少し早い朝ごはんに鶏は一つ頷いてついばみ始める。

(お、卵あるじゃん……)

 見られていない隙に卵を拝借して、とっとと鶏舎を去る。これで使える食材が一つ増えた、ちょっとしたラッキーだ。その後鶏舎の中から鶏の雄叫びが聞こえたような気がしたが、もしかして気付かれただろうか。

(相変わらず鶏のくせに目敏いな……マジで、中身人間なんじゃないのか? ま、なんでもいっか)

 明日の災難は明日の自分に任せる事にしよう。今は簫司羽もいないから、どうにか自分の手で切り抜けないといけないが。

 一先ず、鶏の鶏頭が発動される事を願っていよう。

 畑は順調に進んでおり、青菜に関してはもう収穫も出来る頃合いだろう。ジャガイモと大根に関してはもうちょっと時間がいりそうだが、もう直ぐだ。

 収穫は明日にしておこう。今日は出かける予定がるから、毎朝の日課のお世話だけに留める。

「明日収穫するからねー。ふふっ、何作ろっかなぁ~」

 楽しみになってきた所で、畑から立ち上がり沸かしていた風呂に向かう。

 資料集に書いてあったのだが、どうやら祭りの当日はお清めという意味合いもあって朝風呂に入る風習があるそうだ。それに倣って、秦景楓も身を清めようと思ったのだ。

 秋の涼しくなった中、朝から湯で温まるのは気持ちがいい。

(今頃簫司羽もお風呂入ってんのかなぁ……朝から忙しいんだろうな、皇帝様となると。朝風呂って言っても、ゆっくりはしてないだろうな……)

(はぁ……あったかい)

 一方で、秦景楓は肩まで浸かったぬるめのお湯に緩んでいる。

 三十分程湯船でのんびりしてから、風呂から上がる。そうして自室で髪を乾かす。そうしていると、トントンと扉が叩かれる音が聞こえた。

「あ、素連? いいよー、入って来てー」

 声をかけると、外から「はーい」と返答が返ってくる。

 身支度を始めるにはまだ早い時間だが、お祭りの風習に乗っ取り、素連にも朝風呂に入るかと誘ったのだ。だからこの時間だ。

 素連は最初に秦景楓の部屋の前まで来て、「おはようございます」と朝一番の笑顔を見せた。

「おはよー素連。じゃあ、お風呂入って来な。その後に身支度始めようか」

「はい! じゃあ、お湯お借りしますね」

 また扉が締められる。素連は割とゆっくりと浸かっているタイプだから、小一時間はお湯に浸かっている事だろう。

 秦景楓は引き出しから資料集を取り出し、読み始めた。まだ自分の準備を始めるのにも早いし、特にする事がないから。

 何気なしに開いたページは、顧軒の紹介設定だった。攻略対象じゃない為しっかりとは読んでいなかったが、どうせ暇だからと目を通す。

(顧軒、か。この世界にもいるにはいるんだよな……? 素連も、ドラマの世界線にいるにはいたんだから)

(そもそも、この世界線の「秦景楓」が顧軒と知り合いですらないって、割とご都合だよなぁ……)

 忘れがちだが、この「秦景楓」の体は秦景楓のモノではない。同姓同名で顔も良く似た別人のガワだ。秦景楓は秦景楓ではないという、文字に起こすと訳が分からない状態なのだ。

 数少ない男妃という身分。現在の後宮には、秦景楓と顧軒の二人しかいない。女子率が圧倒的に高いクラスで必然と男子が一つにまとまるのと同じように、絶対にどこかしらで互いを認知するタイミングがあるはずなのだ。

(男妃同士がエンカウントしないように、それぞれ隔離されているとか、あるのか……? いや、ドラマにはそんな設定無かった。別の世界線だけど、基本は同じなんだから。そんな大幅な設定改編……いや、有り得るか。素連が冷宮にいるもんなぁ)

 背もたれに身を預け、脚を放る。

 そういう事もあると言われてはそれまでだが、しかし、どうも違和感があるのだ。

「まい、いっか。別に顧軒の攻略はしないんだし、会えなくとも。逆に簫司羽の攻略に支障をきたしそうだし……」

 頭の片隅にある、ドラマシナリオの最終回。簫司羽の嫉妬が行くところまで行った結果が監禁エンドであれば、顧軒とは出会わない方が互いの為なのだ。

 秦景楓は資料集を閉じる。そうして台本を引き出しから出して読み始めた。小説とはまた違うが、暇潰しの読書変わりだ。

 台本を読みながら、時折資料集を照らし合わせてみる。そうすると世界への見解が深まるような気に成れて、なんだか楽しかった。

 一時間程そんな事をしていると、お風呂から上がった素連が戸を叩いた。

「秦景楓さん、お風呂上がりましたよ~」

「お、じゃあ髪乾かそうか」

 台本と資料集は引き出しに戻して、しっかりと鍵をかける。万が一素連に見られたら困惑させてしまうだろうから。

 ドライヤーを用意して、素連と使っていない部屋に向かう。鏡台の前に座ってもらって、髪を乾かし始めた。

 触った瞬間に感じた手触りの良さに、秦景楓はおっと短く声を漏らす。

「お、素連。前触った時よりも手触り良くなってるね。この前上げた椿油使ってくれてるの?」

「はい! 私の髪に合っているのか、かなり良い感じなんです」

 訊くと、風音に混じって彼女の嬉しそうな声が聞こえた。

 ちょっと前まで彼女の髪はパサついていたりしていたが、今ではこの妃にも負けず劣らない質になっている。下女という身分もあり、そう滅多に湯船でゆったりとする事もないし、髪の手入れをするあらゆる陽右が無かったのだろう。

 素連が冷宮に来たばかりの時、秦景楓は年頃の女の子は髪を気にするだろうと、彼女に椿油やらブラシやらのお手入れの道具をあげたのだ。案の定彼女は喜んでくれて、今でもこうして使い続けてくれている。

「それは良かった。髪は女の命って、やっぱここでも言ったりするの?」

「えぇ、聞いた事はありますよ。淳貴妃様や、他のお妃様が話しているのを耳にした事は何度かあります。下女ですので、自分のはあまり意識は出来なかったですが……」

「まぁそうだよねぇ。想像は出来るよ」

 苦笑を浮かべた彼女に同調して会話を続けた。

 秦景楓は女でこそないが髪は長いから、手入れの方法は知っている方だ。髪を乾かしながらそんな知識を教えている光景は、宛ら美容室だろう。

「よし、乾いた。それじゃあ、はい。これ衣装ね。先に着替えて来て。僕もちゃちゃっと着替えるから」

「わかりました。じゃあ、客間お借りしますね」

 素連は着替えの為に別室に向かい、その間に秦景楓も済ませてしまおうと、一回鍵を閉める。

(万が一にでも、この体見られる訳にはいかないしね)

 この未だに消えない赤い痕やら何やらを、年頃の女の子の目に映すのだけは絶対に避けなければならない。自分の為、と言うより素連の目に毒だからだ。

(このキスマ、全く消えないな……薄くもならないし。普通こういうのって割と直ぐになくなるもんじゃないのか……? まぁ、服で隠れる所だから、困る事はないけど……)

 事故でない限り、人に肌を晒す事はない。冷宮には素連しかいない為、こうして鍵をかけておけば問題ないし、なんであれば彼女は礼儀のなっている子だ。入る前は必ずノックをするし、そもそも部屋の中に入ってくる事はない良い子なのだから。

 よって、この痕達は秦景楓が気を付けていればバレない。心配はいらないだろう。

 男物の服の方が着るのが簡単だ。先に着終わって待っていると、そう長く待つ事も無く素連は戸を叩いた。

「あっ、はーい。入って来てー」

「失礼します~」

 戻って来た素連は、新しい衣を着た秦景楓を目に「わぁあ」っと浮ついた声を漏らした。

「それが今日のお召し物ですかっ、とってもお似合いです!」

「そう? それなら良かった。素連に言ってもらえるなら間違いないね。ファッションに関して若い女の子より詳しい人はいないもの」

「じゃあ、とりあえずお化粧しちゃおうか。座って座って~」

 褒められて満更でもなさそうな秦景楓。気恥ずかしさを逸らす為に話題を変えて、椅子を目に映した。鏡台の前に座ってもらって、早速お化粧を始めた。

 一度やった事があるから、そう手間はかからない。この前練習した通りの化粧を施せば、素連でありながらも一目では素連だとは気付かれないであろう姿となった。

 素朴さを損なわない程度に色を付けた。素材の味を生かした調理をしたようなモノだ。秦景楓は納得できる出来に満足気に頷く。

「素連、目開いていいよ」

 閉じてもらっていた目を開けてもらい、本人に確認してもらう。

「うん、いい感じだと思うよ。どうかな?」

「はい! とってもいいと思います」

 嬉しそうに笑う彼女の笑顔が眩しい。これがうら若き少女の無垢さと言うべきだろうか、秦景楓はそんな若さに当てられ消し炭になりそうな気分だった。

(若いって、いいな……)

 秦景楓だってまだ二十代前半だ。世間からすれば若い方のはずだし、まだ「おじさん!」と言われても「お兄さん!」と訂正しても良い年頃だが。それでも十代に比べたら劣ってしまうのだ。

 思考が遠くに若さを羨んでいる中、ハッとして首を振る。

(いやいやいや、僕もまだ若いから。ピッチピチだから! 全然化粧乗り良いし……)

 素連は、どうしたのだろうとこちらを控えめに窺っていた。

「それじゃあ、ちょっと適当に時間潰してて。僕も準備しちゃうから」

 彼女に椅子を変わってもらい、自分の化粧を始める。

 自分の顏に色を施す事はあまりしないが、した事が全くない訳ではない。なんなら、女装だってした事あるのだ。

 あれは確か、知り合いがいる劇団に欠員が出た時だったか。公演まであと一週間と言うタイムリミットを前にして、団員の一人が風を拗らせ当日に間に合わなくなった。幸い、その役は名ありのモブくらいの立ち位置だったから、秦景楓の代役でなんとか賄えたのだが。それがなんと女役なのだ。

 じゃあ女の子に代役頼んでよと、思わなかったわけではないしなんなら当初もそれとなく抗議したが、知り合いの中でなんとかしてくれそうなのが秦景楓くらいしかいなかったそうだ。

 まぁ、便利屋さん扱いされていたあの頃だ。炊事洗濯から文絵武芸まで、とりあえず秦景楓に頼んでおけばどうにかなるという認識をされていたのは否めない。実際それでお金を稼いでいたのだ。女装くらいであれば、依頼料さえ出してくれれば別にしたって良い。

 そんな事を思いだしながら、自分の化粧を進めていく。その様子を鏡越しに興味深そうに見ている素連の視線にほんの少しむず痒くなるが、気にしないでおこう。これはよくある事だ。

 一目で「あ、秦景楓だ」とバレなきゃ良い。少なくとも、この身なりで、冷宮の廃妃だと分かる者はいないだろう。そう沢山盛る必要もないから、素連よりも大分早く済ませられた。一通り終えると、鏡の自分に目を合わせる。

(うん。これくらいやれば大丈夫かな)

 大丈夫だろうと思いながらも、化粧の類は自分では分からない所もある。秦景楓は振り向いて、素連に尋ねる。

「どうかな?」

「はい、とってもいいと思います。秦景楓の美しさが更に際立って、何だか、本当にお妃様なんだなtって実感しました」

「ははっ、それはほめ過ぎだよー」

 満更でもなさそうに笑う。秦景楓本人ですら生きている節々でそう言えばそうだったなと思いだす程度だったのだが、確かに、こうしてしっかりと化粧をすると妃らしさも出るというモノだ。

 とは言え、今回の衣装のコンセプトは皇都の一般市民のシャレ着だ。衣装もそこそこ良いモノではあるし、このような化粧となら合わせても違和感はないが、身分のお高い貴人の着るようなモノでは全くない。動きやすさも考えたから猶更、まさか妃だとは思われないだろう。

 これで準備は整った。

「それじゃあ、行こうか」

 そうして彼等は、祭りに赴く。と、その前に、まずはこの壁を超える事からだ。方法としては、用意してから結局使っていないこのめちゃ長梯子を掛けて上まで行く予定だった。そうして上に昇ってから、素連を抱えて飛び降りればいいだろうと。

 成人男性が少女を抱えるというのは少し問題がある気がしたが、素連はそれで大丈夫だと頷いた。ならば問題はないだろう。どこからかその光景を見た第三者がセクハラだと訴えたりしなければ。

 まぁ、問題は帰りなのだが。その時は、隙を見てスペースで何かしら仕入れようと思っている。

 そんな事を考えながら、屋敷から出る。丁度門とは反対側の壁、庭のある方向だ。

 しかし、そこには異様な、目を疑うような光景があった。

「ん。あれ……?」

 壁と同色で一見分からなかったが、よく見たら壁の一部に違和感があった。色こそ同じなのだか、ここだけ素材が違うような、そんな気がする。

 そんな違和感に目を付けた秦景楓は、吸い込まれるようにそこに手を添えた。するとどうだ、その部分に一瞬だけ模様のような絵図が浮かび上がり、そこが自動扉のように開いたではないか。

「は、はぁ……?」

 思わずそんな声が漏れ出てしまった。

「え、えっと。これは、なんでしょうかね……? 今見えたのって、四神の図ですかね……?」

「ごめん、僕も分からない……」

 確かに、素連の言う通り、一瞬だけ見えた絵には四つの動物みたいなモノが描かれていた。本当に一瞬だけだから動体視力も追い付いていないが、四神の特徴に一致していたように思える。

 一体これはなんなのだ。いつ誰が設置した。いや、そんなの分かりきっている、あのスペースだろう。祭りに行くと言う情報は知っているのだから、そこで気を使って密かに出入り口を作ってくれたのだろうと推測した。確かに、これなら外から見てバレないだろう。

(いや、ありがたいけど……いくらなんでも、ファンタジー過ぎるだろ、これ。しかも技術としては割とサイバー系……世界観ぶち壊しレベルだぞこれ……後でお礼と文句言っておこ)

 ありがたさ半分、引き半分。秦景楓はどういう気持ちでいればいいのか分からなかったが、とりあえず今は置いておこう。お空の彼方くらいにでも。

「ま、まぁ。外に出れるのなら問題はないね。行こうか」

「そうですね」

 相変わらず、素連はいい子だ。こんな訳の分からない事を飲み込んでくれた、本当に、この子を育てた親御さんに子育ての秘訣を聞きたい。まぁ子どもを産む予定は今後もないのだが。

 さて、気にしない事にして外に出ると、こちら側の壁の向こうはどうやら王宮の外のようだ。

 ここはどこだと迷う所だが、秦景楓は準備の良い男だ。設定資料集には王宮周辺の地図があった。それを記憶しておいたのだ。仕事の出来る男だろ?

(確か、門のある方が後宮の隅に面していて、その反対側が敷地外なんだっけかな。この壁を伝って行けば、皇都の街に出れたはず……)

「多分こっちかな。一介皇都の街に出て、そこから一般人のフリして祭りに参加しよう」

 素連は小さく頷いて、秦景楓の隣を突いて来る。

 冷宮は王宮の敷地の端に追いやられたような位置にあるお陰でこの作戦で難なくいけそうだ。男院側を壁沿いに真っ直ぐ伝って行けば街の方に付く。

 皇都は、王宮の敷地を中心に四方に町が広がっている。中側に来れば来るほど栄えていて、簡単に言えば金持ちが住んでいるのだ。

 王宮から離れるように、裏道とも思えるような路地をニ十分程歩く。あたかも一般人を装うには、皇都の外側から王宮方面に向かって歩かないといけないからだ。

 丁度いい辺で賑わいが聞こえる大道路にズレてみる。たった一本道をずらしただけだが、そこは如何にも祭りのような賑わいを見せ、赤い提灯が晴れた空を彩っていた。

 先程から微かに聞こえていた楽器の音が、周囲を包み込むように聞こえ、肉か何かを焼いたような香ばしい香りもどこからか漂っている。そうして、先程歩いて来た方向を見てみれば、城壁に囲まれた王宮が佇んでいた。

 彫刻が施された紅い正門は、ここからでも把握出来る。流石に何が刻まれているかまでは分かる訳がないが、それは後で見てみる事にしよう。全体的に王宮として相応しい風格を持つその様に、秦景楓は思わず感嘆の声が漏れた。

 外から見る王宮は、なんだか少し「懐かしい」と感じた。どうしてかはよく分からないが、恐らく彼の中にある「秦景楓」としての記憶の産物だろう。

(まぁ、それはなんでも良いか)

(前庭が解放される時間になったら、クソデカい銅鑼がなるんだったよな……それじゃあ、それまでは屋台を見て回るか!)

「素連、とりあえず王宮の方面に歩きながら、屋台見て回ろうか。城門が開くまでまだ少し時間あるしね」

「はい! 行きましょ」

 お金は持ってきた。スペースでポイントをお金に変えてもらったのだ。一ポイントを星月国のお金である一晶に変え、所持金は合計で千晶。今の秦景楓の手持ちは十晶札が十枚だ。これは、君達に分かりやすく日本円で換算すると一万円程となる、祭りを楽しむには十分な手持ちだろう。

 この為に今日の朝ごはんは食べなかったのだ。今の空腹は、祭り飯を楽しむ為の石附だ。

 香りに空腹を滾らせながら近くを見渡すと、とっても良いモノが目に映った。赤く丸っこいモノが刺さった串、秦景楓はこれを知っている、タンフールーだ。

「あ、糖葫芦じゃん! 一回食べて見たかったんだよね。素連も食べる?」

「はい! 是非ともいただきたいです」

「わかった。じゃあ二本買おうか」

 素連と共に売り場の近くまで歩き、札を一枚用意して店番をしてるおっちゃんに声をかける。

「おっちゃん、これ二本ちょうだい」

「あいよぉ、おつりの六晶ね。好きなの取ってきな」

 おつりの六晶を受け取り、粒が大きめの二本を抜き取る。

「ほら、素連。食べな」

「ありがとうございます~!」

 店先から少しズレて、邪魔にならない場所で一粒食む。パリっとした触感と甘酸っぱさ。密かに憧れていた味を口に出来た感動もさることながら、普通に美味しい。

「んん~、いいね。美味しい」

「ですね!」

 あっという間に一本を平らげてしまった。まだまだお腹の空きはある、次はあの串焼きでも食べようか、甘いものを食したらしょっぱいモノが食べたくなってしまった。

 だが、先に素連が何をしたいかを聞くべきだろう。レディーファーストというやつだ。

「素連は何か興味があるのある? お金ならまだまだあるから、気にしないで欲しい物とか食べたい物があったら言ってね」

「ふふっ、嬉しいです。それじゃあ……あ、そう言えば、装飾品店が出している屋台で、扇の絵付け体験が出来ると聞いた事があります。一度やってみたかったんです!」

「お、いいね。じゃあ見つけたらやってみようか」

 それは秦景楓も興味があった。

「兄ちゃん達、祭りを楽しむならこれを持つといい」

 話していると、直ぐ近くから声がかけられた。見れば、タンフールー屋のおっちゃんが紙を持っていた。それは、二枚檻にしただけの簡単なリーフレットのようだ。

 大体察すると、秦景楓は笑みを浮かべてそれを受けとる。

「ありがとうございます。すみません、わざわざ」

「いいのいいの。持ってない客いたら積極的に渡すよう言われてんのよ。さっき嬢ちゃんが言ってた出しモンの場所もそれで分かるから、確認しとき」

「はいっ。ありがとうございます、おじさん」

 素連は真っ直ぐとした笑みを浮かべて、受け取ったリーフレットを開いた。秦景楓も自分がもらった分を確認してみて、凡そ何があるかを把握する。

 簡易的なマップに丸に囲まれた数字が点在していて、「一―糖葫蘆」のように大まかにそれがなんの屋台かが書かれているようだ。それも踏まえて全体的にかなり簡易的だが、どこに何があるかを把握するには十分だ。

(流石に白黒の手書きだけど、同じモノ何枚も書いたって感じではなさそうだな。素連のと違いがないし。この感じ、木版印刷かな? それにしても、文字も絵もしっかり書かれてて、かなり見やすい……凄いなこれ)

 職人の技術に感心しながらも、秦景楓はいくつか行きたい所に目星を付けていた。素連にも話を聞いて、この痕のプランを決めようと思い、彼女を振りむこうとした、その時だった。

 不意に体に過った、軽く触れられるような感覚。秦景楓は一瞬で理解した、これが俗に言う、スリだ。

 持ち前の反射神経で反応した秦景楓が感覚の過ぎ去った方向を見れば、想定通り若い男が颯爽に駆けているのが見えた。その手に、秦景楓が財布を入れていた巾着袋がある。

「素連、動かずそこで待ってて!」

 咄嗟にその一言だけ言いつけ、男を追う。

 後ろ姿は覚えた。脚も早いが、一般人レベルだ。

(十分追い付ける速さだ。あんチクショウ、油断してたけ僕も大概だけどっ!)

 久しぶりの全力疾走で、きっと己の脚は驚いている事だろう。

 街の人達は全力疾走の成人男性二人が急に横切って行ったのを、見開いた目で軽く追いかける。

 引ったくりが起こったのだと状況を察し、次第とざわざわとし出す祭街路。しかし、それは普通とはまた違った意味合いだった。

「凄いわね、あの追いかけてる子。息一つ切れてないわよ」

「ねー。速い……」

 街の人々が呆気にとられているのは、偏に秦景楓の様子が普通のスリ被害者と違ったからだろう。

 そう、男より彼の方が幾分か速かったのだ。

 引ったくり犯の距離は次第に近づいて行き、徐々に詰まって来ていた。

 普通、引ったくりにあった人は「コラー!」とか「待て泥棒!」とか言いながら追いかけてくるモノだろう。しかし彼は、何を言う訳でもなく無心で犯人を追いかける。そんな彼の様子はまるで手練れの戦士だ。

 犯人ですらそんな彼に動揺している様子で、焦りを汗として滲ませながら辺りを見渡していた。

 直線距離では勝てないと悟ったのだろう。突如方向転換をし、右の脇道に入ろうとした、その時だった。

 上空から影が差した。「あらよっと」っと軽い一斉と共に屋根から飛び込んで来たそれは、犯人を抑え込むように着地し、素早い手つきで男が持っていた巾着袋を取り上げた。

「祭りの最中はこういった輩が出てくるんだ。金の入ったモンは特に気を付けなきゃだぞ」

 上げた視界に映ったのは、にかっと元気のいい爽やかな笑みを浮かべる青年。秦景楓は、この青年に見覚えがあった。

「こっ――!」

「ん?」

 思わず喉から突き出た一文字目を飲み込み、秦景楓は首を振る。

「い、いや、なんでもない。ありがとう、助かったよ」

 若干笑みを引きつらせながら、巾着を受けとり懐にしまう。若干ぎこちない動きなのは、仕方がないだろう。だって、目の前にいるこの青年はどこからどう見たって、ドラマ世界線の「秦景楓」とカップリングされている正ヒーロー、本来の「攻め枠」である顧軒なのだ。


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