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【第十六章】祭りの計画

 女院の敷地に入る時、毎度ほんの少し悪い事をしている気分になる。が、しかし問題はない。誰も彼の行動を咎める事はしないだろう。

 朝八時、この時間であれば素連はほぼ起きているだろう。下女として働いていた習慣で、早起きが身についていると本人が言っていた。

「素連ー、いるー?」

 声をかけると、中から「はーい」と彼女の声が聞こえる。

「秦景楓さん、おはようございます。どうかしましたか?」

 彼女は、既に日中の活動をするように身なりを整えている状態で姿を見せた。首を傾げ、訪問してきた秦景楓に問いかける。

「あぁ、実はね、間違えて朝ごはん二人分付くっちゃってさ。良かったら一緒に食べない?」

「えっ、よろしいのですか? 今、丁度朝ごはんをどうしようかと迷っていた所だったのです」

 苦笑交じりの秦景楓に、素連は表情を明るくして答える。

 彼女は、秦景楓の料理を結構気に入ってくれているようなのだ。その反応に、思わず秦景楓もにっこりとした。

「じゃあ、遊びにおいで。今日はね~、青菜を収穫したから、それともやしを豆板醬で炒めた野菜炒めを作ったんだ」

「まぁ、いいですね! 今週は秦景楓さんの育てた野菜が入っているのですか、楽しみです!」

 素直な反応を見せてくれる彼女が本当に可愛らしくて。割と本気で妹だと勘違いしてしまいそうになってしまう。

「じゃあ決定だね。行こうか」

 客間に二人で戻り、ネットを外す。直ぐに戻ってきたから、まだ出来立てホカホカの範疇だ。ご飯を一杯よそって持ってくると

「わぁ、美味しそうですね!」

「うん、今日は中々いいかんじだよ。ささっ、召し上がれ!」

「はいっ、いただきます」

 手を合わせると、早速箸を付ける。香辛料の香りに釣られるように野菜達を口に入れれば、程よい辛さが口内を刺激し米が進んだ。

 これはとても美味しい。しかし、素連は一つ違和感に気付いた。

「美味しいです~! これ、いつもより辛さ控えめですか?」

 そう、前に食べた時より数段程辛さが控えめなのだ。素連も秦景楓も辛い物が大の得意で大好きな為、恐らく普通の人が食べたら「食えるかっ!」と怒り交じりにせき込みながら突っ込むレベルだったし、なんなら言われた事がある。しかし、今回のは世間一般で言う旨辛に抑えられているのだ。

「えっ? あ、あぁ……多分、簫司羽が辛いのそこまで好きじゃなかったから、このくらいにしてたんだった」

 これもまた、癖でやってしまった。今日は簫司羽に食べてもらう訳じゃないのだから自分の好きな辛さに戻しても良かったのに。

 微苦笑を浮かべて頬を掻いた秦景楓に、素連は「ふふっ」と笑みを零す。

「ちょ、笑うなよー。だって、簫司羽『お前は人に食い物を振る舞うという事の意味を知った方が良い』とか言われたんだもん! すっかり辛くしないのが身に付いちゃって」

「あぁ、すみません。なんだか、微笑ましく思いまして……」

 笑われるのは心外だと膨れた秦景楓に、素連はそう言いながらも笑みを引き下げる事は出来ずにいた。

 人間、恋をするとその相手に染まる事がある。ロックなんか普段聴かなかったと言うのに、彼氏がロック好きで釣られて同じ音楽を聴くようになるような。料理の味付けが彼の舌に合わせたモノになるのもその一環だ。それは、偏に相手が好きだから起こる現象と言えるだろう。

 素連はなんとなく察していた。秦景楓が簫司羽に魅かれていると。彼が司雲と名乗った皇帝その者と出会う前から、何となく「あぁ、気になっているんだろうな」という雰囲気だけがあった。しかし、簫司羽が司雲という偽名で同居人になってから、その想いに確変が入っていたのだ。

 確かに、秦景楓は本人が気付く段階より前に、簫司羽に惚れていた。

 だが、その事が特段大きく態度に出ていた訳ではない。まぁ所謂、女の勘だ。だが、間違えて必要のない二人分を作ったり、相手に合わせた味付けに調整したりしているその行動が証明だろう。その好意は、無意識的にも相手の事を考えてしまう程という事だ。

「皇帝様と上手く行っているようで何よりです」

 秦景楓だって薄々気づいてはいるはずだ。実際、以前「自分は簫司羽の事が好きなのか」と悩みを漏らしたのは、他でもない彼だ。だが、まだ己の想いに踏ん切りを付けていないのだろう。

 可愛らしい初恋模様に、素連は冗談交じりに背中を押す。

「う、上手く行ってるって、そりゃ大袈裟な! 簫司羽は友達、友達だから!」

 素連の微笑みに、秦景楓はハッとして弁解しようと立ち上がった。

 どうして弁解しようとしているか、本人も分かっていない。しかしだ、こんな素直な少女に、「あぁそうさ、僕は簫司羽とヤることまでヤッた仲だからね!」なんてまさか言える訳がないだろう。普通にセクハラだ、訴えられたら十ゼロで秦景楓が負ける。

 だが、よくよく考えなくとも。簫司羽と友達というのもあまり弁解にはなっていなかった。

「皇帝様とお友達な方が凄いと思いますよ」

「あ、確かに……」

 突っ込まれて気付いた彼は、素で声が漏れ出た。

「と、とにかく。他意はないんだから……今は、そう言う事にしておいてほしいの……」

 秦景楓がしおらしく口をまごまごさせると、素連は「わかりました」と柔らかい表情で答えてくれた。

 まだ心が決まっていない。その一言に尽きるだろう。今は、友達だと思っていた方が気が楽だから。

「あ、そうだ。そんな事よりも素連。お祭りについてなんだけど」

「迎秋祭ですか?」

「うん、それそれ」

 一回橋を止めて尋ね返して来た素連に、秦景楓はニコニコと笑いながら頷く。

「素連、行きたがっているように見えたからさ。どうせだから、一緒に見に行こうよ。その儀式とやらをさ」

「えっ、出来るのですか……!」

 誘ってみると、素連は徐に見開かれた目を輝かせた。

 思っていた通り、彼女は行きたかったのだろう。

「出来るよ~。ほら、梯子で壁は超えられるし、服と化粧を用意したから、それで変装すれば冷宮の人だってバレないで行けるよ! 祭りは人も多いだろうし、警戒態勢はしているだろうけど不審な動きしない限りそんなマジマジとは見られないだろうさ」

「行く?」

「はい! 行きたいです!」

 一も二もなく即答した素連。キラキラと表情を明るくさせるその様子は、紛れもない年相応の女の子だった。

 喜んでくれているようで、秦景楓は内心安心もしていた。もし気のせいで「え、別に行きたいとは思ってないのに……」と引かれてしまったら傷付いてしまう。

「じゃあ決まり、後で服を試着して欲しいんだ。素連に似合いそうだとは思ったんだけど、実際着てみてほしくて。あと、化粧も試させて。人の顔にやるのは久しぶりだから。練習しておきたいんだ」

 秦景楓はほんのりと乗って来たテンションで頼むと、素連もまたうきうきで「はい!」と頷いた。

 祭りはまだ数日先の話だが、とても乗って来た。これはもう当日が楽しみだ。

 ご飯を食べて少しゆっくりした後、先程スペースで交換してきた素連用の衣装を着てもらう。性別の問題で秦景楓が着付けを手伝う事は出来ないが、一人でも着れる衣装のはずだ。何せ、一般市民のシャレ着と要望して出て来たモノだから。一般市民に着付けの人など付いていない。

「あ、秦景楓さん。着替え終わりました……」

 廊下で待っていると、中から控えめな声がかかる。

「分かった。じゃあ、あけるよー?」

「はい、どうぞー」

 念のためもう一声かけてから扉を開けると、そこには新しい衣に身を包んだ素連がほんのりと恥ずかしそうにモジモジとしていた。

「ど、どうでしょうか……? 似合っていますか?」

 様子を伺うように尋ねてくる彼女に、秦景楓は大きく頷いて答えた。

「うん! とっても似合ってるよ素連、いつもの可愛さが増している感じ。やっぱこれで間違いなかったね」

 スペースは素連の姿を知らないはずだが、知っているかのような衣装選び。彼女の素朴な可愛さを引き立てるかのようで、かなり似合っている。

 秦景楓の感想に、素連はホッとしたような笑みを見せて方の力を抜いた。

「良かったです……こういった服は着た事が無かったので、自分の身の丈にあっているか心配で……」

「大丈夫大丈夫。どんな身分だって女の子は皆女の子なんだから、おしゃれして可愛くない訳がないんだよ」

 その言葉に嬉しそうな反応をすると、くるりと回りして可愛い衣装にはしゃいでいる。

「それじゃあ、化粧を試させてほしいな。空き部屋に鏡台があるから、そこでやってみよう」

「はい、分かりました!」

 鏡台であれば秦景楓の部屋にもあるのだが。流石に、化粧の為とは言え女の子を自室に連れ込むのはよろしくないだろう。まぁ空き部屋も寝室なのだが。

 椅子に座ってもらってから、早速用意した道具を机に広げる。

(わっ、若い肌だぁ……すべすべで張りがいい! こりゃメイクが捗るぞぉ)

 秦景楓もまだ肌が若い方だが、やはり十代の乙女には叶わない。冷宮の環境の都合上、満足なスキンケアなんて出来ていないだろうにこれだ。なんだかちょっと羨ましく思いながら、早速化粧を始める。

「いいなぁ、化粧ノリがすっごく良い! 若い子の肌は違うなぁ」

「もう、秦景楓さんもお若いじゃないですか」

「それでももう二十超えだからねぇ。もうこれから若くなくなってくる段階だよ」

 二十五を超えると若さの失脚の始まり、三十を超えると衰えの始まりだと、知人に脅された事がある。そう、秦景楓のお肌はもうこれ以上にはならないのだ。

 しみじみとしながらも、時折なんでもない会話を挟んで素連の肌に色を重ねた。とは言え、派手過ぎるのは良くないから、素材の味を引き立てる程度に。

 しかし、これだけでも大分違う物だ。普段の素連とはまた違った印象で、パッと見では彼女だと気付かれないだろう。

「……よっし、完成! 見てみて」

 声をかけると、素連は目を開いた。そうして鏡で見えた自分に「わぁ~」と声を漏らした。

「凄い。お化粧したら、こんな感じになるんですね……!」

「うん、僕はいい感じだと思うよ。衣装とも合うし、当日もこれでいいかな?」

「はい!」

 どうやら、秦景楓の腕を気に入ってくれたようだ。こうも喜んでくれるとした甲斐があるってモノだろう。

「秦景楓さんも、お化粧して行くのですか?」

「うん、変装になるからね。僕とか化粧なんて滅多にしないし、余計バレないんじゃないかな」

 そう言って、秦景楓はもう一つ用意していたメンズ化粧品のセットを見せる。

 正直レディースとメンズの何が違うのかよく分からないが、まぁ多分何かしらは違うのだろう。男女じゃ肌も違うのだろうし、成分の違いかもしれない。多分。

「素連、化粧落とすのも用意しているから、今日はもう落としちゃおっか。可愛くなれるのはそうだけど、あまり肌に良いモノではないから」

「そうですね。じゃあこれを使えばいいんですか?」

 素連はクレンジングのセットを手にして首を傾げる。

「そうそう。後、しっかり保湿もしてね。素連はまだ肌が強くなさそうだから、ケアはしっかりとしないとだよ」

 これも安物ではないから物凄く肌に悪いという事はないだろうが、良いか悪いかで言えば悪いだろう。加えて少女の肌は柔い、しっかりケアしないと荒れる事も否めない。

「あと、もしこの後肌が荒れたとか痒くなったとかあったら遠慮なく言ってね。買い換えてくるから。折角オシャレしたのに、肌が悪くなるようじゃ本末転倒だからね」

「はい、わかりました。じゃあ、とりあえず一回落としてきますね。ちょっと、勿体ないですけど」

「ははっ。気に入ってくれているようで嬉しいよ。何、またいつでもやってあげるから」

「ありがとうございます! 嬉しいです!」

 今回と言い、料理を教わってくるあたりと言い、やはり年相応の女の子だ。

 まだ二十にも満たない娘だ、下女として働く事で青春を経験出来ずにいると言うのも容易く想像できる。だからこそ、身分が剥奪されるようなモノのこの冷宮で、垣間見える年相応の女子としての顏がなんとも愛らしかった。

(いいな、若いって……)

 自分もまだ若いのに、そんなおじさん染みた事を思ってしまう。しかし、自分もまだ若いんだと気を取り直して、鏡に向き直る。

「さてと。自分の肌に合うかも試してみるか……」

 肌との相性は重要だ。秦景楓は自分用に用意したそれを手に取って、軽く手の甲に乗せてみた。

(色合いは悪くないかな。特に触れて直ぐに異常は出ない、っと。まぁ、出たら怖すぎるんだが)

 秦景楓は肌が強い方だ。乾燥にも刺激にも強い。男と言うのもあるが、長年孤児として培った強度と言えばいいだろうか。ちょっとやひょっとで肌を痛めているようじゃ生きていける環境じゃなかったから、それに適応した結果強くなったのだ。そんな肌に一瞬にして異常を起こさせる化粧品となれば販売は出来ないだろう、恐らく毒が含まれている。

(スペースがそんな危険物寄越してくる訳がないからねぇ。任務として、僕に死なれちゃ困るだろうし)

(うん。肌の馴染みも良い感じ。結構いい奴じゃないこれ?)

 手を上げて照明に当ててみる。秦景楓は化粧品の良し悪しを理解した男ではないが、これは肌触りもよく質の良さそうな気配がある。

(うん、とりあえず問題はないね)

 甲に塗ったモノを手っ取り早くシートで落とし、丁度よく戻って来た素連に「お帰り」と振り返る。

 少し時間がかかっているなと思ったら、どうやら服も着替えて来たようだ。見慣れたいつもの服を着て、先程の衣装を両腕で抱えてきていた。

「今日はありがとうございます。迎秋祭、行ってみたかったんですけどそんな機会はなくて……誘ってくれてありがとうございます! 当日、楽しみにしていますね」

 目を細めた彼女は、ほこほことしている。そんな表情にを見るとなんだか秦景楓も嬉しくなって、無意識に頬を緩めた。

「喜んでくれて何よりだよ。どうせだから、儀式だけじゃなくて屋台とかも見に行こうか?」

「見たいです!」

「よし、決定。僕も楽しみにしてるよ」

 祭りの日の予定を決めると、素連はそのまま自分の女院に戻って行った。

 祭りまで残り三週間程だ。それまで出来る事と言えば、季節の移り変わりに体調を崩さないように注意している事と、楽しむ気持ちを溜めている事だろう。

(どうせなら、簫司羽とも屋台回ったりしたかったけど。ま、「皇帝様」だもんな)

(友達とお祭り……したことないんだろうな。まぁ、僕もないけど)

 それとこれとはまた別の意味合いだが。なんとなく想像して、出来たらいいのにと望んでいた。

 まぁ、彼の身分が身分だ。今後一切、不可能だろうが。


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