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【第十九章】夜中に旦那の部屋に行かない方が良いかもしれない

 その日の夜の事だ。

「どうしよ、どうやってポイント稼ごう……」

 秦景楓は、自室の机でポイント履歴を見ながら頭を抱えていた。

 今までプラスしか存在していなかったのに、突如現れたマイナスという要素は、彼の長所である前向きさやら切り替えの早さやらを全て一時停止させていた。

 問題は、進捗ポイントのみの換算だからだ。もしこのマイナスポイントが、編み物やら彫刻やらの作品で挽回できるのなら良いのだが、進捗ポイントのみで計算した合計なのだ。

「マァジでトラップだってそれぇ! 説明不足っ、全部が説明不足! 最初から一から十まで教えた上で結ぶのが誠意ある契約ってモンだろ!」

 怒られてしまった。確かに、ポイント換算についての説明は不十分だった。クリア判定されるポイントが進捗報酬だけとは言わなかった状況で、その他の方法でもポイントを稼げると説明させたから、当然の勘違いだろう。救済処置とは言ったんだけどな。

 システムの調整が必要かもしれない、まぁ、今後使う事があるかは分からないが。

(簫司羽からのポイントは、簫司羽の好感度を上げないと稼げない……もうこうなったら、簫司羽に会いに行こうかなぁ……壁通れるようになっていたし。ワンチャン行けるかなぁ。けど護衛がなぁー!)

 どう考えたって、簡単に会いに行ける存在ではないのだ。しかし、イチかバチかやってみるしかないかもしれない。

「動かなきゃ、状況は変わらないしな」

 秦景楓は顔を上げ、小さく息を吐く。このまま「でも」「だって」と言い訳を連ねていると、その内本当に取り返しのつかない事になる。

 その時、時刻は夜の九時。いつでも寝たっていいが、寝るには早い時間だ。ポイントについての詳細が発覚する前は、少しでも稼ぐ為に彫刻やら編み物やら絵描きやらしていただろう。しかしそれも実際はあまり意味が無かったと知った後は、やる気が失せてあまり手を付けていない。

 秦景楓は椅子から立ち上がり、部屋の外に出た。

 設定資料集の地図は頭に入っているから、王宮全体がどういった配置になっているかは大体頭に入っている。秦景楓の寝宮までの道も、大体把握している、道自体は簡単だろう。

 一旦亭の屋根に飛び乗り、伝って宮の屋根に乗る。そうしてから壁を越え、後宮の内部に入った。深く、小さく息を吸い、気配を極力沈めるように意識を集中させる。禁衛に注意をしながら、足音を立てぬようにそっと後宮を渡り、閉ざされた門を抜ける変わりに壁を飛び越える。

 久しぶりのアクロバティックな動きは多少体にも来るが、それ以上に気持ちがいい。このまま駆けていたい所でもあるが。それはまた今度にしよう。

(この辺りが、秦景楓の寝室だよな……この時間だと、まだ執務室にいる可能性もあるかな。忙しいだろうしな……)

 何と思いながら、壁で体制を落としてきょろきょろとしている。そうしていると、突如灯りが通りかかる気配がし、慌てて身を隠そうと気配を消す。

 見れば、灯りを持って夜道を見回っているのは、どこかで見覚えのある奴だった。

(ん。あの人、確か祭りの時に簫司羽の隣で控えていた……確か、李公公とかだったっけ……)

 そう、李公公だ。簫司羽の御付の。

(夜まで見張りですか、大変だなぁ……って事は、簫司羽はもう部屋にいるのか?)

 考えながら、李公公が通り過ぎるのを待っている。

「秦景楓殿。降りてくださって大丈夫です、捕らえたりはしません」

 していると、丁度真下の位置に立ち止まった李公公が声を掛けて来た。しかも名指しで、しっかりと秦景楓に視線を向けている。

 一先ず敵意はなさそうだと、彼の言葉を信じて降り立つ。

「よく気付きましたね。結構気配消してたつもりなんですけど……」

「いえ、私は特別気付きやすいので。並の者でしたら分からなかったでしょう」

「簫皇帝なら中にいます。どうぞ、お入りください」

 李公公は手で簫司羽の部屋を示し、入っていいと告げた。

 思ってもみなかった対応に、秦景楓は一瞬だけ頭を固まらせ、理解が追い付いた途端に「え」っと声を漏らす。

「え、良いんですか?」

「はい、問題ございません。簫皇帝より許しが下りております」

 李公公の態度を見るに、嘘や冗談でもなさそうだ。まずそう言うのを言う質ではなさそうだし、ここは信じていいだろう。

(簫司羽、僕の事この人に話したのかな……? まぁ、入れるなら何でもいいか)

「じゃあ、お邪魔しますー……」

 緊張気味になりながら、そっと中に入る。部屋に入ってすぐ、簫司羽の姿はそこに見えた。まるで来る事が分かっていたように、二人掛けの柔らかそうな椅子に足を組んで座っている。

 背後から控えめな音が聞こえた、きっと李公公が扉を締めたのだろう。

 どうしてか、罠に引っかかった野生動物のような気持ちになったが、これは友人の家に遊びに行っただけに過ぎない。

 跳ねた心臓を意識で押さえつけて、秦景楓は笑みを浮かべる。

「簫司羽、ちょっと久しぶりだね。元気してた?」

「あぁ。俺は問題ない」

 座れと言わんばかりに隣の座面を叩き、真っ直ぐとした目を向けてくる。促されるままそこに座り、簫司羽を見る。相変わらず作り物のように整った横顔は、男であろうと惚れさせる事が出来るであろう。

 見ていると自然と目線が合ってしまい、気まずくなった秦景楓はそっと顔を背けた。しかし、簫司羽がそれを許してくれなかった。頬を持たれ、半場強制的に眼を合わしてくる。

 流石に、この行動には秦景楓も度肝を抜かれたようだ。整った顔が眼前に迫り、反射で身を引く。

「しょ、簫司羽? どうした?」

「どうしたは俺の言葉だ。お前からここに来るとは考えてなかったぞ。何かあったのか?」

 無に近しい表情だが、そこには心配が含まれている事に、秦景楓は気付いていた。

(あーこれ、冷宮で悪い事あったから簫司羽に言いつけにきたんじゃないかって思われてるなぁ)

 察するにそういう事だとう。しかし、何かあったから会いに来た訳ではない。正確に言えば、ポイントがマイナスされ始めていると言う「何か」はあったのだが。簫司羽に馬鹿正直に相談するような事ではないだろう。

「あ、そう言うのじゃなくてね。ただ、ちょっと……会いたくなって?」

 こてんと首を傾げ、苦笑を浮かべる。狙っているような仕草だが、決して狙ってはいない。

 そんな秦景楓何を思ったのか、簫司羽は真顔のまま手を放してやった。

「成程な」

 会いたくなったと言われ、どことなく嬉しそうに口角を上げた。そんな反応に好感触を覚えた秦景楓は、もう少し押すかと、手を触れ合って体を寄せてみる。

「ねぇ簫司羽、仕事はどう? 皇帝の仕事って、僕は想像出来ないけど、結構大変なんじゃないの?」

「ま、そうだな。つまらん作業だ」

「ははっ、つまらないか。まぁ仕事なんて大概、面白くはないよね」

 ド直球な答えに共感してやりながら、今頃ポイントはどうなっているかを頭の片隅で気にしていた。

 簫司羽はあまり表情を使わないが、嫌だと思った事はしっかりと態度に出るタイプの人間だ。邪険にしてこないという事は、この攻め方は悪くはないのだろう。

「そう言えば、お前。この前の儀式に巻き込まれてたな」

「あ、気付いた? そうなんだよね、ちょっと振られちゃって。つい」

 そりゃ気付かない訳がないだろう、あれだけ目立ったのだから。しかし、いざ見たと言われるとむず痒くて、微苦笑を浮かべて頭を掻いた。

「どうだった? 僕、割とかっこよく出来てたかな?」

「あぁ。良かったぞ」

「それは良かった! ははっ。言ってくれたら個人的に見せてあげるよ。剣さえあれば剣舞は出来るし、無いなら普通の舞でもさ」

 好感度狙いではなく、これもまた素だ。秦景楓は、純粋に会話を楽しみ出していた。

 ニコニコと笑顔を浮かべながら告げると、一瞬にして簫司羽の表情がほんの少し意地悪になった。

「なら、今見せて貰おうか」

「え? い、今ぁ?」

 まさかここで振られるとは思っておらず、変な声が出てしまった。

「今、直ぐだ」

 これまら、突然の殺陣と同じくらい無茶振りのように思える。しかし、舞はいつでもどこでも出来る芸ではあるのだ。まぁ、音楽を考えなければだが。

「わ、分かった。じゃあ、しっかり見ててよね」

 腰を上げ、簫司羽の前にある空いたスペースに立つ。これだけのスペースがあれば、軽い舞なら出来るだろう。久しぶりの事で少々緊張するが、友達に練習を見せている気持ちで行こう。

 心の中でカウントダウンをし、一と同時に律動を開始する。

 秦景楓の舞は、言えば曲線的な美しさを意識した静と動だ。直線的な、言えば漢らしい方も出来なくはないが、こっちの方が得意ではある。どうせ皇帝様に披露するなら、得意な方がいいだろう。

 王宮に行くからと、良さげな物を着て来たとは言え、動きやすさ重視の服に揺れ者は少ない。しかし、それでも相応の見応えを演出出来ていた。これは彼の人一倍ある才能を基礎とした、努力の結晶である。

 数分の演舞を終え、秦景楓は一息と共に体の力を抜く。

「どうだった?」

 伺ってみると、簫司羽は見るからに上機嫌そうだ。

「良かった。中々腕がいいな、秦景楓」

「お気に召したのなら何より。見せた甲斐があるってもんだよ」

 しっかりと表情通りの感想に、ホッと安堵の息を突く。元座っていた位置に戻ろうとすると、簫司羽に腕を引かれ、体は彼と対面するような形で膝に乗った。

 この前の二度寝の件と良い、突如として強引さには咄嗟の対応が出来ない。ビックリしながらも、向かい合った簫司羽と顔を合わせる。

 回された腕が強めに腰を押さえつけ、まるでこのまま動くなと言わんばかりだ。

「ん、ん? どうしたの、簫司羽……?」

「ちょ、何か言って。無言は怖いから!」

 何も言わずにただ上機嫌に笑っている簫司羽。肩を揺らして訴えかけると、彼はふっと一笑を零したが、その手に秦景楓を逃がす気配はない。

「これから夜が更けると言う時間に、夫の寝室にノコノコやって来るなど……誘っていると思われても無理はないぞ?」

 その言葉で、秦景楓はハッとした。これから本格的に夜が始まる時間、そして己の身分、これらを考慮すれば、解は自然とそれになる。

 そう、この状況は宛ら、夜這に来た妻だ。

「さっ――いや、時間はたまたまで、別に他意は無くて! 僕は本当に、ただ友達とおしゃべりしに来ただけなんだ」

 慌てて弁解をするが、恐らくもう、その気にさせてしまった事だろう。

「夜伽だ。相手をしろ」

 見据えたその瞳は、まるで獲物を前にした理性的な獣だ。

 そう言う事かと、秦景楓はこの部屋に入った途端に感じたモノが何かを察した。きっとこういう気持ちなのだろう、のうのうと歩いていたら罠に掛った兎は。

 しかし、どうせ任務で簫司羽の攻略を進めなければならないのなら、こっちの方が好都合だろう。

「分かった。痛く、しないでね?」

 簫司羽の首に手を回し、赤くなった顔を隠すように告げる。

 なんら可笑しい行動ではない。秦景楓は男妃、皇帝の一夜に付き添うのは普通の事だろう。



 これまた、朝チュンだ。

(あー、やっちゃったぁ……まさか、マジで簫司羽の寝室で一夜明かすとは……ちょっと話したら直ぐに帰ろうと思ったのに)

 自己反省と昨晩の自分への恥ずかしさから、顔を覆う。

 簫司羽は同じ布団の中で寝ている。しかも、背後から割としっかりと抱き着かれているお陰で、先に寝ている彼を残してそっと出ていく事は出来なさそうだ。試しに起き上がろうと体を動かしてみたが、やはりこの男、力が強い。

 しかし、これ程の引力があるという事は、きっと此奴は起きていると。そう思った秦景楓は、体の向きを変えて声を掛ける。

「簫司羽、簫司羽。僕、そろそろ戻らないと……鶏に餌やらないといけないし、畑の世話もしないとなんだ」

 これは、毎日欠かさずやらなければならない作業だ。腰は若干痛みがあるが、体に鞭を打てば冷宮に戻るくらいは出来るだろう。

「安心しろ、人を向かわせた。鶏の世話だろうが農作業だろうが、アイツは出来る」

 やはり簫司羽は起きているようで、寝起きの少ししゃがれた声で答えた。

「もしかしてあの人? 黒装束着てた」

「あぁ、俺の護衛だ」

「護衛になんて事を……」

 どう考えたって護衛の仕事ではないが、主人の命令だからせざるを得ないのだろう。後で謝罪の菓子折りでも用意しておくべきかもしれない。そんな事をぼんやりと考えていると、簫司羽の手が服の隙間に突っ込まれる。

 ひんやりとした感覚に、ヒャッとあまり出ない声が漏れる。

「ちょ、簫司羽。変な声出ちゃったじゃないか」

「別の男の事考えるお前が悪い」

「もぉー、嫉妬深い彼氏じゃないんだから。別の男って大袈裟な、じゃあ女の子ならいいの?」

 冗談半分、興味半分で尋ねてみる。素連と話している時は、そんな嫉妬のような素振りは見せてこなかったが、さてどうだろうかと。

「時と場合による」

 帰って来たのはそんな万能な言葉で、秦景楓は「そっか」と笑って返した。

(この程度の嫉妬なら、可愛いもんだよなぁ……)

 嫉妬というのは、常識と面倒じゃない範囲内であれば可愛いモンなのだ。そこには相手への好意という絶対条件があるのだが、好いていなければ体を許す事はないだろう。秦景楓の「何でもします」の売り文句に、春が含まれた事は一度だってない。

(これが惚れた弱みってやつか)

 簫司羽は目を瞑ったまま、まるで寝た振りをしている。放してくれる気配はない。秦景楓は感じる体温に身を寄せ、どこか彼が生きている事に安堵する。

 脳裏に過る、母の最期の姿。彼女もまた、ベッドの上で目を閉じ、静かに眠りに付いた。まだ少しだけと儚い希望を持って懐に潜りこんでも、どんな時でも安心出来たぬくもりは既に冷え切っていた。

 だが、簫司羽の体には温かさがあり、鼓動の音がある。抱きしめてくる腕には力が入っていて、こちらも相当頑張らないと抜けられなさそうだ。

(「好き」なのかな……これが……)

 秦景楓は、もう少しだけと目を瞑る。朝の日課も変わりにやってくれるそうだし、問題はない。今日くらいはサボっても許されるだろう。


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