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第二章 西方への旅路

第1話:最年少の新入生

 十五歳となって成人を迎えた春――、カロルはそれまで暮らしていた村を離れて帝国城下街に建てられた軍人学校に入学した。


 彼の家は代々農家であったが、村の中では一番身体が大きく、かつ力自慢であった彼にとって、軍人学校への入学を許されたことは喜ばしいことだった。


(俺はいつか帝国軍の将軍になってやる)


 若い彼が野心に燃えることは必然であり、彼はそれができると信じて疑っていなかった。そんな時だ、灰色の髪の少年、ジンと出会ったのは。


「こ、こんなに新入生っているんだ……」


 どこか気弱そうな、どこにでもいるような普通の少年。


 とりたてて身体つきが大きいと言うことも無く、これと言った特徴も無い。だが少年も新入生である事は間違いないのだろう。


 小柄な彼の身の丈に合わない大きめの軍人学校の制服を着て、明らかに不安そうにキョロキョロと周囲の様子を伺っていた。


(どこかの田舎者か? いや、見た目で判断をするのは悪い癖だ。剣の腕は知らないが、強力な魔法を使えるのかもしれない)


 明らかに浮いているジンを侮りそうになるが、何も剣だけが軍人に求められる素養では無いと、カロルはジンを観察していた。


 そして知ったのは、彼が第三皇女の特別推薦枠で軍人学校へと入学を許されたと言うこと。期待値だけで言えば、ジンは学校の中の誰よりも将来を有望視されていたのだ。


 誰もがジンの立場を羨み、おそらくはジンはこの中の誰よりも優れた軍人になるのだろうと誰もが思っていた。


 しかし、ジンが学校の中で尊敬や羨望の眼差しを向けられていたのは入学して数日だけ。一週間もすれば、誰もがジンが入学を許されたのは何かの間違いではないかと考えるようになっていた。


「たぁっ!」


 訓練場に響く幼い声。模造刀を手に地を蹴ってカロルに向うジン。


 しかし、カロルが溜息を吐きながら彼の振るう遅い剣を交わして軽く足をかけて転がせば、ジンはそのまま強かに身体を打って、剣を手放してしまう始末。


 魔法の実践の場では殆どの生徒が水の弾を的に命中させる中、ジンは水の弾を形成することすらできずに水浸しになってしまう。


 座学の授業は真面目に受けてこそいたが、ようやく文字を読める程度のジンの成績は平均よりも少しは上といった程度。


 明らかに彼の能力は軍人学校の最底辺であり、何らかのコネや賄賂を送ったのではないか? 第三皇女の不興を買って嫌がらせとして入学させられたのではないか、などと噂が広まるのにそう時間は掛からない。


 噂が広まりきれば彼は劣等生とレッテルを貼られて、もうジンに関わろうとする生徒すらいない。


 入学当初は将来の為のつなぎと、彼と一緒に食事をとっていた生徒も彼と距離をとるようになり、食堂でも彼が一人でいる姿をよく見るようになっていた。


 だが、カロルを始めとした多くの生徒は、まだジンの本当の能力を大きく見誤っていた。ジンの本領は実践的な剣術や魔法では無かったのだ。




 軍人学校に入学してから半月が経ち、実践形式として演習場に集まったカロルを含む百人程度の生徒達。彼等は各二十人程度の分隊に別れ、分隊同市の実践演習を行う事になった。


「あ、あの……よろしくお願いします」


 その中でカロルがジンと同じ隊になったのは全くの偶然。しかし、カロルや同じ隊になった生徒達は明らかにハズレを引かされたと思った。


 小規模の分隊同士がぶつかり合う演習では人数差が有利不利に大きく関わる。


 ジンの剣や魔法技術は並以下で人数に数えられないのならば、彼の存在はハンデでしかない。


 ジンは少しでも周囲とコミュニケーションをとろうと愛想良くしていたが、彼に優しく接する者はいなかった。


「とりあえずは俺達が先行して様子を見る。敵を見つけ次第各個撃破で良いだろう。ジン、お前は本陣の守りを頼む」


 それでもカロルはジンを遊ばせておくこともできず、ジンに本陣の守備という役割を与える体裁を取り、剣術に覚えのある生徒を数人連れて演習に望もうとする。


「えっと……、ちょっと待ってください」


 しかし、そんなカロルに待ったを掛けたのがジンだった。


「アリシナさん、いらっしゃいますよね。同じグループでしたから」

「え……? 私?」


 カロルに待ったを掛けた上に、分隊の中の一人の生徒を呼ぶジン。そしてジンは彼女に、精霊魔法を使って欲しいと言ったのだ。


「アリシナさんは風の精霊を使えましたよね? それで上空から情報を教えてください。できれば、相手の誰がどのあたりにいるのかを……」

「い、いいけど……。ジン君、よく私の精霊のこと知っていたね」


 アリシナがジンの指示に従って精霊を飛ばせると、同時にジンが本陣で地図を開き、その地図の上に幾つか小石を置いていく。


「何のつもりだ? さっさと攻めに行かないと、手遅れになるぞ」


 ジンが始めたことに対して、カロルや数人の剣士が苛立ちを見せる。しかし、精霊の集めた情報を元にジンが小石を置いていくと、ジンはハッキリとカロルに答えた。


「もしもカロルさんの行く方向に向うなら、たぶん魔法を使える人達の集中砲火を浴びることになります。こっちの様子を、たぶん観察されていますから。空にアリシナさんが飛ばしたように、僕達の動きを観察する精霊を飛ばしているのかも……」

「何……?」


 ジンの言葉に分隊内の魔法使いが警戒をすると、程なくして彼等が捕まえたのはアリシナが飛ばしたモノと同系統の風の精霊。


 ジンはそれを木箱に閉じ込めると、アリシナに敵分隊の風の精霊を装わせて、偽の情報を流すように操作したのだ。


 ジンの思惑に従って地図上の小石の場所が見る見るうちに置き換わっていく。


「こんな事で勝てる筈が……」


 その直後に起こった魔法を放たれた轟音。


 奇襲を受けたのかと、カロルが警戒体勢をとる。しかしジンは動じていない。こうなることが分かっていたとばかり、地図上に手を伸ばす。


「今のは何だ! 俺達に対しての攻撃じゃないのか!」

「いえ、たぶん敵同士の同士討ちです」

「このあたりは特に入り組んでいますから、この本陣に近付いて誰かいるとなれば、互いに相手が敵だと思いますよね」


 言いながらアリシナが精霊を飛ばせば、ジンの言った通り敵分隊の魔法部隊と剣士部隊が同士討ちをしてしまったらしく、剣士部隊に大きな被害が出たらしい。


 その報告にジンは地図の上から小石を幾つか取り除いていた。


「攻めるなら今ですね。ハネットさん、何人か槍の得意な方を連れて、建物同士が密接する小道を通って、この地点まで向ってください。但し、今度は最速で……。相手は今、同士討ちを怖がっていると思いますから、強襲が効果的です」

「あ、あぁ……」


 名前を呼ばれ、指示を受けた槍使いのハネットが頷きを返し、数人の生徒を連れて演習場を駆ける。


 狭い小道は剣士ならば剣を振るうことにも難しそうだったが、槍を得意武器とする彼等にとっては問題にならない。


 そして彼等が到着したのは魔法部隊の背後だった。


(ここまで予測して……?)


 ハネットが木造の棒を槍に見立てて強襲をかければ、魔法部隊は咄嗟の対応もできず、殆ど被害もなく敵魔法部隊の制圧に成功する。


 情報の処理と敵の各個撃破までの道筋を、ジンは示して見せたのだ。


「まさか……、今のはまぐれだろ?」

「アリシナの精霊がいなければ出来ない事だ」

「そうだな。ハネットの腕が良いからで、ジンの手柄では……」


 ジンの作戦を聞いていた剣士達がジンに聞こえないように言葉を交わす。しかし、実際にジンの指示を聞いたハネット、アリシナは今の状況の異常性に気が付いていた。


(確かに、俺達の魔法や剣技があったから作戦としては成功したのは間違いない。だとしたら、どうしてジンはアリシナの魔法や、俺達の力量を正確に把握していたんだ?)


 その後も演習ではジンの所属していた自陣が連勝を続け、カロルを含めた何人もの生徒達も、ジンの異常性に気が付いていく。


 ジンの指示は全てが相手の力量を正確に把握した上で、自軍に殆どの被害を出さずに地形や情報を武器に勝利に導いていたのだから当然だ。


「ジン……、お前、いつの間に俺達の魔法や剣技について把握したんだ?」


 目の前にいる十歳の少年に戦慄すら覚えながらカロルが問いかける。すると彼はたいしたことでも無いと言いたげな表情であっさりと答えたのだ。


「ここに来てもう半月ですからね。半月もあれば皆さんの動きを把握することは簡単です。カードが出揃って相手の手の内までわかれば、目を瞑っていても勝てますよ」


 屈託無い微笑みを浮かべる彼の言葉に、話を聞いていた何人かの生徒達がようやく気が付く。ジンが第三皇女に見いだされた理由を。


 彼は剣技や魔法を評価されて連れてこられたわけでは無い。情報を武器として戦局を読む才能。軍師としての必要不可欠かつ、天才的な才能を彼は持っていたのだ。


「なるほどな。次の演習が始まる。改めてよろしく頼むぜ、ジン」

「は、はい! カロルさん。よろしくお願いします」


 彼の実力を認め、ジンを軍師として認めたカロル。そしてこの年の軍人学校の中では、天才的な灰色の軍師が誕生したと生徒達の噂で話題に上がり、たった二年で実際の戦場へと彼は徴用されたのだった。


     ●


「と言うわけで、俺達の当面の目的はジンの確保と帝国軍へ戻るように説得することだ」


 フォルン領での騒動を終え、第三皇女にジンの近況を報告した帝国軍の中隊長であるカロル。


 そんな彼の目の前には今、魔導師の女性・アリシナと軍でも指折りの槍使いであるハネットの二人が表情を引きつらせていた・


「ジン君が軍を離れているとは聞いていたけど……。正気? あのジン君を捕まえるなんて、たった三人じゃできる訳無いと思うわ」


 漆黒のローブを纏い、長い赤髪を揺らしたアリシナ。精霊魔導師として評価された彼女は今や、戦場では幾つもの精霊を使役して、敵軍の索敵や支援攻撃を行うエキスパートの一人だ。


 女性としての丸みを帯びたプロポーションは二十代後半になった今も瑞々しく、いっそ母性すらも感じられるほどに魅力的だ。


「だいたいの居場所は分かっているんだろうな? そもそも会えなければどうしようも無いぞ」


 カロルに訊ねたのは軽装の武具を着けたハネットだ。両手剣をもつカロルに対して、彼が手にしているのは長い槍。金色の髪を一結びにした彼はやれやれと肩を竦めてみせる。


「その辺りは第三皇女様に協力を得ている」


 言いながら、ジンの予想される行動を記したメモを見せるカロル。しかし、それを見ても二人の表情は優れない。


「皇女様の協力が得られるなら、どうして追いかけるのが私達三人なのよ。ジン君は剣の腕や魔法の才能は無いけど、本気で捕まえる気があるなら、中隊を引き連れて行きなさいよ」

「俺だってアリシナの意見に同意見だよ。ジンが本気で逃げに回ったら、たった三人ではあっさりと欺かれるのがオチだ。だが第三皇女様からは、ジンのことを知っている少数精鋭で迎えとの命令だ」


 三人はジンが本気になった時の恐ろしさをよく理解している。だからこそ三人人だけでは不可能だと考えるのだろう。


「いいや。この三人だからこそ、ジンを捕まえることができるんだよ」


 しかし今、そんなカロルとアリシナに異を唱えたのは、今回のために呼ばれた同期のハネットだ。


「ジンの優秀さや異常性をよく理解しているのは俺達だろ。何も知らない奴らに任せればジンを捕まえることは不可能だ。中隊どころか、大隊で追いかけても、情報戦で混乱をさせられるかもしれんし、人数が多くなればなるほど、こちらの動き出しが遅くなって追いかけることは困難になる」


 ハネットの言葉に納得するカロルとアリシナの二人。


「わかったわよ。まぁ……、ジン君を放っておけないのは、同じ気持だし、同期の私達が説得した方がまだ成功率が高いわよね?」


 遂にアリシナが折れて、ハネットも同意するように頷くと、三人は急いで帝国首都を後にする。時間が経てば経つほどに、ジンの足取りを追うことが難しくなることは分かっていたからだ。


「それで最初はどこに向うの?」

「フォルン領と西方を直線距離で結んだ場所に大きな街がある。竜の山を目的地にジンが行動をしているなら、この街を通らないわけには行かないだろ?」


 馬に乗った三人がまっすぐに西の街へと向っていく。


 帝国ではジンの知らぬ間に、彼を帝国軍へと引き戻す動きが始まっていたのだった。

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