何もかもが上手くいき過ぎている――、それがジンにとっては不気味に思えた。結界の中で支配から逃れているミラと共に過ごしながら、ジンは一つの可能性を考えていた。
人の肉体の支配権を奪うような黒い靄。
ジンと一緒に過ごしていたクロは、結界の中ならば、その靄が薄くなっているとは言っていた。しかし人を操る呪いは、果たして薄くなったことで本当に支配から解放されるのだろうか?
もしも解放をされないとしたら、どうして結界の中ならば大丈夫だ思わせているのだろうか?
(決まっている……。何か目的があるとするなら、ギシアの最終的な目標は俺とキャトリン様を確実に操る為だ。俺に間違った情報を与えたことで、ギシアは何を企む? もしも結界が張られてさえいれば、誰も操ることができないとするなら、普通ならどうしていた?)
ジンのそんな想像はアリシナが答えを出してくれている。
もしも結界が張られていれば、傷を負ったとしても大丈夫だとすれば、きっとジンやキャトリンは街を囲うような結界の中にギシアを閉じ込めた上で、帝国軍の総力で彼を撃破しようとしていただろう。
そう――、帝国の戦争は正面から相手を叩き潰すことこそが正道だと有力貴族達が口々に言っていた事を思い出す。
ジンやキャトリンの二人はそんな貴族達の言葉は損害を大きくするばかりで必要であれば計略も必要だと理解している。しかし、ギシアはおそらくはジンが正々堂々、自分を叩き潰す為に大部隊で自分を迎え撃つはずだと思っているだろう。
何故ならギシアは、多くの有力貴族の言う通り、正面からの戦争によって侵略し、敵から全てを奪うことを至上としてきたからだ。
(なら……、もしも俺がギシアの思惑通り動いたとしたら……)
大部隊を率いてジンがギシアの骸兵達とぶつかった後を想像する。結界は役にも立たず、一人、また一人とギシアの骸兵の中へと取り込まれていけば、最後には自分もキャトリンも、ミラやクロさえも帝国を侵略する為の死者の軍勢の中へと組み込まれるだろう。
ならばどうする? ジンは敵の戦力を地図上で見ながら思案を巡らせる。
脅威となっているのは、ギシアが数え切れない程の骸兵を連れていることだ。ならば、彼と骸兵を分断することがギシアを討つ為の最低条件だった。
………………。
「何だ! これは……何で、こんな策がぁぁっ!」
空中へと浮かび上がりながらギシアが咆哮する。
帝国軍人の軍服を着せられた多くの囮に死者の軍勢が群がった瞬間、中州の中央が地下から突然爆発し、崩落を始めたのだ。
「あなたが元々いた場所を利用させて貰ったんだ」
アリシナの精霊魔法で爆発に巻き込まれないように逃れていたジンが激昂するギシアへ答える。ギシアは怒りで顔を赤くしていたが、対するジンは思った通りとばかりに自信の笑みを浮かべていた。
「元いた場所に戻す? たった一発の爆発で、骸兵全てを吹き飛ばせるとでも思ったのか。俺の操る骸兵は、この程度では無い!」
ギシアの言う通り、中州の中央で起こった爆発で吹き飛んだ骸兵は全体の十分の一にも満たないだろう。だが、ジンは最初から爆発で全てを吹き飛ばそうとは思っていなかった。
「俺が持ち込んだ炎の魔石はな、キャトリン様に切られたあなたが辛うじて辿り着いた、中州の地下水道に仕掛けさせて貰ったんだ。
元々、コロシオの中州は交易でのやり取りを管理する為に、地盤の緩い土地の上に多くの建物を建て、水路での排水などをする事によって、ようやく今の状態を維持しているんだ。なら、その中州を維持させていた地下水路を失えばどうなると思う?」
言いながらジンが地上を指させば、中州の中央に向かって運河の水が流れ込んでいく姿が見える。
崩落によって中州の中に流れ込む水の量は大きく、意志を持たない骸兵は中州の中央に流れる水に押しこまれて、次々と沈んでいった。
「ギシア……、もうあなたのを守る壁はない!」
「なっ……、あぁぁっ!」
多くの手駒を失った事に動揺するギシア。
アリシナの力を借りながら、ジンは懐から杖を取り出すと。彼の持つ杖の先から土の槍が形作られる。
「ば、バカにするなぁぁぁっ! この程度で俺がぁぁッ!」
ギシアが怒りの表情でジンとアリシナの二人を風の魔法で切り裂こうとする。しかし、咄嗟の行動で使った彼の風の魔法はあさっての方向へと逸れて、ジンを傷つけることはできない。
それも当然だ。
ギシアは魔法での戦闘を教え込まれた軍人でもなければ、兵士でもない。あくまでも彼は王族だったのだから。
ジンの使った土の槍はアリシナのサポートを受けて、ギシアの身体を貫く。瞬間、彼の身体が折れ曲がり、彼の骸がボロボロと崩れていく。
「灰色の軍師が……、また俺を阻むのか……」
「悪いな。俺はもう軍師をやめたんだ。今の俺にとってはあなたが引き合わせてくれた子竜の幸せと……、放っておけない貴族令嬢が全てだ」
白骨とも灰とも言えない何かに崩れていくギシアの身体は、今まさに骸兵と共に沈んでいく中州と共に沈んでいく。
そして陣の目の前に残ったのは、今回の全ての元凶。それは陣の目にもハッキリと見える靄を纏った一体の悪魔だった。
「ジン君、こいつが……!」
「わかってる! 逃すなよ!」
「アアァァァァァァァァァァッ!」
依り代としていたギシアを失った事によって悪魔は咆哮を響かせながらその場からの逃走を図ろうとする。しかし、中州を取り囲んでいた光の檻が縮み始め、悪魔の退路を阻んでいく。そして――、
「ミラを返して貰う!」
ジンがもう一度魔法を使えば、彼の土の魔法が靄の中心を捕らえて、悪魔の姿もまたボロボロと崩れていく。
「俺が……、俺がまた……人間なんかに……」
ギシアと同じように崩れていく悪魔。もう数秒もすれば、悪魔が滅ぶのは確定的だった。
「だが、負けたが……俺の復讐はなった……」
しかし、悪魔は滅ぶ間際にジンを睨みつけながらニヤリと嗤う。そして悪魔は滅ぶ間際まで二人を前に哄笑を響かせていたのだった。