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10-11 紫目と金色のオッドアイ

 葉室家本家の屋敷の地下には、独房が設えてある。

 そこにメイドがやってきて、当直の看守に書類を渡すと、彼は持ち場を離れどこかに行ってしまった。

 メイドは独房を覗き込む。そこには膝を抱えて座りこむ万智子がいた。

 服は汚れ、髪は乱れ、それでも見覚えのある紫目だけは、らんらんと輝いている。

 メイドは外から鍵を開け、独房の中に入った。驚いた拍子に立ち上がった万智子は、そのメイドの顔を見て紫目をさらに大きくする。


「あなた……どうしてここに?」

「脱いで下さい」

「え?」

「いいから全部服を脱いで、裸になって下さい」


* * *


 一方。

 久右衛門の私室では、門番に立つ二人を除いた三人のPBが椅子を運んだり、コレクタをロープで椅子に縛ったり、万能薬精製の準備が急ピッチで進められていた。

 部屋の中央には、五角形を描くように五脚の椅子が置かれ、その内四脚にみひろ、夏美、リーラ、ミセリが座っている。四人とも目を閉じぐったりした様子で、先ほどの催眠ガスで眠らされているのは明らかだ。たとえ今目が覚めても、ロープで椅子に縛りつけられているため逃げる事は不可能だろう。

 やがて久右衛門のデスク手前の空席を残し、準備は整った。

 四脚の椅子にはコインを身に着けた四人の蒐集家コレクタが座り、最後のコレクタ・有海万智子が空席に座れば、いよいよ万能薬精製が始まる事になる。


「失礼します」


 扉が撤去された部屋の入口に、葉室家のメイドと彼女に連れられた女性――ぼろぼろの服とぼさぼさの髪、地下独房に拘留されていた有海万智子が姿を現す。

 PBの一人に万智子を引き渡したメイドはその場に留まり、もじもじと久右衛門を盗み見ている。


「どうした? もう帰っていいぞ」


 PBの一人に促されるも、メイドはその場を動こうとはしない。

 デスクに座る久右衛門に潤んだ瞳を向け、意を決したように訴えかける。


「あのっ! ご当主さまに折り入ってお願いがございます!」

「お前は……八雲の専属メイド、上村亜由美だな? どうして儂が頼んだメイドと、違う者が連れてくる?」


 財閥総帥の威圧感ある声に、びくんと大きく肩を震わせるも、亜由美は必死に声を張る。


「久右衛門さまに陳情するため、無理を言って代わってもらいました。どうかお願いです。八雲さまをお許しになって頂けませんでしょうか?」

「使用人が主人に意見するのか?」

「いえ、滅相もございません。これはあくまで、お願いでございます」

「八雲に命令されたのか? ヤツはどこにいる?」

「八雲さまは……一時的に身を隠しておられます。その居場所は私も存じ上げません」

「そんなはずはない。八雲が大講堂を出るには必ず使用人の協力がいる。専属メイドのお前が知らないわけがない。もういい、捕まえておけ」


 久右衛門は顎でPBの一人を指し示すと、彼は亜由美の左手首を握った。

 強い力で引き寄せられると亜由美は怯えた表情から一転、憤怒に満ちた瞳で男を睨みつけ、ポケットから取り出した黒い箱を男に押し付ける。


「ぎゃああっ!」


 バリバリと、稲光る電気スパークが炸裂すると、男は膝から崩れ落ちた。

 亜由美は決然とスタンガンを構え、残る二人のPBに対峙する。


「なっ! このアマ!」


 立て続けに、二発の銃声が響いた。

 万智子を捕えていたPBと、亜由美を迎え撃とうとしたPBが同時に倒れる。

 彼らの背後では、万智子が両手で拳銃を構え、その銃口から硝煙を漂わせていた。


「てっ、てめえら! ふざけるなっ!」


 銃声を聞きつけた門番二人が部屋の中に飛び込んでくると、天井四隅のうち手前二つが真四角に切り抜かれ、二人の男女が落ちてくる。藍海とジルコだ。

 二人は間髪入れず門番PBに飛び掛かると、拳銃はもちろん、背広やベストを切り刻み、ナイフやその他武装をスリ取った。ついでとばかり防刃防弾チョッキをズタズタに切り裂くと、奪った銃を突きつける。PB二人に残された選択肢は、悔しそうに両手を挙げる事だけだった。


 一瞬でPB五人を制圧された久右衛門は、万智子に銃口を向けられる。


「おまえ……万智子ではないな!」


 久右衛門が叫ぶと、ボロボロの服を着た女はボサボサのウィッグを脱ぎ捨てる。

 そこには、長年の男装で鍛えた特殊メイク技術を持つ探偵助手・井原伊織が立っていた。


* * *


 伊織さんの作戦は完璧に決まった。


 久右衛門さんから依頼されたメイドから連絡をもらうと、有海万智子ママに変装した伊織さんを、メイド服の亜由美さんが連れていく。

 もちろん久右衛門さんは、亜由美さんが八雲さん専属メイドだと知っている。バカ正直に八雲さんの安全を訴える彼女を捕らえ、その居場所を吐かせようとするはず。そこでメイド相手に油断したPBを、亜由美さんの奇襲スタンガンで倒す。残り二人が亜由美さんに向かっていけば、背後から伊織さんの銃でヘッドショット。ゴム弾でPB二人を無力化できる。

 残る門番二人が部屋に入ってきたら、噴出口を設置したダクトに侵入した私とジルコが、天井を金爪で切りつけ自重で落下。二人の武装をスッて無力化する。

 これでPB五人、全員制圧できって寸法だ。


 少数精鋭が仇となった久右衛門さんは、孤立無援となった。

 万能薬を諦めてくれるならそれでよし。そうじゃなくても、老人一人なら拘束するのは容易いはずだが……。


「だからお前たちは、浅はかだと言っておるのだ」


 伊織さんに銃を突き付けられたまま、久右衛門さんは机上のタブレット端末を私たちに向けた。

 それは定点カメラの映像で、介護用ベッドが二つ並んで映っている。

 ベッドに寝てるのは――私のパパと、依子さん!? パパはともかく、どうして依子さんが!?


「儂にもしもの事があれば、二人の生命維持装置を停止する手筈になっておる。言ってしまえば人質じゃ。分かったらその銃を下ろせ、伊織」


 伊織さんは下唇を噛み締めて……ゆっくりと銃を下ろす。

 私とジルコが、じりじりとみひろたちに近付こうとするも――、


「おっと、動くなジルコ、藍海。お前たちがコレクタの拘束を解こうとすれば、どちらかの生命維持装置を停止する。どちらが先が、いいのかな?」


 めざとく久右衛門さんに気付かれ、みんなの拘束を解く事もできない。


「パパはともかく……依子さんは久右衛門さんの娘でしょう? その娘を人質に取るなんて、それだけは人として、やっちゃいけない事なんじゃないの!?」


 思わずがなる私に続き、伊織さんも説得を試みる。


「万能薬の使い途に優先順位をお決めになっているなら、真っ先に八雲さんにお使い下さい! 彼は葉室家本家唯一の正統後継者。財閥の未来を思えばこそ、それが最善手になるはずです!」


 久右衛門さんは黙ったまま、答えない。

 静寂が部屋を支配し、それでも答えを待っていると、代わりに「ううっ……」とくぐもった呻き声が聞こえた。


「みひろ……大丈夫?」

「ええ……なんとか」


 みひろだけじゃない。夏美さん、リーラちゃん、ミセリさんも目を覚ます。

 椅子に拘束されてる自分と周りを見て、かなりマズイ状況である事は理解したみたいだ。


「みひろ、万能薬精製に協力しろ。そうすればお前の母を序列一位とし、真っ先に万能薬を与えると約束しよう」


 久右衛門さんは、タブレット端末を見せながらみひろに呼び掛ける。


「……先日有海邸にいらした時、お母さまはお元気だったはずです。どうして今は寝たきり状態になってるんですか? そもそも亡くなった事にされたお母さまを、そんな状態にして万能薬を飲ませるなんて……お祖父さまは、一体何がしたいんですかっ!?」


 珍しく怒気を含んだみひろの声に、久右衛門さんは当然のように言い放つ。


「依子を死んだ事にしたのは、みひろ……お前を氏立探偵にするためだ」

「……え?」

「あの日……儂の誘拐事件を読み解いたお前の推理力は、目を見張るものがあった。だがあの時、お前はまだ十歳。母親にべったりな普通の子供だった。推理力という才能を伸ばすためには、お前から甘えた環境を取り上げ、必死になってもらわねばならなかった。依子もこれを承諾し、陰から儂を支える役目を担ってくれた」

「元妾の使用人が……お祖父さまの言う事に、逆らえるはずないじゃないですか!」

「理由はどうあれ、依子は了承した。そのおかげでお前も氏立探偵として日々成長し、複雑な事情が絡む葉室家のトラブルを、見事に捌いていった」

「私は……伊織共々葉室家を追い出されぬよう、必死に毎日を過ごしていただけです……」

「そう、お前は十二分に氏立探偵の役目を果たし、錬金金貨クリソピアコインも全て回収した。失うにはあまりうにも惜しい人材……これからも葉室財閥のために、尽力してほしいと思っておる」

「お祖父さま……」


 いつもぶっきら棒な久右衛門さんに褒められて、みひろは笑顔を見せている。

 ダメだ……みひろは小さい頃から葉室家を第一に考えるよう教育されてる。このままじゃ、また――。


「葉室財閥発展のため、儂ら一族には万能薬が必要じゃ。分かってくれ、みひろ。葉室家のために今一度、その力を儂に貸してはくれんか?」

「は――」

「ちょっと、待ったあああ!」


 私はありったけの声を張り上げる。冗談じゃない!

 久右衛門さんの言う通り、親離れさせた事がみひろの成長に繋がったかもしれない。

 でも、でもよ! だとしてもよ!

 ここでみひろを葉室財閥に帰しちゃったら……私もみひろも後悔するに決まってる!


「みひろっ! あんた何言いくるめられようとしてんの!」

「藍海……」

「今だって、久右衛門さんはみひろのお母さんと私のパパ、二人も人質にしてんだよ!? みひろを氏立探偵にしたのだって、あんたを家に縛りつけ、都合よく利用したいだけに決まってるじゃない! なに喜んでんのよっ!?」

「でも……葉室家に生まれた者は、葉室家に尽くすべきで――」

「育ててもらった恩は、そりゃああるでしょうよ! でも、みひろはみひろよ。あんたは誰かのバックアップじゃないし、葉室財閥のためだけに一生を捧げる義務なんてない!」

「でもっ! でもぉ……」


 紫目と金色こんじきのオッドアイから、涙の雫が落ちていく。


「今葉室財閥に戻ったら、みひろは一生外に出られなくなるよ。今度はコインを回収する氏立探偵じゃなく、万能薬を生み出す氏立硬貨として、生きてくかもしれないんだよっ!?」


 自分のお母さんを助けたい。私のパパを助けたい。育ててくれた葉室財閥の役に立ちたい。

 万能薬の服用に序列があるなら、いずれ八雲さんも飲ませてもらえる。

 葉室財閥しか知らないお嬢様なら、迷わず久右衛門さんに従うところだろう。

 でも――みひろは知ったでしょ。私と一緒に外の世界を。


「思い出してよ。私と一緒に過ごした日々を」


 普通の女子高生として学校に通い、友達とバカな話で笑い合い。

 バイトでおじさんの愚痴を聞き、親友わたしと一緒にコインを探して飛び回った。


「楽しかったでしょ?」

「うん……」

「私も楽しかった。だから、帰らないでよ。私のために、帰らないで」

「……ぐすっ、ふぇっ?」

「私は、みひろじゃなきゃヤなの、楽しくないの、誰でもいいわけじゃないのっ! 私はバックアップなんていらない。みひろが、みひろだけが、私のパートナーなのっ!」

「藍海……」

「みひろがいい、みひろじゃなきゃヤだ。だからっ、私の傍からいなくならないでよっ! みひろっ!」


 抑え切れない涙が、頬を伝って落ちていく。

 こんな我儘全開なお願い……いつもなら恥ずかしくて言えないけど、これが偽らざる私の本心。

 すすり泣く私たち……その時、湿っぽい空気を吹き飛ばす、豪快な高笑いが部屋にこだました。


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