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【第五十一話】狂喜

 ボクは毎晩、床下のシャンタルの様子を見に行く。

 これももう日課のようなものだ。

 床を剥がすのも、慣れた物だ。


 そして、そこに置かれた彼女に語り掛ける。

 今日は何を話そうか、そう思うとボクの深く沈んだ心も多少は浮いてくるという物だ。

 ただ、最近は自分で言うのもなんだが、何もしていない。

 一日中、ただただ、ぼぉーとしてしまっていて、それだけで一日が終わっている。

 数日に一度、思い出したように食事をするだけだの毎日だ。

 こうして、夜、シャンタル、君に会いに来るのだけが楽しみなんだ。


 このままではシャンタルに怒られてしまうと自分でも思うのだが、それでも何もやる気がしないんだ。

 なにも手に付かないんだ。

 何も考えられない。

 だけど、今はまだいい。まだ時期じゃない。

 今は、少しばかり休んでいても良い時期なんだから、ちょうど良いと言えば、ちょうど良いんだ。


 シャンタルの遺体は、まだ骨までガラス化していない。

 完全にガラス化するまで待つしかない。

 だから、今は待つ時期なんだ。

 骨がガラス化するまでには、患者が死んでから早くて三ヶ月、長くて半年ほどかかるらしい。

 少しづつシャンタルの結晶が大きくなっているのがボクにはわかる。

 ほんのわずかな変化だけれども、毎日、しっかりと見ているボクには、その違いがわかるんだ。

 これが続いているうちはガラス化が続いている証拠だそうだ。

 まあ、それも医者が言うのを信じるならば、だが。

 それでも、ボクはその言葉を信じるしかない。

 他に情報はなにもないし、あの医者が嘘を付いているとも思えない。


 ボクは焦る気持ちを抑えながら、今はまだ待つことしかできない。

 失敗したら元も子もない。

 失敗しないように、じっくりと丁寧に、慎重を期してやっていくしかない。

 そして、今は待つ時期なのだ。

 あんなにもシャンタルのガラス化が止まってくれれば、どんなに嬉しい事かと思っていたけれども、今は早くガラス化して欲しいと思うなんてボクはどうかしている。

 そりゃそうさ、どうかしてなければ、こんなことはしていない。

 自分でも馬鹿げたことをやっているのだという自覚はある。

 だから、ボクは正気なんだ。

 正気でこんなことをしているんだ。

 本気でシャンタルの遺体で新たな人形を作り、そこにシャンタルの魂を宿し、シャンタルを甦らそうと考えている。


 シャンタルの遺体を、結晶のような、ガラス化した遺体をボクは優しくなでる。

 本当に美しい遺体だ。


 まるでシャンタルが宝石になったような、そんな美しささえボクには感じられる。

 まさに芸術品のような、そんな完成された美しさが、今のシャンタルにはある。

 いや、まだ未完成だ。シャンタルはまだ完全にガラス化しているわけではない。

 完全に、シャンタルがガラス化が完成するまでは、この美しい遺体が極限を迎えるまでは、ボクにはやることがない。


 だから、今は待つ時期なのだ。


 ボクは逸る気持ちを抑える。

 シャンタルのガラス化した遺体を見て気持ちを抑える。

 このガラス化したシャンタルを見ているだけで、心が自然と安らいでいく。

 今、すぐにでもこのガラス化した遺体を使い人形作りに取り掛かりたい、そんな気持ちをなんとか抑える。


 失敗は許されない。

 誰にも頼れない。

 ボクがやらなくてはならない。


 そして、改めて、ぐちゃぐちゃになった、まるで考えることを放棄したような、この頭を整理していく。


 それにより働いていなかった脳みそが少しだけ動き出す。

 シャンタルの遺体がガラス化が終わっていない今でもやらなくてはならないことは山ほどだった事にやっと気づく。


 まず、外骨格をオーダーメイドのものにしようとそう考えていたが、それはリスクが高すぎる。

 見た目だけでも汎用性の外骨格を使わないとならない。

 人形の外骨格を作る粘土も特製のものだ。

 それをどうにか、ばれない様に集めておかねばならない。

 これも時間が掛かる作業だ。

 少しづつ少しづつ、使う粘土の分量を誤魔化して、貯めていかなければならない。

 いや、自分用の、人形技師の仕事の手伝い用の人形と言うことで堂々と作れば良いのか?

 人形技師の中には人形を手伝いに使っている職人も多い。


 そもそも、あの粘土は市場に流通していない、ディオプ工房から卸してもらわないといけない物だ。

 自作するにしても不審がられない程度に粘土を買っていかなければならないし、外骨格を焼成するのもディオプ工房の窯を使わせてもらわなくてはならない。

 それを考えると既存の既製品を使うのが一番いいが、シャンタルの新しい体を既製品で、と考えるとどうも落ち着かないが。

 でも、シャンタルの新しい体には一番良いものを用意してやりたい、という気持ちも強い。

 やはり自分の手伝い用の人形と言うのが一番良いだろうか?

 それなら怪しまれることは一切ない。


 そうなると既製品の外骨格を使うのが一般的だよな。

 手伝い用に人形に特製の外骨格を作るとかあまり聞いたことがない。


 既製品を使うのが一番安全なのかもしれない。それが一番目立たない。

 何よりもシャンタルの安全が第一なのだから。

 そこは安全を優先させなければならない。


 その辺をどうするかも、じっくりと考えていかねばな。


 まだ時間はある。

 考えて決めればいい事だ。

 ゆっくりとじっくりと、今は焦ることはない。

 丁寧に、失敗なくやらなければならないのだから。


「シャンタル…… キミを必ず取り戻すからね。すまないが、もうしばらく、こんな場所だが我慢してくれ」

 ボクはそうシャンタルに語り掛ける。


 そこでボクは少し迷う。

 ボクはどちらに話しかければ良いのだろうか?


 シャンタルの魂を封じ込めたネールガラスの核に?

 それともガラス化したシャンタルの遺体にか?


 どちらもシャンタルだ。

 それに違いはない。


 何とも不思議な感覚だ。

 シャンタルの魂も肉体も両方ともボクの手の中にある。

 なのに、彼女をボクは感じることが出来ない。

 ボクは喪失感で満たされている。

 彼女は、ここにいるはずなのに、ボクはそれを感じることが全くできない。


 ボクは選択を誤ってしまったのか?


 例えそうだったとしても、ボクはやり遂げなくてはならない。

 彼女と再び一緒にいるために。

 彼女の最後の願いを叶えなくてはならない。

 例え、どんな禁忌を犯そうともボクはやり遂げるしかないんだ。






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