婚姻届を出す際は、なんだか緊張というよりも、妙な感覚がした。
あぁこれで正式に、私たちは夫婦になったのだと。私は、独身という枠から離脱したのだと。
それは、少しだけ私の気持ちを複雑にした。
普通はこれって、喜ぶべき人生最大イベントの1つなのに、こんな気持ちのままいいんだろうか……
などとゴチャゴチャ考えてしまったが、本番はこれからだ。
正式に結婚したからには、私は昇さんに話そうと決めていたことがある。
それと、昇さんは私のことを考慮して、私の気持ちが変わるまでは私が元の苗字をそのまま使い続けることに承諾してくれた。
「僕個人としては、そこまで苗字に拘りはありません。けれどなんとなく、萌さんと同じ苗字になる日が来たら嬉しいなというのは当然ありますが。」
「あ…そうなんですか?」
別に恋愛結婚ではないので、てっきりそこはどうでもいいと言うだろうと思っていたのだが、「嬉しい」という意見は予想外だ。
「じゃ、じゃあいつか……いろいろと解決したら……私も加賀見を使わせていただきます」
そう言うと、昇さんはとても嬉しそうに目を細めた。
「はい。約束ですよ」
この人って……私のことが好きなんだろうか?
今までの言動等諸々を振り返ってみても、なんだかそんな気がしてくるが、恋愛経験の乏しい私自身を信用できないからよく分からないのが正直なところ。
昇さんの管轄のレストランでディナーをし、お互いに結婚指輪を填めあった。
実は結婚指輪は、正式に結婚するまではしないでおこうと約束し、今まで保管しておいたのだ。
だから私の指には、以前昇さんがくれたダイヤの婚約指輪だけがキラキラと輝いている。実は一度も外していない。
だけど今この瞬間からここに、新たに結婚指輪が重ねられた。
昇さんの指とお揃いの。
「なんだかやっぱり、こういう物理的なものって、ちゃんと結婚を実感しますね。」
「あ、もしかして昇さんもあまり実感湧かなかったんですか?」
「えぇ、まぁなんというか……毎日一緒にいるから……」
少し照れたようにはにかむ昇さんに、ほんのり愛しさを感じた。
そして私は、このタイミングしかないと思い、生唾を飲み込んだ。
「それで…えっと……」
言い出すことが、多少の勇気を伴うことだとは想定していた。
だけど、いざこのシチュエーションになるとこんなに喉の奥に詰まるとは……
「どうしたんですか?」
「お、お話がありまして……実は……」
コンコン
「失礼いたします。宜しいでしょうか?」
個室のドアを叩かれ、聞こえてきたウェイトレスの声に私たちの会話がストップされる。
昇さんが返事をすると、しばらくして音沙汰なくなったので2人して首を傾げた。
「……?なんだろう」
昇さんが立ち上がったのと同時に、
「Congratulation!!おめでとーー!!」
突然、花束を持って登場した女性に目を丸くした。
え……、えぇっ?!
だ、だれ?!
もしかして昇さんの元カノとか?!
また黒宮令嬢みたいな立場の人?!
などと、どうしても突発的にネガティブな方向へと私の思考は持っていかれる。
恐る恐る昇さんに視線を移すと、昇さんは目を丸くしていたかと思えば、すぐにキリリと眉を吊り上げた。
「突然驚かせてしまうだろ、華子!ていうか帰ってきてたのか?!心臓に悪いからやめてくれ!」
はなこ……?
彼女の名前だろうか?
「何言ってんの?サプライズなんだから当たり前でしょ?店長さんも快く入れてくれたよ!」
昇さんは、ハァ……とため息を吐いてから、アッと気まずそうに私に視線を移した。
「本当にすみません萌さん、驚かせてしまって……こいつは……」
「WOW!この人が昇兄さんの奥様!わーあ!想像通り美人だぁあ〜っ!」
え……?兄さん?
「……萌さん、こいつは僕の妹の、華子です。歳は今年…えっと、25……だったか?」
「ちょっと!自己紹介くらい自分でさせてよ!」
なんだ、妹だったのか……と少し安心した。
確かに、兄と妹というきょうだい構成とは聞いたが、詳しく聞いたことがない上にお兄さんと妹さんの年齢すら知らない。
「はじめまして!私、加賀見華子です!歳は今年25歳で、昨夜、留学から帰ってきたばかりなんです!」
ニコッと笑うその笑みが、どことなく昇さんに似ている。
確かに年相応に見えるけれど、明るい雰囲気の中には、昇さんのような知的さもあると感じた。
「は、はじめまして。本條萌です…。先日から、昇さんが紹介くださったメディア会社に務めています。」