ようやく金曜日。
今日は早めに帰宅し、一緒に婚姻届を提出しに行く予定だ。
そしてその後は、昇さんがディナーに連れていってくれるらしい。
だから私は朝からとてもウキウキしていた。それが同僚たちにバレ、「本條さん今日ご機嫌だね?なにかあるの?」などと言われたりしたわけだが。
「あー!わかったぁ!好きピとデートなんだあ!金曜だもんね〜♡」
「す、すきぴ…??」
ギャルの凪紗ちゃんにすかさず突っ込まれる。
「あっ、そっか、本條さんのその指輪って、いつも思ってたけど、そーゆーことですもんね絶対!」
航くんが私の薬指を指さした。
「えっ、やっぱり婚約中の彼氏ってことですかー?」
「あ…うんその……実は今夜、婚姻届提出しに行く予定なんだ…」
「「えぇぇーー!!!!」」
「コラうるさいぞ、仕事中だ。」
須藤さんに注意され、私は慌てて謝ったのだが、周りはそれを完全にシカトしていて、私に質問をぶつけまくってきた。
どこのどんな人か、年齢は職業は、写真は……と。
私は、言わなきゃ良かったかもと少し後悔したが、苗字も変わるわけだから今後隠し通せるわけがない。
あれ……ちょっと待って?
そうだよ、苗字!!!
苗字が「加賀見」になるということは、いろいろとバレてしまうではないか!
これはヤバイことなのでは?!
ここの社長はもちろん雇われ社長で、加賀見の家系の人ではない。
そもそもこの会社の大元である昇さんの叔父さんには私はまだ会ったことすらないのだ。
だとしても、この人たちが加賀見を知らないわけがない……と思うし、そんな珍しい苗字、赤の他人ですなんて言い訳が通用するとも思えない。
詳しいことはまた今度話すからなどと、この場ではとりあえず適当なことを言っておき、帰ってから速攻、昇さんに相談しようと思った。
「お疲れ様です。萌さん。」
「お疲れ様です…わざわざお迎えすみません」
仕事終わりには、村田さんが建物近くで車を止めて待っていてくれた。
私が近づくと律儀に扉を開けてくれて、相変わらず私は戸惑ってしまう。
「萌さん、いいかげん慣れてください。
気にしなくていいんですよ、私の仕事ですし」
「そっそんなこと言われても!」
「あっ!本條さーーん!お疲れ様でーーす!」
その声にビクッと振り返ると、大きく手を振る凪紗ちゃんとヤマトくんがいた。
「わぁ〜!確か今朝も見たァ〜!お兄さんイケメン!」
「うおーすげえー。専属ドライバーってやつ?」
どうしよう!今朝も見られてた?!
と焦る私とは裏腹に、村田さんは慣れた様子で「お世話になっております」と挨拶している。
まぁこのルックスならチヤホヤされることは日常茶飯事なのかもしれないけど……
それにしたって、この派手な若者2人は自由奔放すぎて特段デリカシーが無いし、突然寄って集られて絶対に嫌なはず……!
「ドライバーさんあのあのっ!恋人はいらっしゃるんですか〜?」
「え?あ、いいえ。」
「じゃあ好きな人は〜?」
「……。」
「っあ!えーと!凪紗ちゃんヤマトくん今日はお疲れ様!また明日ね?」
村田さんが明らかに困っているのを見ていられなくなって私は急いでそう言った。
「あーそっかそっかごめん足止めしちゃって!アレの日だもん急いでるよね!きゃーいいねぇ〜っ♡」
「すまんすまん!こんな大事な日に!ほら行くぞ凪紗!お幸せにぃ〜っ☆」
空気があまり読めない2人の大声によって、ちらほら道行く人たちに見られている。
一気に気まずくなり、私たちはそそくさと車内に乗り込んだ。
車を走らせながら、そういえば……と先程の凪紗ちゃんとの会話を思い出す。
「村田さんって、恋人がいらっしゃらないんですね。」
まぁ正直あまり意外な感じもしない。
この手のタイプってきっと、モテすぎているから特定の恋人を作れないのではと思った。
「あえて作らないようにしています。仕事と恋愛の両立ができないタイプなんですよ。どちらかが必ず疎かになってしまって。満足させてあげられないのに付き合うのは失礼なので。」
さすが村田さんだ。やっぱりしっかりしてる。
こんなにモテモテなのに……。
でも、恋愛なしの人生をこのまま送るつもりなのだろうか?
「村田さんは……気になる方とかもいらっしゃらないんですか?」
好きな人は?と先程凪紗ちゃんに聞かれて沈黙していた村田さんを思い出し、つい聞いてしまった。
自分でも理由は分からないけれど、村田さんについて私はちょっと興味があるようだ。
整った顔立ちだが冷たい印象の目付きと、凛とした佇まいに冷静沈着な態度……一見すると近寄り難いのだが、優しさと知性が滲み出ているから、一度話せばすぐに人を虜にしてしまう感じ。
出会ったことのない、独特のタイプだからかもしれない。
「気になる人は……どうでしょうね…いるような、いないような…」
村田さんがはっきりした物言いをせず言葉を濁すのって初めてかもしれない。
私は内心少し驚いてしまった。
「それはっ!いるってことじゃないですか」
「えっ?」
「気になってないのならそんなふうに言いません」
「っ……でも恋人になりたいと思っているわけではないので」
「どうしてですか?好きなのに?」
「好きだから…でしょうね…」
ミラーを通して見える村田さんの目は、真っ直ぐと道路を見ているはずなのに、氷のように冷たくそして淋しく見えた。