昇は今、スマホ片手に箸が止まっていた。
萌がいないなら料理する意味もないので、デリバリーの夕食を一口口に運んだ瞬間だった。
まさか、こんなに楽しそうに、それでいてどこか火照った顔でセクシーに微笑む萌の動画が送られてくるとは微塵も思っていなかった。
しかも、男の声まで入っている。
もちろん紛れもなく、先日話した王谷という萌の上司だ。
「……はぁ……なんか、食欲なくなったな……」
まだ一口しか食べてない料理の上に、箸を置いてため息を吐いた。
萌さん……
これ、無意識なのかなぁ…?
薄々気づいていたけれど、萌さんって結構天然だよな……
普通、他の男とイチャついている動画なんて夫に送らないと思うけど……。
あれ……僕が間違っているんだろうか?
もしかして……
「僕って……重い男なのか……?」
ワン!とまるで返事をするかのように吠えたチコに目を丸くする。
「そ、そうだったのか、僕は?本当に?」
愛らしいチコの瞳が萌の瞳に被って見え、思わずジワリと涙が出そうになっている自分にハッと気が付き、同時にドン引きした。
「僕って……やばい奴かもしれない……」
でも……
どうしよう……
「萌さんに会いたい……」
「?」となっているチコを抱き上げながらジッと目を見てそう呟いた。
ていうか……
あんな笑顔、初めて見た。
僕に向けられたことはない表情だ。
それでいて、あんなふうにほろ酔い気味な萌さん……
相当気を許した相手を前にしないとあんなふうにはならないのではないか?
それに、何度か一緒に酒を飲んできたが、けっして酒に強いタイプではないから、萌さん自身いつもちゃんと自制しているように見えた。
なのに……
もう一度、動画を再生し、穴が空くほど見つめた。
こんなに可愛くてちょっとセクシーさも出している表情と仕草なんて見せられたら、目の前の男は放っておかないのではないか?と思った。
というかこれ……
「この男、僕に見せつけるために、わざとこれを撮ったんじゃないのか?実はこれは、マウントをとられているんじゃないのか?僕は。」
そもそも王谷という上司自体、最初から全く信用を置いていない。
ヤマトの意見によると、周囲からの信頼も厚く女性からモテているにも関わらず全く女の影がない真面目でとても良い人……らしい。
しかし、本当にそうだろうか?
そういう絵に書いたような聖人ほど、裏の顔があるものだということを自分は知っている。
幼い頃から周りのあらゆる大人たちの、信じられないほど腹黒い部分を見てきたのだから。
だから未だに他人を信じることができない。
だからきっと……萌のことも信じていないのだろう。
" 昇さんの動画も送ってください!"
この文字を見つめながら考えた。
自分で自分の動画を撮ったことはないし、他人が自分の動画を撮ったこともほぼない。
1人で何を撮れば良いのか全く思い浮かばず何分も時間が過ぎていく。
「っあ、そうだ……。萌さんは撮影者が撮ったものを送ってきたんだから、こっちもそうしないとダメだよな。」
そもそも自分じゃ上手く撮れないし。
と言いながらいつもの人物に電話をかけた。
ものの10分もしないうちに、その人物は呆れ顔で訪ねてきてくれた。
「いやぁ、助かる!ありがとう庵!こんなの頼めるの庵しかいないから……」
「はぁ……たかが動画撮影で人なんて必要ないだろう。今どきセルフでやった方が上手く撮れるんじゃないのか。」
「いや、違うんだ。そもそも何を撮ればいいか分からないからその相談もしたくて」
「そこからかよ…。普通に食べてるところとかペットと遊んでるところとか、なんだっていいじゃないか。」
「そんなつまらない動画、萌さんをガッカリさせるだろ?!」
「っ、そんなことないと思うが……というか、そんなアドバイスを俺に求めないでくれ。」
仕方がないから村田はソファーに座って腕を組み、じっくり考え始めた。
「こういうのはやっぱ女性の方がセンスありそうだけどな……」
「っあぁ!じゃあ華子を呼ぼう!」
「えっ」
「確かに考えてみたらこういうのは女性が上手いに決まってるよな…。そこまで頭が回らなくてついいつもの勢いで庵を呼んでしまったよ。」
「……悪かったな。華ちゃ、華子さん来るなら俺は今すぐ帰るぞ。」
「待ってくれ!帰っちゃダメだ!」
「なんでだよ……撮影者は2人も要らないだろ?」
「いや、1人じゃ恥ずかしいから庵も動画に映ってくれ。」
「は……?じょ、冗談だろ?」
どうしてこうなった……
村田は今、昇と共に、目の前にいる華子に表情の指導をされていた。
「もうっ!なんで二人共そんなに表情固いのよ!これじゃ不自然じゃない!」
「いや……無理だよ、2人で笑顔で会話なんて…っ」
「だいたい会話のトピックが萌さんなんて……尚更昇1人でいいじゃないか。なんで俺まで……」
「いや庵っ!さすがにそんなこと1人で喋ってられないよ恥ずかしい!」
「いつも勝手に1人で散々惚気けてるじゃないか。あれをやればいいだけだろう。」
「そっ、れは……いつも庵が聞いてくれるからっ」
「だいたいあのなぁ、昇、俺の方が恥ずかしいんだぞ!他人の奥さんの話を好き好んでする男なんてどこにいるんだよ。」
「庵だってほぼ毎朝毎晩萌さんの送迎やってるんだから、萌さんの魅力的な所くらい言えるだろ?」
「そんなこと言うならお前から言えよ!ほら!」
「もう喧嘩しないでよ2人とも〜!」
昇は意を決したように水を飲んで座り直し、ほんのり顔を赤くして咳払いした。
「じゃあ言うよ。まず、萌さんは声が良い。もちろん顔も良いけど、声に透明感があって落ち着いていて、それでいてよく通る。笑った声なんか小鳥みたいですごく心地良い。あの声を朝一番に聞けるっていうのは僕にとって至高なんだ。」
「なるほど…まぁ確かに声って重要だよな。ちなみに俺は……萌さんの服装のセンスが良いなってよく思うかな。いつも落ち着いた色の服しか着てないし、アクセサリーはほとんど付けてなくてすごくシンプルな佇まいなのに、上下のバランスや靴や帽子といった小物使いが上手いんだ。まぁいわゆる、チャラついてなくて上品といった感じかな。」
「わかってるじゃないか!さすが庵!!」
「はいはい!じゃあ次私!私は、萌さんの性格が好き!優しくて思いやりがあるけど、変なツボがあって面白いところも良いの。私と違って気遣いとかできるのに、ちょっと天然で可愛いんだよね〜」
「あ、確かにそうそうそうそう!
天然なんだよ萌さんって。たまに困るけど、そこが本当に僕の好きなところでもあってー……」
3人で会話する動画は20分近くになっていた。