昇は、斜め前にあるソファーに座ってリビングのテレビをボーッと見ている萌を見ながら、今日のそんな会話を思い出していた。
結局この話の真相がなんであろうと、直接彼らを問い詰めるほかないと思ったのだ。
「あ……この女優さん、赤ちゃん生まれるんだ。」
萌の視線の先には、テレビ画面に映し出されたよくある明るいニュース番組。
「あー、確か、俳優の山本くんとこないだ結婚したばかりなんじゃなかったかな。」
「そうですよ。てことは、おめでた婚ってことだったんですかね。」
萌は完全なる無の表情で画面を眺め続けている。
嬉しそうにも、複雑そうにも見えない。
一体何を考えているのか分からない、そんな表情だ。
「……萌さんは、子供が好きですか?」
「うーん、そうですね……正直言うと、少しだけ苦手なんです。」
意外だとは思わなかった。
なんとなく、普段過ごしていてそんな気はしていたから。
外で一緒にいるときに小さい子供や赤ん坊に出くわしても、普通の人間ならば顔を緩めるだろうが萌の場合は眉がピクリとも動かないのだ。
「なんていうか……大人じゃないから、どう接するのが正解か分からなくて困るんです。
それに子供って、意味不明なことをしたり理解不能な場面で突然泣いたり怒ったりするでしょう?
もちろん自分にもそんな時期があったことは重々分かってるけど、どういうふうに付き合えばいいか分からないんですよね。」
「なるほど。萌さんらしいですね。でも分かりますよ、僕の身内には小さい子供がいないから全然慣れてないし、だからいざそんな場面になっても上手にあやしてあげられる自信がないんですよね。」
萌は初めて表情を変え、フフっと笑ってこちらを向いた。
「それは意外です。だって昇さんは絶対子供好きだと思ってたから。」
「えっ?どうしてです?」
「外で子供見かけると、愛おしそうな目で見てるじゃないですか。それにこないだも、店でギャンギャン泣いてる子いても、昇さん優しそうに微笑んでたじゃないですか。私は正直、耳を塞ぎたいほどだったのに……」
昇は目を見開いた。
そんなに自分のことを見ていてくれているのかと内心嬉しくも思ってしまった。
「でももしかしたら私……自分の子なら愛せるのかな……」
その言葉にハッとする。
昇がずっと聞こうと思って今まで聞けていなかったことだからだ。
今なら……聞いてしまってもいいだろうか?
「萌さん……子供、欲しいですか?」
この流れで聞けなかったら今後また聞ける機会がないような気がして思い切ってまっすぐ問うと、萌は少し沈黙した。
「……今までは、子供欲しいと思ったことなんてなかったんです。」
「そうなんだ……」
「でも、希美さんが妊娠したと聞いて、あの幸せそうな顔見たら、ちょっと心が揺らぎました。」
「あ……」
そうだ、重大な問題の処理に頭がいっぱいで、そのことをすっかり忘れていた。
長年子供を作らずにいた兄と兄嫁が、まさか突然授かるとは思わなかった。というか……子供云々に関して彼らと喋ったことはないが、跡取りが欲しい父が昔から子孫を切望していたことは知っている。
それが男でも女でも、立派な跡取りに育て上げると息巻いていたことを思い出す。
対する兄の翼は、元々子供を望んでいないように見えていた。元々結婚すらにも否定的なタイプだった。
昔から、何かに縛られるのを極度に嫌がる節がある。
つまり簡単に言えば、女でもなんでも、自分の好きにしていたいのだろう。
妻の希美の方は何を思っていたかは知らないが、子供を欲しがっているようにはまるで見えなかった。
そんな2人について、父が何をどう思っていたのかは知らないが、きっと自分の方に皺寄せが来る気がしてならなかったのが正直なところだ。
そしてきっとそろそろ、子供はどうこうと何か言ってくるんじゃないかと構えていた。
だからこないだの兄夫婦の懐妊報告には本気で開いた口が塞がらなかったのだ。
「世の中のママさんたちや妊婦さんってみんなそう。本当に幸せそうな顔してる。だから、そんなにいいものなのかなって……」
萌は、希美のそんな表情を前にして、今まで動いたことのなかった自分の感情の一部が揺れ動いたのを感じた。
「……私がもしも妊娠して、出産して、子供育てて……ってなったらどんなだろうとか、初めて想像しちゃったんです。」
「それで、どうでしたか?」
「できないって思いました。」
キッパリとそう言い放った萌に視線を移す。
眉を下げて、どこか残念そうに笑っている。
「私みたいな自分のことで精一杯な人間には、やっぱり人1人育てるなんて到底無理かと」
「そんなことないと思います。」
間髪入れずにそう言い放った昇に、萌は目を瞬かせて固まる。
昇は真剣な目でまっすぐこちらを見ている。
「萌さんは、絶対に立派な母親になります。」
「……ど、どうしてわかるんですか?」
「愛情がある優しい人だからですよ。
人を育てるのに1番重要な要素は愛です。
萌さんは、ちゃんと自分の子供を愛せます。」
萌は、初めて自分の心臓が掴まれるような、暖かいものが流れてくるような感覚を感じた。
「……自分のことも…ちゃんと愛せていないのに……ですか?」
震えて出た無意識の言葉。
斜めにあるソファーに座っていた昇が、ゆっくりとこちらのソファーに移動してきた。
「僕が萌さんの何倍も萌さんを愛しているから、大丈夫なんです。」
丁寧に手を取られ、両手で包まれた。
温かい昇の指が、お揃いの指輪を撫でる。
「僕はずっと、萌さんとの子供が欲しいと思っていましたよ。」
「……っ……」
「だから萌さん、心の準備ができたらでいいので、いつか僕の子供を産んでくれたら、僕はもっと幸せです。今も充分幸せだけど……きっと今よりもっと……世界一幸せです。」
「昇さん……」
なぜだか、目頭が熱くなった。
手を温めるようにして握ってくる目の前の昇は、どこか照れたように微笑んでいる。
「……早く欲しいな。僕は生き急いでいるから、自分の欲望には忠実なんですよ。」
片方の手が萌の手から離れ、後頭部に回された。
それと同時にグッと近づいた顔が一瞬見えただけで、視界が閉ざされた。
優しく唇が奪われていたからだった。
何度も、優しくて甘くて……まるで子供に関しての願いを伝えてくるような。
幸せと不安を混ぜたような、不思議な感覚になるキスだった。