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第49話 提供したサンプルが

「大変なことになったわ……」

 目の前に突然現れたヨルさんは神妙な面持ちをしていた

「ヨルさん、どうしたんですか?」

「……ヒカリちゃんの容態が急変して、まだ未完成のオメガウイルスを投与することになったのよ」

「ヒカリさんってヨハネ先生の娘さんですよね、そんな……一体結果はどうなったんですか……?」

 ヒカリさん、ヨルさんやソラちゃん同様に私の中から消されていた人物

 記憶の中で名前と共に思い出したその人

 その正体は昔から病弱でずっと寝たきりのような生活をしているヨハネさんの一人娘

 ヨハネさんとアカネさんがオメガウイルスの研究に拘る一番の理由

 そんな彼女の病態が悪化してオメガウイルスが投与されたという言葉に心臓が早鐘を打つ

 少しずつ

 世界の真実が捲られていく

「一度動かなくなった身体はまた動き出した」

「それならっ……」

「でも、心臓はそうはいかなかったみたい」

「えっ……」

 私の動いている心臓がどくんっと強く鳴った

「心臓と脳自体は動いていないのよ、身体だけがオメガウイルスの影響でただ動いているだけ、身体を無理やり動かすことで消費するエネルギーを補うためにただ人肉を求めて……まるで映画にでも出てくるゾンビみたいに」

「そんなことって……」

 そうだ、彼女が……私が知るかぎりでは始めてのオメガウイルスでのゾンビ化だ

 勿論研究の過程で他にもゾンビ化した例はあるだろうが

「……それを受けてオメガウイルスの研究をすぐにでも進めるためにより色んな人間にオメガウイルスを今までより多量に投与することをヨハネ先生は決定したわ、まずはラボの子供たちやこの孤児院の子供達が対象になる」

 ヨルさんの言葉に記憶のなかの私が息を飲む

「っ……それは、ダイチも含まれて……」

 私の喉から漏れるそれは酷く、震えていた

「勿論そうなるわ、いえ、それで済んだらまだ良いほう、最悪の結果を想定すればヨハネ先生は……世界にオメガウイルスを撒いてこの地球全土を実験場へと変えかねない」

「そんなことって……」

 はっきり言って記憶の中のヨハネさんがそんな暴挙に出るような人には見えなかった

 でも、家族が関わっている、そう言われれば納得してしまう自分がいる

 私だってダイチの為だったらきっと迷わず行動するからだ

 これが、世界中を巻き込んだパンデミックの原因

「でも、まだ止められるかもしれない」

「……どういうことですか?」

 そう自分の中で溜飲が下がろうとした時、ヨルさんがお思わぬ言葉を発した

 記憶のなかの私も面食らった様子で聞き返した

「あなたの身体を使って研究を進めてきたことであなたの中には他の子供達とは違う作用を持ったオメガウイルスが完成し始めている、オメガウイルスの副作用である脳の活動の抑圧やそれによる凶暴性の発現しない新たなオメガウイルス、マウス投薬実験では既にオメガウイルスを投与されたマウスにあなたの細胞から作った新しい抗体を投与した結果元のオメガウイルスを抑制したという結果も出ている、つまるところあなたから生まれた薬は新たなオメガウイルスでもあり抗オメガウイルス薬ともなり得るということ、これをヨハネ先生に報告すればもしかしたら……」

「それなら早く伝えましょう!」

 私は言いながら強くヨルさんの手を取っていた

 しかしヨルさんの表情は決して晴れたとは言えない

「……でも、アカネ先生が邪魔をしてくるかもしらないの、アカネ先生はヨハネ先生と同じか、それ以上にヒカリちゃんのことを思っているから、それでも私は何とか、ヨハネ先生の元を目指すわ、例えそれが私の命に関わるとしても、だからお願いウミさん、あなたのサンプルを提供して頂戴、今まで提供してもらったものよりも血液や髄液、色々なものを提供してもらいたい……勿論あなたへの負担は多くなるわ、それでもここで、止めたいの」

「……私に出来ることがあるのなら――」

「断れ」

 必死のヨルさんの嘆願に私が迷うことなく決断しようとしたその言葉はダイチの冷たい声に遮られた

「っダイチ!」

「……ダイチくん」

 私とヨルさんは声のしたほうを振り返る

 立っていたのは、声と同様にとても冷たい表情を浮かべたダイチだった

「いいか、バカ姉貴、こんなもん断れよ……絶対に」

 ダイチは言いながらヨルさんの手を掴んでいた私の手を無理やり引き剥がす

「なんでそんなこと言うの! 私が提供すれば世界も、皆も……ダイチだって危険に晒されないで済むのに、別にそれを提供して私が死ぬわけでもない、それに私達がこの施設にいる以上元々断る権利なんてないのに、こうしてヨルさんは聞いてくれてるんだよ……」

 そう、私達はあくまで研究内容こそ他の子供達より知らされているだけで実験用のマウスやモルモットとそう変わらない

 元々ヨルさんがその気になれば拒否権なんてありはしないのだ

「……オレが、姉ちゃんを連れてこんな場所から逃げ出してやる、何のしがらみにも囚われないで良いところに連れてってやる、だからっ……こんなやつの言うこと、聞いたらダメだっ……こいつは! っ……」

 拒絶する私の手を無理やり掴み語りかけるダイチの腕にヨルさんが注射器を突き立てるとダイチは力が急に入らなくなった様子でその場にへたり込んでしまった

「ヨルさんっ……!」

 私は慌ててダイチの前に庇うように立つ

「ごめんねダイチくん、事は急を要するの、ウミさん、大丈夫よただの鎮静剤だから、少ししたらすぐに抜けるわ、それよりも早くしないと……ダイチくんまで危険に晒される前に」

 だが、ヨルさんの必死の嘆願に、ダイチという名前を出されたことで

「わかり……ました、ごめんね、ダイチ……」

 記憶の中の私は意図も簡単に、ヨルさんの手を取りダイチから離れた

「この……バカ、あね、き……」

 後ろから聞こえる弟のこの声を、当時の私は気づいていたのだろうか

 それとも、気づいていて、気づかない振りを、したのだろうか


「サンプルの提供ありがとうウミさん、それじゃあ私は今すぐにでもこの研究データをヨハネ先生に届けに行くわ……途中で妨害を受けた時は……いえ、こんなこと行っていても意味は無いわね、たられば話なんてしたって意味はない、それじゃあ行ってくるわ」

 ヨルさんがそう言って孤児院を出た数日後

 世界にパンデミックが起きた

 発生地はホッカイドウ

 その中でもセントジャンヌ孤児院を中心地とした

 ゾンビと化したのは私を覗く院の女の子達……それから何故か管理者である筈のシスターも含まれていた

 ゾンビ化しなかった私と院の男の子達はおそらくここが国の施設だったことか、それともまだ完全にオメガウイルスの研究にに見切りを付けていなかったのかすぐに国が設立した国営のシェルターへと避難誘導が開始された

 暫くはそのシェルターで弟と身を寄せあって生きていたがある日、弟からいずれこのシェルターを出るのだと伝えられた

 何故かと問いかける私に理由は教えてくれなかったがヨハネ先生によるオメガウイルスを使ったパンデミックを止められなかったという自責の念にかられていた私は特に拒否すらしようとしなかった

 ゾンビの溢れる外の世界へと出る準備を少しずつ進めるそんな日々のなかあの事件は起きた

 ダイチが突如としてゾンビ化し、私がこの手で弟を殺したあの、事件が

 記憶のなかの私が弟を殺した瞬間プツンっとすべての映像がテレビの画面を切ったように消えてなくなり、目の前には私が殺した時と全く同じ姿のダイチが立っていた

「やっと、顔を合わせて話が出来るな、姉ちゃん」

 ダイチはそれだけ言うと私の瞳をしっかりと覗き込んだ

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