目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第五章

気になる貴方と急接近(1)

「真中さん、お帰りなさい!」

 企画課の部屋に入ってきた真中さんへ向かって呼び掛ける。そのまま駆け寄って出迎えると、真中さんは照れたように微笑んでくれた。

「一週間も穴を空けて御免なさいね。今週中は通院しないといけないから、昼間も二時間くらい抜けないといけないし」

「大丈夫ですよ! 真中さんは、ご自身の体調を一番に考えて下さい!」

「有谷さんの言う通りよ。心身共に健康でないと十全のパフォーマンスは出来ない……前に教えた筈だけど?」

「そうでしたね。では、お言葉に甘えて無理しないように頑張ります」

「宜しい」

 羽柴さんがにっこり笑って、真中さんもにっこり笑う。私も釣られて笑ったところで、あの……と控えめな声が聞こえてきた。

「退院おめでとうございます。その節は大変ご迷惑をお掛けしました……あの、これ、良かったらどうぞ」

「ありがとう。クッキー?」

「クッキーとマフィンの詰め合わせです。有谷さんから、真中さんは甘い物がお好きだと伺ったもので」

「そうだったの……ええ、ありがとう」

 嬉しそうな真中さんを見て、月城君の表情がほっとしたものに変わる。一昨日辺りからずっと緊張していたようなので、無事受け取ってもらえて安心したのだろう。

「へぇ、真中君にはクッキーも付けたんだね。殊勝な心掛けじゃないか」

 上から言葉が降ってきたので、呆れつつ顔を向ける。真中さんがいない間は付かず離れずと言った、ありふれた上司と部下の距離感だったので……流石というか何と言うか。

「一番大変だったのは真中さんですからね。当然でしょう」

「有谷君も言うようになったね。俺だって、真中君を病院に連れて行ったり暴走した小柴君を止めたりと頑張ったが?」

「課長の分のマフィンは三個で、皆よりも多かったじゃないですか」

「まぁ差し入れは何度あっても困らないものだからね。次回期待しているよ……それはそうと有谷君、どうしてさっきから俺と真中君の間に割って入ってくるのかな?」

「真中さんが困ってらっしゃるようだったので」

 それだけ答えて、ちらりと後ろを確認する。今まで以上に、真中さん課長からの接触に狼狽えている気配がする……まさか、私の知らない間に何かあった……?

(いや、あったから何だって話ではあるんだけど)

 別に私は二人の保護者でも何でもない。寧ろ、二人の方が私の保護者のようなものである。とはいえ、赤い顔の真中さんはどこかほっとしたような表情なので、的外れの気遣いでもなかったのだろう。暫くは気を付けておこう。

「何はともあれ復帰おめでとう、真中君。君を待ちわびていた羽柴さんと有谷君と一緒に、また頑張っておくれ」

 一旦引いてくれたらしい課長から、そんな労いと激励の言葉が飛んでくる。

「羽柴さんも有谷君もお疲れさま。これからも期待しているよ」

 その言葉には、元気に素直に返事をした。


  ***


「真中さん、顔、顔」

「せっかくの美人が台無しですよ」

 仕事の引継ぎが終わったので先日の出来事についても報告していると、菊野さんが出てきた辺りで真中さんの眉間に皺が寄って口がへの字に曲がってしまった。そして、周囲を見渡し空になった座席を見て、何とも複雑そうな表情になる。

「……やっぱり小柴さんだったのね」

「真中さんも気づいてらっしゃったんですか?」

「月城君みたいに決定的な場面を見た訳ではなかったけどね。手口が私の時と似ていたから、もしかしてって思って」

「そうだったんですね」

「だから、私のせいで有谷さんが狙われたんじゃないかって……それなら申し訳ないなって思っていたけれど……」

「真中さんのせいじゃないですよ」

「そうそう。有谷さんは菊野君にも可愛がられているから、それもあったんでしょうし」

 いきなり彼の名前が出て来たので、思わずサブレを詰まらせかけた。さくさくほろほろでとても美味しい……と呑気に食べていたら、とんだ流れ弾である。

「それじゃ猶更申し訳ないじゃないですか」

「でも、真中さんに構われてなかったらと思うと寂しいです。だから、これで良かったんですよ」

「あら? 菊野君は良いの?」

「からかわないで下さいよ……というか、未だに不思議なんですから……」

 格好良くて、優しくて、仕事が出来て、困っていると助けてくれて……社長令息という御曹司でもあって。まさに物語の中にいそうなレベルの凄い人に、どうして、歌が上手いだけの私があれほど気に入って頂けているのか。未だに謎のままだ。

 彼の前で歌った事があるならば、もしかしたら、納得出来たのかもしれない。己惚れるつもりはないが、それ以外に彼の関心を引けそうな部分が思い当たらないのだ。でも、文化祭の時は助けてもらった方だし、会社に入ってからは彼に限らず誰からも聞かれないように徹底している。社内で私の歌を聞いた事があるのは、インターン時のあの場にいた月城君くらいだろう。

「……何のしがらみもなければ、全力で応援するし成就の為に協力するんだけどね」

「まぁ確かに、諸々に目を瞑るならそこまで忌避するような相手でもないかも分からないですね。私は御免ですが」

「真中さんには課長がいるものね」

「羽柴さん!? 何て事仰るんですか!」

「そのままの意味よ? いつまで足踏みしてるんだろうって、そろそろ皆じれったくなっているんじゃない?」

「わ、私達しかいないからって、そんな……!」

 話が真中さんと課長に移ったのでこっそり安堵の溜め息をつきつつ、サブレの残りを噛み締めながら味わう。課長が菊野さんと従兄という事は、課長も御曹司の一人になるのだろうが……真中さんなら、外見的にも内面的にも実力的にも釣り合うだろう。真中さんの家族の話は双子の妹さんの話しか聞いた事がないので、ご両親がどんな人かは知らないけれど。

 彼の事を思い出すと、ふわふわ嬉しい気持ちと自分なんかじゃという苦しい気持ちが同時に浮かんでくる。それでも、やっぱり、また会いたいと……顔を見たいと、思ってしまう気持ちは止められなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?