日曜日の午前九時半。マンションの正面玄関まで来てくれた蒼治さんと一緒に、コラボを実施している二つ先の駅のカラオケ店へ向かった。受付をし、途中で飲み放題のドリンクバーに寄ってそれぞれ一杯ずつ飲み物を準備してから部屋に入る。スピーカーの音量やマイクの調子をチェックしてから、機械を手に取り曲の検索を始めた。
「きーんーようびが花の日なんてーいったい誰が言い出したのー」
「朝焼けが街並みを染めていくように鮮やかに、君の微笑みが心を照らしていく」
「きらきら煌く贈られた言葉、初めての色彩に気づいたんだ」
「ひたむきに積み重ねたその翼が、どこまででも君を運んでくれるだろう」
次々に曲を入れて、ひたすら歌っていく。数曲歌ってウォームアップ出来たので、満を持してコラボ曲をどんどん入れていった。合わせて一時間程歌い続け、一旦満足したのでズズっとウーロン茶を啜る。
「せっかくですし、蒼治さんも何か歌いません?」
そう言って、機械を彼の目の前に持っていく。しかし、蒼治さんは困ったような表情で機械ではなく私の方を見つめ始めた。
「いや俺は……上手い訳じゃないし、真衣が歌うのを聴いている方が良いから」
「私は蒼治さんが歌っているの聞きたいです」
「いや、でも……」
「だめですか?」
先日少女漫画にて学んだ、上目遣いとやらをやってみながらお願いしてみた。いうて意識せずとも、蒼治さんの方が背が高いから普通に話してるだけで似たような目線にはなってしまうのだけれども。
「……俺が知ってる曲って、学生時代に合唱コンクールで歌った曲とかこの前買ったCDの曲とかくらいだよ?」
「良いじゃないですか! 歌いましょ! 難しそうなところはサポートするので!」
畳み掛けながら、機械を操作して曲を入れる。最初の一曲目こそやや照れが入っていたのか声が小さかったが、二曲目、三曲目と続くにつれて発声も良くなってきたしリズム乗りも良くなってきた。
「……一生分歌った気がする」
「お付き合いありがとうございます」
五曲ほど一緒に歌った後で、疲労感漂う表情の彼にお礼を言う。合唱コンクールで歌われる事が多い曲をデュエット出来たので、こちらとしては大満足だ。
「飲み物無くなったね。取って来るよ」
「私行ってきますよ。蒼治さんは休んでて下さい!」
「いや、でも、真衣一人は」
「大丈夫ですよ!」
心配そうな蒼治さんへそう言い残し、意気揚々とドリンクバーへ向かう。ウーロン茶とジンジャーエールを両手に持って、部屋に帰ろうと歩き始めた。
「……!?」
刹那、背中がぞわっと粟立った。突き刺すような視線を感じたので、グラスを握る手に力が籠る。くぐもった叫び声のようなものが聞こえてきた瞬間、私の左腕が勢いよく掴まれた。
「見つけた! 今度こそ逃がさないからな!!」
少し伸びた髪、よれたシャツ。かつてよりも小汚くなった印象だけど、あの時の男で間違いない。そう認識した途端、あの日の恐怖が、不安が、一気に私を縛り上げて一歩も動けなくなっていく。
ガシャンとガラスが割れる音が、ドリンクバー内に響き渡った。
***
どうしてここに。どうして、未だに。脳内が『どうして』で埋め尽くされていき、恐怖で呼吸がおかしくなっていく。しかし、このままじゃ駄目だ。怖くて怖くて堪らないけれど、今度は、いや、もう一度、はっきり拒絶しないと。
「離して下さい!」
「こんなところにいたなんて! 俺達の誘いを蹴って、あろうことかピエトラの傘下に入るなんて! 俺達の方が先に目をつけていたのに!」
「私はどこの事務所にも所属していません! これからも所属しません! 歌手として活動するつもりはありませんから!」
「嘘つけ! それなら何でCMソングなんて歌っていたんだ! 良いから来い! お前を連れて行けば、皆もう一度俺を認めて」
必死に抵抗するけれど、力が強くて引きはがせない。騒ぎを聞きつけたらしい店員さんが二人近寄ってきてお客様お止め下さい! と加勢してくれたが、男は変わらず目を血走らせて私を引きずっていこうとする。
「離して……!」
何とか踏ん張るけども、一対三にも関わらず1mほど引きずられた。更にもう一人が加勢してくれて均衡状態になったが、相変わらず男は手を離さない。ふと、視界の端でギャラリーの一人が背中を向けて走り去っていったのが見えた。
「手間をかけさせるな! お前は俺の言う通りに来て歌っとけばいいんだ!」
「嫌です! 行きません!」
「強情なクソアマが! 女が男に逆らうんじゃねぇ!」
「くっ……」
ずっと掴まれているせいか、腕が痺れてきた。こんなひょろひょろの体のどこに、そんな力があるというのか。
「あっちです!」
聞き覚えがあるようなないような、そんな女性の声が耳に届いた。次いで、ばたばたと誰かが走ってくる足音も響く。足音はこちらへ近づいてきて、誰だろうと目を開けた瞬間……唐突に、左腕が解放された。
「……何をしている」
「蒼治、さん」
「真衣ちゃんだよね!? 大丈夫!?」
彼が来てくれて、安堵した瞬間。懐かしい声が私の名前を呼んだ。ぎこちなく振り返った先にあったのは、よく見覚えのある貴女の顔。どうして、どうして、貴女も、ここに。
「千佳ちゃん……? どうして……」
「後で説明するよ! ここはあの人に任せて、真衣ちゃんはこっちに!」
「で、でも」
「俺は大丈夫。真衣は彼女と一緒に安全な場所へ」
「スタッフルームへ案内します! 手当てもそちらで!」
「お願いします」
千佳ちゃんと店員さんに言われるまま、その場を離れる。彼が無事でありますようにと、それだけを祈っていた。