「何だお前! 邪魔しやがって! ピエトラの手先か!?」
目の前の男が何事かを喚いている。奴が彼女にやったように奴の左腕を握り締めてやると、更に何事かを喚き始めた。俺の最愛にあんな事をしておいて、無事で済むと思うなよ。
男の左腕を掴んだまま、足払いを掛けた。奴はあっさりと体勢を崩し、不格好な姿勢で宙吊りのような状態になる。床に落ちている大小さまざまなグラスの破片が見えたからか、顔色が少々青くなりどうにか足を着こうと足掻き始めた。
「俺達の方が先に目を付けていた? 勘違いも甚だしい」
「な、んだと……!?」
「俺は、お前よりも、ピエトラの彼よりも、もっとずっと前から彼女の素晴らしさを知っていた。だからもう一度会いたいと願って、彼女の迷惑にならないように何年も探し続けて、漸く見つける事が出来た。彼女を最初に見出したのはお前じゃない」
「お前もどこぞの事務所の輩か!? 俺達の邪魔をするってんならタダじゃおか」
「仲間がいるのか? シュテルンプロダクションは首になったんだろう?」
事実を突きつけてやると、分かりやすく奴の動きが鈍くなった。そのまま動かないでいてくれた方が楽なので、更に畳み掛けていく。
「根本専。高校卒業後就職するも長続きせずに職を転々とし、途方に暮れていた際にシュテルンプロダクションの当時社長が雇い入れた。以降その社長の元で働きそれなりの貢献をしたが、ギャンブルに溺れ会社の金を横領した事で新社長によって首にされかけた。新社長に懇願したお前は、反省してスター候補と成り得る逸材を連れてくればチャンスをやると言われたから血眼になって探し、彼女のバンド歌唱動画を見つけてスカウトしようとした」
「……おい、やめろ」
「新社長も彼女の力量に手ごたえを感じ一時はお前を見直したが、その後のお前のスカウト行動が相当強引で彼女始め他の学生や職員に多大な迷惑をかけるようなものだったため会社の信用が地に落ちたと激怒、その責任を取らされる形でお前はシュテルンプロダクションを首になった。しかしお前は反省するどころか新社長を逆恨みし、彼女に執着し、彼女を連れて行けば自分の職と立場が復活すると思い込んで彼女に執着し続けた。そんなお前がここ二、三年彼女に付き纏ってなかったのは、業務上横領罪で実刑判決を受け服役していたから」
「黙れぁぁぁ!!」
再び根本が暴れ始めたので、容赦なく床に落として腹を踏みつけてやった。ぎゃああと悲鳴が聞こえてくるが、そんなの知ったこっちゃない。話している間に大きめの破片は避けておいたし……彼女の方が、何年も。何十倍も何百倍も痛くて辛い思いをしたんだから。
「二度と彼女に近づくな。万が一次があったら、文字通りお前の命は無いと思え」
呆然としている根本を見下ろし睨みつけながら、言葉を叩きつける。奴の身柄を警官に引き渡してから、荷物を取りに戻るため一旦元の部屋へと向かった。
***
お店から貰った氷でしっかりと左腕を冷やし、千佳ちゃんが買って来てくれた包帯で軽めに圧迫する。毒々しい色の手形が残ってしまっているので、暫くは包帯を巻いていた方が良いだろう。
「今のところは大丈夫そうだけど、後から痛みとか腫れが来る事もあるから。その時は病院で診てもらってね」
「うん。ありがとう」
返事をすると、千佳ちゃんはにっこりと笑ってくれた。憂いを感じる事が無い彼女の笑顔を見るのは、いつぶりだろう。
「でも、千佳ちゃんが蒼治さん……あ、ええと、あの……い、一応、今お付き合いさせて頂いてる人なんだ、けど……ともかく、彼を呼んできてくれて助かったよ。本当にありがとうね」
「ううん。もっと早く気づけた筈だから……遅くなってごめんね。そしたら、真衣ちゃんの腕にこんな痣が残る事もなかったのに」
せっかくの笑顔だったのに。私のせいで、また彼女の笑顔に悲しみが満ちてくる。
「でも、どうして千佳ちゃんもここに? 偶然?」
「……ううん。真衣ちゃんが菊野さんと二人で来るって知ってたから、私もここに来たの」
「誰に聞いたの? そもそも、どうしてわざわざ」
「聞いたのは一華ちゃんから。どうしてか……は、そうだね、何か償えるかもしれないと思ったのと……嫌な予感がしたから」
そう言えば、勘の鋭い子だった。実家が神社だからなのかどうかは知らないが、千佳ちゃんの勘は当たる事が多かったから、ゼミの皆も参考にしてたっけ。
「償い? 千佳ちゃん、別に私をいじめてた訳じゃないじゃん」
「でも、私が誘わなければあんな騒動にならなかったし……あの男の人に執着される事もなかった、でしょ」
「……それは」
事実だけを見ればそうなのかもしれない。千佳ちゃんは誘ってくれた本人だから、猶更気に病んでいたのだろう事は想像がつく。
「だからね、パソコンでネット見てて、キクノのCMが流れてきて……聞こえてきた歌を聴いて。まさかって思って何度も聞き返して、間違いないって思ったから一華ちゃんに確認したら、そうだよって教えてくれて。その時は、真衣ちゃんまた歌えるようになったんだ。良かった、本当に良かったって、思ったの」
そうだったのか。千佳ちゃんは、あれだけで気づいたのか。つまり、それだけ私の歌を好きでいてくれて……覚えていてくれたという事だ。
「でも、その瞬間言いようのない苦しさを感じて。心臓を掴まれるような、喉を掴まれるようなその感覚が、生々しくて怖くなって」
「うん」
「だから、一華ちゃんにまた連絡したの。最近の真衣ちゃんは大丈夫そう? って。一華ちゃんは、これを機に直接本人に連絡したらって言ってくれたんだけど、こんな状態で連絡したら悪いものが真衣ちゃんにも移ってしまいそうな気がしたから、それが解決したら連絡するって約束したの。それを条件に、一華ちゃんが今日の事とか菊野さんの事とかを教えてくれた」
「なるほど……」
「それで、私も受付して部屋を借りて注意しておく事にしたんだ。それで、トイレとかドリンクバーとかの様子を定期的にチェックして……その際に、二人がどの部屋にいるかも確認して」
「うん」
「最近寝不足だったから、うっかり部屋でうたた寝してしまって。そしたら、ガラスが割れる音が聞こえたの。それで、音のする方に行ったら真衣ちゃんと店員さんがあの男と対峙してて……菊野さんを呼ばなきゃって慌てて部屋まで行って、見たものそのまま話して、案内したんだ」
「そうだったんだ……本当に、ありがとう」
改めてお礼を告げると、千佳ちゃんが腰を浮かし掛けた。しかし、彼女が立ち上がる前に誰かが部屋に入ってくる。
「荷物持ってきたよ」
「蒼治さん!」
「大丈夫……じゃなさそうだな。腕はどんな感じ?」
「ちょっと痺れて痛みがありますけど、千佳ちゃんが手当てしてくれたので」
「そうか。ええと……」
「畑野千佳子です。真衣ちゃんの大学時代の同級生で、同じゼミ所属でした」
「そうなのか。ありがとう、畑野さん」
蒼治さんはそう言って、千佳ちゃんへ頭を下げた。今度こそ千佳ちゃんは立ち上がって、そんな、大丈夫ですよと連呼している。
「蒼治さんは大丈夫でしたか?」
「俺? 俺は大丈夫だよ」
「本当ですか? あの人に、貴方も攻撃されたとかは」
「ないない。むしろ、俺の方が奴の左腕を掴んで床に倒して足蹴にしたから」
「そ、そうでしたか……」
普段温厚な人を怒らせると怖いというのは正しいらしい。同情なんて、しないけど。
「さて、名残惜しいかもしれないけど支払いして帰ろうか。病院には連絡してるから、今から行こう」
「今日は日曜ですよ?」
「あんなにはっきり分かるレベルの痣が出来てるんだよ。早いうちに診てもらうべきだ」
「え、でも」
「行けるなら行った方が良いよ、真衣ちゃん。腕に何かあったら生活とかにも影響する訳だし」
「ほら、畑野さんもそう言ってる」
「私の友達を勝手に味方につけるの止めて下さいませんか? ……いえ、分かりました。仕事に影響してもいけないので、ちゃんと行きます」
心配なのは本当だし、ここは厚意に甘えても良いだろう。ああ、でも、一つだけ。
「診てもらったら、また連絡するね。千佳ちゃん」
「うん」
「でね、落ち着いたら……また、前みたいに遊びに行こう。カラオケでも良いしそれ以外でも良いし。今度は、千佳ちゃんの近況とかも聞きたいな」
「……うん! 勿論!」
八の字になっていた千佳ちゃんの眉毛が上がって、黒目がちな目が大きく開く。
漸く、止まっていた時間が動き出した気配がした。