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「会長サマ、会長サマ」
「うん? なんですか?」
頷きながらの振り返り様。潮混じりの風がぼう、と耳元を吹き抜けて、ざぱ、と砂浜越しの波音がその背中を追いかけていった。コテージのベランダ、その屋根が造り上げた暗がりが、さっきまで見てた夏の残滓で一瞬眩む。
ぱちりと瞬き。暗がりにまた目を慣らしていくと、段々と掴めていく輪郭。
荷物の整理も終わったから、夕食のバーベキューに使う設備を念の為確認しておこうと、一足先にベランダに出ていたタイミングで、今は私、一人だけ。今回の合宿の発案者……は秋流さんなんだっけ。それに賛同して合宿したい、とロボ調に伝えてくれた彼女は、何の気なしという表情で。
「もしかしてぇ、なんですけどぉ…………桜条先輩ちゃんサマと、花糸先輩サマと、フェンシング先輩」
「うん」
きょろ、と背後を振り返って。こちらに向けた目は、純粋なもの。
「三人と三股してます?」
「なわけないですよね!? なわけないですよね!?!? え!? なわけなさすぎて先に二回もツッコみましたけどえ!? 何がどうして!?」
あとなんで今日のバーベキューの段取り尋ねるくらいのテンションでそれを聞けるんですかね!? あと触れると話題過多だから触れないけどそのUFOみたいな浮き輪と三十センチくらい浮いてるのは何なの!?
「あっ、会長サマも、興味ありますかぁっ? これ、リリリ様特製の浮きUFOくん十三号で、モーターボートより早く海上を滑空できちゃいますよぉ」
「いや今触れないので!! 視線で察さないで!! あと話流さないで!!」
「だって、会長サマなんか、ぎくしゃくだしぃ……他の先輩ちゃんたちはフツーに見えるけど、でもちょーっと…………雰囲気が、ねぇ?」
「いや別に何もないですしそれに皆も全然いつも通りですからっ! 小薬さんがちょっと考えすぎてるだけで!!」
「――む。その必死さは図星でしょうか」
「っ、――いきなり背後で囁かないでね!?」
あと秋流さんもそっち側のスタンスなんだ!! 振り返れば気配もないままいつの間に、背後すぐそこ、手すりの向こう側に立ってるし。何故か周囲の砂に足跡が全然付いていない気がするし。
「じゃあ会長サマってぇ、今は付き合ってる相手がいない、さびしー状態で、フリーってこと? ぼしゅー中?」
「募集してません! ……あ、相手もいないですけどね!」
忘れず揚げ足取り封じ、を付け足すと、ひょこり、と小薬さんが首を傾げる。
「じゃあ、――リリリ様がなってあげよっか?」
「そんなリリ。私というものがありながら。よよよ。では私も会長に便乗で感情を白状しましょう。少々」
「……はぁ」
きゅるん、と可愛らしい角度で首を傾げ、こちらを見上げる小薬さんに、一体いつの間に用意したのか、少しも顔色を変えないままに、懐から取り出した封筒を手渡してくる秋流さん。
いや、いや。「会長へ」とちゃんと書かれてる上、宛名のすぐ後ろに型でも使ったような綺麗なハート型が付属してるし。ほんとにいつの間に用意したんだ。
「え! 秋流ちゃんずるい!! それラブレター!?」
「こういった想いは、いつ伝える機会が訪れるものかわかりませんから。常日頃したためておくものですよ」
「ええーっちょっと!! 今からリリリ様も書くからっ、会長サマちょっと待ってて!!」
「……何か…………絶妙に怒れない感じでちゃんと書かれてる……」
いやもう確実に冗談ではあるとわかりつつ、小道具まで用意されると読まないで返すのも気が引けるし。と開いてみれば、内容はまるで母の日のお手紙のような、日頃の感謝が目を瞠るほどの達筆で綴られたもので。生徒会長としての職務を偉ぶるでもなく為す様が立派ですとか、陰ながらの努力があるからこそ首席で在り続けられるのでしょうとか、直接伝えられると流石に照れくさいような文言ばかり。
「会長サマ!! リリリ様も書けたから、えっとぉ……ちょーっと恥ずかしいケド、読んで?」
「…………えっと、……え、暗算で?」
「ひゃはっ……会長サマなら、伝わるかなって……ひゃははー」
秋流さんの手紙はそれなりに分量があったとはいえ、それを読む間に。どんな速度で書き上げたんだと目を落としたノートの切れ端には、汚い……失礼、少々乱れた字で綴られた教科混合の問題文。いやほんとにどんな速度で。
「……ああ、えっと、……問一から順に読んだら『I LOVE YOU』……ですね」
「会長サマぁっ! 読み上げたら問題にした意味がないよぉ!」
「リリ、やはり。よよよ」
いやもう、回答候補のアルファベットの選択肢が『I LOVE YOU』を構成できる文字しかない時点で大体察せるけれども。お陰で先に答えを嵌めた上で検証しかしてないし。
「えっと、気持ちは嬉しいですけど……。あ、そうだ二人とも、手が空いてるならバーベキューセットの安定性を見てみたいので、手伝っていただけますか?」
「会長サマ? リリリ様の気持ちもっと咀嚼しない?」
「ごめんなさい、気持ちは嬉しいけど、応えられません」
「会長サマぁ……」
しゅしゅしゅ、とUFO型の浮き輪が萎んでいって、合わせて小薬さんがベランダに着地してそのまま、崩れ落ちる。ほんとにどういう機構で動いてるんだ。
「会長、あの手紙の作成には四時間ほどかかりました」
「リアルな数字だ……うん、本当に嬉しかったし、本気で照れたし何であの場でさっと出せるのかもよくわからないくらい丁寧でしたけど、……いや。えっと、……嬉しかったです、ありがとう」
「はい。お返しにも期待しています」
「秋流さん?」
「…………」
冗談ですとか言わないんだね? いやうん、確かに生徒会長としてメンバーそれぞれへ感謝を伝えるというのはとてもいいことだし、ちゃんと検討しておくけどね? 実際もらって嬉しかったし。ちょっと釈然としないけど。
「えっと、…………ま、まあじゃあその、バーベキューセットの安定性を――」
「――あ! そうだ会長サマ!」
「……はい」
「お手伝いはたーっくさんしたいんですけどぉ、その、……凡百見なかったかなぁって」
「ぼ、…………風穴さん、ですね?」
本当によくない呼び名だけども。こくこくと純粋な顔で頷いた小薬さんは、きょろきょろと周囲を見渡して。
「そのぉ、荷物整理の時はいたんだけどぉ、席外しますってすぐ出てっちゃって……人に見られたくない恥ずかしーコトとか、してるのかなぁ? 学校じゃないから、フーキ乱してるのかな?」
「うんまぁ違うと思いますけど……」
ナチュラルなトーンでの失礼な想像は否定しつつも、とはいえ行く先がわからないと聞いて少し姿勢を改める。あくまでこれまで見知った中での印象であるけれど、あまり勝手な行動をするタイプにも思えない。
「えっと、……出て行ったって、コテージをですか?」
「んー、どうかなぁ――」
「恐らくそうかと。玄関を見て回ってきましたが履き物がありませんでした。周辺も見て回りましたが、我慢できずに海へ入った、忘れ物をして駐車場に戻った様子はなさそうです」
それでそっち側にいるということか。一見ふざけて見えても淡々と必要なことを熟すこういうところ、ほんと秋流さんだ。というか、それより。
「……バーベキューセットは後にしましょうか。確認と報告感謝します、えっと……足跡とか着いてませんでしたか?」
「いえ――」
「あ!」
ば、っと背後で小薬さんが起き上がって、そのまま――なぜかばっと膨らんだ浮き輪で、三十センチほど浮く気配。
「リリリ様、凡百に浮き輪貸してるよ!!」
「……そういうわけです」
「…………捜索しましょうか。とりあえず二人は梅園さん含めて他の方に共有して、捜索は二人以上で行動して行ってください。危険そうであれば引き返すこと」
「会長サマは!?」
「深追いはしません」
「っじゃあ、これ!」
とす、と小薬さんの足がベランダを踏み、ふわふわと漂った浮き輪をキャッチ。装着してみれば、不思議と私にもフィットして。
「会長。何か妙な気配があります。お気を付けて」
「うん……あ、そういえば秋流さんって、どうして足跡がついてないんですか?」
浮き輪をしてるようにはとても見えない。
尋ねると、彼女は――珍しくくすりと微笑んで、小さく首を振った。
「今はそれどころじゃないでしょう?」
うん。
え?
ここから新しい出逢いがあったり、知らない世界を知ったりする?
なんて。
不安と不安で鼓動を逸らせながらも浮き輪を直感で使って砂浜を駆ける。何故か普通に走るくらいの感覚で操作できてしまって、加速も停止も快適に行える。いやほんとは検証とか必要だろうしこんなのこういう私有地以外じゃ使っちゃいけないと思うけど。いやこういう場所でもアウトかもしれない、ともかく背に腹は代えられず。
けれど砂浜を端から端まで攫ってもけれど、彼女の姿は見当たらなくて。
「大変申し訳ございません、確かに監視態勢は万全だったのですが、監視用カメラが故障した上、周辺の警戒に当たっていた人員が気を失っていたようです」
「反省も叱責も後よ。逆に言えばそれ以外の箇所は監視の目が行き届いていたのでしょう、候補はこの一部分しかないはず」
「でっ、でも、もう何回も私たちで往復してるけど、全然見つからないよ?」
「電子機器の復旧も叶っておらず……一先ずは最寄りの警察署まで、体力に自信がある二名に向かってもらっています」
「あの」
と。
深刻な顔を付き合わせていた私たちに、秋流さんが一言。
「あちらを、見ていてください」
「え?」
真っ直ぐに示されたのは、砂浜とは反対の、
緑が生えて、緩やかに山肌に繋がっていく、何もない場所。
「秋流さん。こんな時に冗談はよしなさい、何も……――っ!?」
尖った声を上げかけた撫子さんの声が、驚愕に呑まれる。
――確実に。
今、確実に。目の前の空間が、震えた。
例えるなら、見えない窓硝子がそこにあって、強力な衝撃で震え、その瞬間だけを目にしたような。
「な、……――何?」
「あっ、リリリ様りだーつ」
「皆さん、……伏せて」
す、と一気に膨らませた浮き輪で上空に飛び上がった小薬さんと、静かに、けれど明確に伝えた秋流さんに、誰も何も尋ねずに大人しく頭を伏せて。
一閃。
それは、イメージ。頭上を一本の刀が横切ったような。
「……え?」
「なに、……さっきまで……」
顔を上げれば。先ほどまでは絶対になかったはずの洞窟と、その中からゆらりと現れる人影。その片手は刀を握るような仕草をしているけれど、汗を滴らせたその手がゆるりと開いても、落ちるような刀は何処にもない。
「……はぁっ……、お騒がせした、ようですね、…………面目、ない……」
ぽたぽたと、息を乱して汗を掻きながらも、爽やかかつ不敵な笑みで。
「風穴さん、あなた……」
「少し……風紀を、乱しやがった不敵な輩がいたので……」
「正しやがった、だけです」
うん、もう。
絶対謎の出逢いがあっただろうし、知らない世界知ってるなと多分、私も含めた全員が思っただろうけど。賢明なことに誰もそれ以上、詳細を尋ねることはなかった。