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八月某日、十六時十二分。
愛用、という言葉を当てるほど愛着のニュアンスを込められるかといえばそうでもないような利便性重視の軽量ノートパソコンの、打ち慣れたキーボードを特段のミスなくタイプして日付を書きつける。こほんと控えめに響いたのは、場を引き締める目的のみが込められた会長の空咳。
「それでは……予定より少し遅れての開催となりましたが、これより第一回、出張生徒会会議を始めます」
当初の予定は十五時半。ずれた理由を多少なり記載するべきか、脳裏で逡巡するも棄却する。一時行方不明になっていた風穴さんは恐縮した様子で身を縮めはしたものの、わざわざ腰を折ることもなく。会長も微かな目配せと頷きとのみでそれを流して、席に着いた面々を見渡した。
「んん、……ええと。本会議は夏合宿に合わせた臨時の会議であり、正式な開催ではありませんが、形式上は普段通り執り行います。また参加メンバーのおさらいですが、今回は合宿参加者である犬伏稜稀先輩、花糸かすみさん、風穴紀子さん、また設備関係や合宿日程等々について伺うため、梅園仕乃さんにもご参加いただいています。ご参加いただく皆さまには、――」
会長らしい流暢さと堅苦しさをうまく取り合わせた説明はそのまま、生徒会外のメンバーも遠慮なく発言してほしい旨と、会議後のフィードバックをほしい云々と。
かたかたと、流れる言葉に合わせてタイプ。一字一句をというより要旨。骨子を綴るが肝心要。
「では。本日の議題ですが、――夏合宿二日目の活用法について、です」
さて。
会議の場に置いて議事録を取る、という行為は生徒会、その書記たる清正院秋流として当然の職務。とはいえ清正院学園の生徒会は慣例上、各役職は名目上の分担であって助け合うこともしばしばであるし、特に議事録は例年持ち回り制である様子。そうわざわざ注釈を挟んだことから察せられる通り、今年度、就任して以降に開催された生徒会関係の全会議の議事録はすべてこの、清正院秋流が担っている。当然自ら希望して、渋る先輩方の苦言をなあなあに崩していなした上で。
もちろんのこと、不足なく書記をこなせるのだという少々不遜にも取られ得る自負がその一因でもあれば、書記に専念することで積極的に発言せずとも参加者の体裁を保てるという、ままある消極的な理由も若干に。けれど一番の理由はといえば、――。
「はいはいはーい! 会長サマ、リリリ様かんがえてきたよっ!」
「では、小薬さんからお願いしましょうか」
「秋流ちゃん! あの渡してたやつ出せるかな?」
と。
「そう言うと思って、もう準備してありますよ」
声が掛かる時にはすでに、議事録ファイルからウィンドウを切り替えて速やかに。ちらりと目を落としたコンマ数秒でファイルが間違っていないかも確認しつつ、画面へと。
「ひゃはっ、さっすが秋流ちゃ――えっちょ!?」
表示されたのは花火が云々の発表資料ではなく、幾何学的な線と数値の散らばる画面。
「ちょ、秋流ちゃんっ!? これリリリ様のバイオ装甲の設計図だから! まだ作りかけだからっ、恥ずかしいからっ!!」
「誰が作りかけかどうかわかるのよ」
「失礼、こちらでした」
桜条先輩の呟きも耳に入らない様子で騒ぐリリのために、ファイルを速やかに切り替えて。
「もう、秋流ちゃんってば……秋流ちゃんってば!? こっちはまだ未発表の論文!!」
「失礼、これですね」
「こ、……これだねっ」
無駄のない動きでテンポ良く。最後に本来のものを表示してあげれば、リリは一瞬の混乱を挟みつつ、慌てて解説に戻っていった。
私、清正院秋流が書記を担う理由。その一番の要因は。
書記とは、観察であるから。
まあ。そんな格言を耳にした経験は浅学なのか別段ない。から今私がここに残しておくことにする。
リリの提案する突拍子もない構想に早速頭を抱える会長と、溜め息を吐く桜条先輩。目を丸くする花糸先輩に楽しげに笑う犬伏先輩。風紀云々といつもの調子の風穴さん、対照的に顔色一つの変化もない梅園さん。飛び交うツッコミやリリの脱線から適切な部分を選り抜き綴り、議事録という形にしていく。過程で自身の思考も整理されていき、会議全体を俯瞰的に把握する。
この感覚が好ましく。別に書記や議事録に限らず。
私は、観察が好きなのだ。
「――って感じで、リリリ様の案をまとめるとぉっ、夏合宿からぜーったいハズせない花火を水中対応しちゃって、皆も空飛んだり潜ったりぃ、で上空と海中りょーほーで見よってやつ! ひゃははっ、打ち上げ花火、上から見るか、海から見るか、って……こんなの全会一致だよね~」
「そうね。全会一致だとは思うわ」
「そうですね……」
「ひゃははっ! じゃあじゃあ、リリリ様の意見にさんせーって人! …………え!? 何で!?」
記録。全会一致で否決。かたかたと。
犬伏先輩が空気を読んだのか意外と常識的なのかはけろりとした表情からは読み取れない。同じことを思ったのか会長がちらりとそちらを見たのも見逃さない。もちろんそれらは議事録には起こさない。単に心に留め置くだけで、けれど私にとっては優先事項。
そうして目の合った犬伏先輩から視線を外す際の会長の、自然に振る舞ったつい、という素振りさえもがどこか、むず痒い空気を伴うことも。
観察は好きだ。趣味である。
間違いなく。夏休み前と今とで比べて会長の態度は変化している。有り体に言えば意識している。犬伏先輩だけでなく、桜条先輩、花糸先輩に対しても。その露骨な変化はリリでも見逃さない程で、と、いうよりも。存外恋や友情に繊細な彼女だから、当然気付いたと表現する方が適当かもしれない。
露骨な会長と比較してそこまで表に出さない三人も、それぞれに可能性を見出しているのか、心境の変化か進展があったか、些細な変化は見て取れた。
それらの行く末を見守りたい。それが生徒会書記、清正院秋流としての、直近の専らの関心事。
「よかったわ。全会一致で可決なようね」
「ちょっと意外かも。澪くんのことだから、もうちょっと渋い顔するかと思ってたけど」
「まぁ……監修の上で安全性が確保されているのであれば、そういうイベントも合宿には必要かな……というか、梅園さんたちがここまで準備してくださってるなら、今更却下するのも申し訳ないですし」
抜かりのなさは流石桜条先輩といったところ。肝試し会、という花火同様合宿では定番のイベント、かつ人やコミュニティを選ぶだろうそれを見事にプレゼンして見せて。率直なところ私としては、桜条先輩が提案することこそ少し意外に思う。それも心境の変化の一環かもしれない。
「会長サマぁ、リリリ様の花火も、たっくさん準備したよぉ……」
「う、うーん……そちらはほんとに、安全性が公的に保証できなくて……」
「ぜったい、ぜーったい大丈夫だからぁっ! おねがい!」
「あなたの口約束で許可できるわけないでしょう。諦めなさい」
「こ、コホン。ええと、……では、肝試し会は採用枠に追加します。開催時間や詳細は後ほど詰めるということで」
嘆くリリに律儀に揺らぎつつ、咳払いでやや強引に誤魔化して先へ進める会長。素山澪。
彼女には間違いなく、魅力がある。
見目や成績に留まらず、その人間性さえも。やや不器用で信念があり、真っ直ぐに個々と向き合える。あの手紙に綴った言葉たちはどれも本心で、真実どこまでも生徒会長向きだと思う。
から、こそ。
三つの手が伸ばされた時。誰か一人を取れるのか。その結果軋轢が生まれたとして、引きずることなく立て直せるのか。
私自身、器用ではなく。そんな心配未満の思考を浮かべていても常なら、いつか破綻が訪れるか、良好な着地点へ行き着けるまで、事態を俯瞰して見てるだけ。さり気ない立ち回りで状況を好転させたり、直接的な言動で大胆な介入を図るのは領分でない。
そもそもが観察という行為も決して不干渉ではないけれど。本来的には傍観者でありたいというポリシーに似ている願望未満の自認では、常なら何もしないこと。ただ見守ることが、私のすること。
「会長」
なのだけど。
私を除いた面々の概ねの提案が出揃った辺りで挙手をする。会長はこくりと頷いて発言を促して。特段資料も要らない提案で、だから画面の操作も行わず。
告げるは一言、ほとんど戯れの部類の言葉。からかいと、悪戯心と。
それと確かな、応援の気持ち。
「合宿といえばやはり、恋バナは外せないかと」
「…………」
は、だとか。えっ、とか。以前までなら間を置かず、きっとそんな類いの返しがあって。今は出遅れて絶妙な沈黙。正直素直な応援というより、不要な干渉とまで言えるかもしれない。でも多少なり示しておきたい。私なりに、多少干渉する意思があること。万一破綻や軋轢があれば、後輩なりに生意気に、すこしは助力の意志があること。
この清正院秋流なりの、不器用にも程がある意思表示。
恋というわけではないにしろ。あの手紙はやはり、本心なのだから。